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ロレンツ.OGのスニーカーカルチャーへの想い

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Rewrite

ここ数年、カスタムスニーカーのコミュニティは飛躍的に拡大し、ユニークなアプローチで話題になるクリエーターたちが無数に存在する。その中でも、独自のスタイルで多くのクリエーターから支持を得ているのが、LORENZ.OG(ロレンツ.OG)ことロレンツォ・G・フェデリチ(Lorenzo G. Federici)だ。

ロンドンを拠点に活動するロレンツォは、独学で身につけた染色技術を用いてスニーカーを制作するアーティスト。彼の手によって美しいグラデーションを纏ったシューズは、単なるカスタムの域を超え、アート作品と呼べるほどの完成度を誇る。ロレンツォの作品はドレイク(Drake)やリル・ヨッティ(Lil Yachty)、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)といったトップアイコンをも魅了し、世界中のスニーカーヘッズがその「サンプル」を切望する存在にまで登り詰めた。

そんなロレンツォが『atmos(アトモス)』とタッグを組み、エキシビジョン “AIR in colour atmos”を2026年4月25日(土)・26日(日)の2日間にわたって東京『atmos千駄ヶ谷』にて開催する。今回のエキシビジョンでは、本企画のために制作されたAir Max 95 “Dusk”を中心に、過去の代表作や未発表作品を展示。また、2日目には招待制のトークイベントも実施し、彼の掲げる“AIR in colour”の思想を包括的に体験できる貴重な機会となっている。

『Hypebeast』では、本エキシビジョンのために来日したロレンツォにインタビューを敢行。『atmos』のためのAir Max 95を制作中に、キャリアの原点から自身のデザイン哲学、今回のプロジェクト、スニーカーカルチャーへの想いまで語ってくれた。


2018年の Nike On Air デザインコンテストがきっかけで、スニーカーのデザインを追求し続けようと決心した

Hypebeast:あなたが最初にスニーカーカルチャーに興味を持ったのはいつ、何がきっかけでしたか?

Lorenzo G. Federici(以下、L):僕がスニーカーカルチャーにのめり込んだのは、13歳の頃だった。何か特定のきっかけがあったわけではないんだ。ロンドン郊外で育つと、まだその文化がどういうものかを理解する前から、スニーカーが常に身近にある環境だったからね。ただ、若いうちに初めてスニーカーのイベントやコンベンションに足を運んだことで、「スニーカーを中心とした巨大なサブカルチャーが存在するのか」と、文字通り目を開かされる思いがしたよ。僕が行ったのは『Crepe City(クレープ・シティ)』というイベントで、今でも続いているんだ。そのイベントで膨大な数のモデルやカラーウェイ、なかには10年前のものや僕が生まれる前のシューズまでを目にして、すっかり心を奪われてしまったんだ。

もともと僕は何かを「収集」することに惹かれるタイプだった。スニーカーにハマる前はプロダクト全般に興味があって、当時はサッカーに明け暮れていたからサッカースパイクをよく買っていた。その頃からどのカラーウェイを選ぶかにはすごくこだわっていた。だから、中学校に進学して自分の服装を意識するようになり、サッカースパイクからスニーカーへと関心が移っていったのは、僕にとってごく自然な流れだったんだ。

スニーカーのカスタムを始めたのはいつ頃ですか?

L:本格的に活動を始めたのは、ロックダウンが始まった2020年の3月頃。それまではオランダのヒルフェルスムにある〈Nike(ナイキ)〉でインターンをしていたんだけど、当時はあまりハッピーな状況じゃなくて、ホームシックにもなっていた。そんな時にロックダウンが始まり、地元へ帰ってリモートでインターンを継続できることになったんだ。家に戻り、自分が最もリラックスできる環境に身を置いたことで、逆に「自分は本当に今の状況に満足していないんだ」という事に気づいた。それが自分の進むべき方向を問い直すきっかけになったんだ。

それまでの僕は非常に分析的な役割(アナリティカル・ロール)を担っていたけれど、〈Nike〉でカラーデザインのチームと接する機会があり、彼らに強いインスピレーションを受けていた。サンプルを間近で見られる環境にいたことで、自分もその分野に入りたいと強く思うようになったんだけど、どうすればいいのか分からなかったんだ。

ロックダウンのおかげで時間はたっぷりあったから、インターンを辞める決心をした。当初は、フットウェアを染めることをキャリアや仕事、あるいは「プロジェクト」にしようという意図なんて全くなかったんだ。ただ自分や友人のために、面白いシューズを作って楽しんでいただけさ。当時は誰もが実験をする時間を持っていて、プレッシャーも少なく、みんなが『Instagram』をチェックしていた。だから僕がシューズの写真を投稿すると、すぐに大きな反響があったんだ。それが追い風となって、僕は自分の技術を磨き、色を通じて自分を表現する新しい方法を模索し続けることに専念するようになった。

ところで、2018年にNike On Airデザインコンテストに参加したそうですね。その時はどんなデザインを提出したか覚えていますか?

L:あのコンペティションは、僕にとって本当に大きな転機だった。まだ17か18歳だったけれど、初めて〈Nike〉という組織の内側に触れた瞬間だったから。〈Nike〉のデザイナーたちの話を聞けたし、スケプタ(Skepta)も参加者の中に混じって僕らの話に耳を傾けてくれた。自分の人生で初めて「デザイン」というものを意識し、シューズの背景にある「ストーリー」について考え抜いた経験だったよ。僕のアイデアは「ロンドン」をコンセプトにしたもので、それを街角にあるコーナーショップ(個人経営の売店)やコンビニを通じて表現しようとしたんだ。

これが当時のデザイン案。コーナーショップのイメージや、その時に撮ったポラロイドも残っている。デザイン自体は〈Nike〉Air Max 97の“PlayStation(プレイステーション)”モデルからかなりインスピレーションを受けているんだ。パテントレザーのマッドガードがあって、その上のカラーパーツはリフレクティブ素材にするつもりだった。コーナーショップに入ったとき、棚に並んだ缶飲料が光に照らされている、あの光景を表現したかったんだ。ソールの配色も、実はさりげなく“Fanta(ファンタ)”のカラーリングをリファレンスにしていたりするんだよ。

クールなデザインですね。

L:ありがとう。実は、このコンペの結果はかなり物議を醸すものだったんだ。デザイン案を提出してから1ヶ月後に5人のファイナリストが発表されたんだけど、一般投票が始まったのを見て驚いたよ。ファイナリストうちの一人のアイデアが、僕のものとそっくりだった。その子は僕が隣に座っていた時に伝えたアイデアを、自分のものとして提示していたんだ。結局、彼女が優勝してしまったんだよね。彼女の元のアイデアを知っていたからこそ、「自分の考えたことが現実に優勝してしまったんだ」と、なんとも不思議な感覚に陥ったよ。

どういう事ですか?

L:つまり……その子が僕のアイデアを盗んだのか、あるいはシューズを制作していたチーム側が、ある参加者の案をより良くするために別の優れたアイデア(ロレンツォの案)を掛け合わせようとしたのか、その真相は分からない。というのも、完成したシューズ自体のルックスは僕のデザインとは別物だったからね。共通していたのは、「ストーリーテリング」の部分だったんだ。シューズ自体の見た目はそれほど似ていなかったけれど、細部を掘り下げると、首をかしげたくなるようなディテールがいくつかあったのも確か。ただ正直なところ、あの段階でそういった経験しておいて良かったと思っている。というのも、今やスニーカー界を見渡せば、僕の仕事から直接的な影響を受けたと分かるものが毎週のように現れるからね。あの出来事は、その後に起こることの前触れだったんだ。結局のところ、アイデアのコピーや模倣は、この業界において避けられない事なんだろうね。

あのコンペにはそんなエピソードがあったんですね。

L:でも、あの経験こそがすべての始まりだった。あの状況に対して感じたフラストレーションが、僕の心の中に「スニーカーのデザインを追求し続けなければならない」という火を灯したんだ。自分のアイデアは優勝するに値するものだったという確信が、次へ進むための原動力になった。それからの僕は、〈Nike〉で働くことだけを唯一の目標にして、全神経をそこに集中させた。まずは地元のファクトリーストアの店員として働き始めて、そこから約1年後に念願だった欧州本社でのインターンシップを勝ち取ることができたんだ。まさに夢が叶った瞬間だったよ。

人生で望んでいたのは、それだけだった。でも、皮肉なものさ。いざインターンを始めてみると、わずか2ヶ月で「自分には無理だ」と思うようになったんだ。当時の僕には、どうしても馴染めない環境だったのさ。慣れない国での一人暮らしという厳しさもあったけれど、それでも素晴らしい経験だったし、その後の僕の活動すべてを形作ることになった。〈Nike〉の内部に入り、自分の目で様々なものを見たことは本当に大きかった。ただ、インターンを終えた瞬間はある種の「敗北感」に近いものを感じていたのも事実だ。「これほど大きなチャンスは二度と巡ってこないかもしれない」という恐怖さえあった。だからこそ、今度は誰かに与えられるのではなく、自分自身でチャンスを作り出さなければならないと強く心に決めたんだ。

僕にとっては「プロセス」こそがデザインの最も重要な要素

スニーカーの染色を行うようになった経緯、あなたの思想 “AIR in colour”のバックグラウンドを教えてください。

L:2020年にシューズを染め始めた当初、インスピレーション源になったのは〈A-COLD-WALL*(ア コールド ウォール)〉のサミュエル・ロス(Samuel Ross)の仕事だった。彼はランウェイのサンプルのAir Force 1をハンドダイ(手染め)で制作していたし、Vomero(ボメロ)のプロジェクトでも余剰在庫を別のカラーウェイに染め上げていたんだ。

僕がやりたかったのは、自分自身の「デザイン言語」を作り出すこと。僕が好きなスニーカー、特にコラボレーションモデルを手掛けるクリエイターたちには、必ず共通の言語があった。そのシューズを見た瞬間、ブランド名を確認するまでもなく「誰がデザインしたか」が分かるんだ。生粋のスニーカーヘッズとして、僕はその重要性を強く意識していた。

グラデーションで染めるという独自のプロセスは、実はとても自然に生まれたものなんだ。「かっこいい」と思える形にシューズを変化させようとしたとき、色でできることには限りがある。ただ一色に染めるだけじゃつまらない。どれだけ劇的に変えられるか、どれだけ価値を付加できるか。そう考えたとき、もともと好きだったグラデーションを試してみるのは、僕にとってごく自然な流れだった。

それが驚くほどうまくいったんだ。染め始めてからわずか2週間で、自分の手の中にあるシューズを見て「こんなの今まで見たことがない」と確信したよ。その時の喜びといったら……とにかく自分で履きたいし、みんなに見せたくて仕方がなかった。その感覚が中毒になって、もっと作りたいという衝動に駆られたんだ。

独自のプロセスを開発したことで、僕の作品はどれも一貫した表情を持つようになった。もはや「自分のスタイルをどう作るか」と悩む必要さえなかった。プロセスが同じなら、アウトプットも自ずと僕らしいものになるからね。〈C.P. Company(シーピー カンパニー)〉や〈Stone Island(ストーン アイランド)〉をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれない。彼らも独自のプロセスを開発し、それを追求している。彼らは「プロセス主導型」で、最終的なプロダクトがどうなるか、完全には予測できないまま進めているんだ。

僕の仕事も全く同じ。最初から完璧な完成図を思い描いているわけじゃない。自分が信頼するプロセスにシューズを委ねるだけ。そうすると、自分でも予想していなかったようなディテールが、結果としてそのシューズの最高の見どころになることがよくある。だからこそ、僕は「プロセス」に全神経を集中させている。「プロセス」こそが、僕のデザイン言語を揺るぎないものにしてくれるからね。

あなたは自身の作品のことを「カスタム」ではなく、「サンプル」と呼んでいますよね。それは何故でしょう?

L:それにはいくつか理由があるよ。まず第一に、僕のモチベーションは人々の好奇心を刺激し、会話のきっかけになるようなペアを作ることだった。13歳でスニーカーにハマったとき、僕が惹かれたのは「学校の誰も正体を知らないシューズ」だったんだ。そういうレアなものや、誰も知らない無名なものを探すのが好きだったし、かつてのスニーカーカルチャーでは、そういった「知る人ぞ知る一足」を求めるのはごく一般的なテーマだった。

ところが、2019年から2020年にかけて、僕は当時の状況にひどく幻滅してしまったんだ。いわゆる「ハイプスニーカー」は、手に入れるのが完全に不可能である一方で、『StockX』のようなアプリを使えば金次第で誰でも買えてしまう。『Instagram』を開けば、お金や影響力、フォロワーがある人間なら何でも手に入れられるのに、真のスニーカーヘッズが何も手に入れられないような状況。だから僕は、「誰も知らない僕だけのスニーカーが欲しい」と思ったんだ。履いていたら、「それ何?」「どこで手に入れたの?」と聞かれるようなものをね。

あえて「サンプル」と呼んだのは、〈Nike〉でのインターン経験も関係している。スニーカーにおいて、人々はその価値の大部分を「認識(パースペクティブ)」によって決める。だから、シューズの周りにあえてミステリアスな空気感や認識を作り上げたかったんだ。それに、僕は「カスタマイザー」になりたかったわけじゃない。インターンを終えたばかりの僕が目指していたのは、あくまでカラーデザインの領域で業界に入ることだった。だから「カスタマイザーとして依頼(コミッション)を受けよう」なんて気はさらさらなかったんだ。僕はただ自分のアイデアを提示したかった。

もし『Instagram』でこんな風にクレイジーな見た目のシューズが流れてきて、それが「カスタマイズされたもの」には見えず、まるで「工場からそのまま出てきた」ようなルックスだったらどうだろう? 文脈がわからないままそれを見た人は、想像を膨らませるはずだ。でも、そこに「カスタム」という言葉を添えた瞬間に、「ああ、ただのカスタムか」と切り捨てられてしまう。

今の僕なら、たとえ「カスタム」と言ったとしても、「LORENZ.OGのカスタムだ」という評価になるからいいけれど、当時はまだそんなオーラはなかったからね。だから最初は徹底してミステリアスでありたかった。偏見を持たずに、ただそのシューズ自体に注目してほしかったんだ。それに、僕自身もともとカスタムモデルは好きじゃなかったしね。僕は「OG(オリジナル)」至上主義で、カスタムモデルを履くこともなかった。「すべてはオリジナルのままであるべきだ」と考えていたタイプなんだ。だからこそ「カスタム」とは呼びたくなかった、というのも理由の一つだね。

あなたの染色の表現は“Dusk(ダスク)”や“Menta(メンタ)”、“Volcano(ボルケーノ)”など、さまざまなバリエーションがありますよね。現在何種類くらいラインアップしていますか? また、それぞれのストーリーを解説してください。

L:正確にいくつカラーウェイを作ったかは、自分でも把握しきれていないんだ。ただ、実際にゼロから創造したと言えるカラーウェイは、おそらく10種類程度だろうね。というのも、一度特定のカラーウェイとその制作プロセスを確立したら、僕はそれを異なるシューズで再解釈(リインタープリテーション)していくのが好きだからなんだ。

例えば、この列にあるのはすべて“Volcano”だけど、それぞれ見た目は違うでしょ? 彩度が違ったり、ベースとなるシューズが違ったりするから、受ける印象も変わってくる。あそこにあるのは“Dusk”だけど、これもまた別の“Dusk”なんだ。僕は、自分が世に出すカラーウェイに一貫性を持たせたいと考えている。

名前に関しては、自然界やこの世界の創造物からインスピレーションを得ているよ。目にした光景に心を動かされてデザインしたものもあれば、後から名前を付けたものもある。例えば、“Dusk”は夕暮れや日の出を見た時のあの感情を再現したかった。一方で、この“Raisin(レーズン)”と呼んでいるやつは、単に「レーズンみたいに見えるな」と思ったからそう名付けただけさ。

代表的なものを挙げるなら、僕の代名詞でもあり最も数多く手掛けてきた“Dusk”、それから“Menta”、“Volcano”、他にも“Leaf(リーフ)”というカラーウェイや、僕が応援しているサッカーチームにインスパイアされた“Lazio(ラツィオ)”がある。これはホワイトからスカイブルーへと変化するグラデーションが特徴だ。

『atmos』のために制作したモデルも“Dusk”のバリエーションの一つ。けれど、アッパー全体だけでなくエアユニット(バブル)まで染め上げているという点では、このシューズならではのユニークな仕上がりになっている。同じカラーウェイでも、数え切れないほどのバージョンが存在するんだ。

染色するベースモデルを選定する基準を教えてください。

L:基本的には、僕自身が普段から好んで履いているモデルを選んでいるよ。〈Nike〉Air Max 95は、人生でお気に入りの一足だね。それにAir Max 95は、デザイン自体に最初からグラデーションの要素が組み込まれているから、僕のスタイルとの相性が抜群なんだ。キャンバスとしての面積が広いのもいい。

素材のミックス加減が面白いモデルを選ぶこともある。例えば〈COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)〉とのコラボモデルのAir Max 95。あれは異なるファブリックがレイヤー状に重なっているから、染めることでシューズが持つ奥行きが、染める前よりもずっと強調されるんだ。

ヴァージルが手掛けた〈Off-White™(オフホワイト)〉コラボのAir Jordan 4やAir Max 90もそうだね。パーツごとに素材が違うから、染料の入り方もそれぞれ異なる。例えば、プラスチック部分は色が濃く(サチュレーションが強く)出るけれど、ヌバックは対照的に柔らかい質感になる。そしてリップストップやネクストスキンのようなナイロン系の素材は、鮮烈に発色する。

染色することでシューズに新たな命が吹き込まれ、元々のデザインの素晴らしさが改めて浮き彫りになるんだ。それが僕のやりたいこと。だから今、将来のコラボレーションや自分自身のオリジナルシューズを構想するときも、「染めたときにどれだけ表情が飛び出してくるか」という視点で常にデザインを考えるようになっているよ。

特に思い入れのあるのはどのモデルですか?

L:お気に入りの一つは、この〈Off-White™〉x Air Max 90。こいつは最高にクールだ。あとは、このAir Max 360。このバブル(エアユニット)がとにかくヤバい。本当に綺麗に染まるんだ。最近はあまり見かけなくなったモデルだけど、僕は大好きだね。スウッシュの染まり具合も最高だし、フォーム素材や何種類もの異なるファブリック……そのすべてが混ざり合っているのがたまらないよ。

ただ、一番のお気に入りを選ぶのは難しいな。その時々で変わるからね。でもあえて挙げるなら、去年(2025年)の4月のリリースの時に作った「F&F(フレンズ&ファミリー)」モデルはかなり気に入っている。それにはリフレクティブ(反射)コーティングも施してあるんだ。……まあ、結局のところ、自分の作ったものは全部好きなんだけどね(笑)。

ヴァージル・アブローとの出会いは僕のキャリアの分岐点

これまでにドレイク、リル・ヨッティ、ヴァージル・アブローのために作品を制作していますよね? 彼らとの印象的なエピソードは何かありますか。

L:ああ、彼らとの出会いは本当に不思議な体験だったよ。2020年の3月に活動を始めたんだけど、投稿を始めてから1ヶ月もしないうちに、ドレイクのマネージャーから連絡が来て、「彼のために5足作ってくれないか」と頼まれたんだ。スニーカーの制作を始めたばかりで、お金もなければ経験もほとんどなかった僕が、いきなりドレイクのためにシューズを作ることになった。あの瞬間、「楽しい趣味」の段階から、これに人生の全神経を集中させて、一過性のプロジェクトではなく長く続くものにしていかなければならないという覚悟に変わったんだ。

リル・ヨッティとの仕事も最高だった。彼は真のスニーカーヘッズだからね。とにかく僕が作ったものは全部欲しがってくれたよ。彼に直接会ってシューズを渡すことができたんだけど、一足一足をじっくり眺めて、目を輝かせて興奮している姿を見て本当にクールだと思った。

そして、ヴァージルに僕を紹介してくれたのも彼なんだ。僕がヨッティのために作った〈Off-White™〉x Air Jordan 5の写真を彼がヴァージルに送ったら、ヴァージルが「ヤバいな、これ」と反応して、僕のアカウントをフォローしてくれた。それからすぐに連絡を取り合うようになって、それからの3ヶ月間は本当に四六時中話をしていたよ。

ヴァージルは僕の作品を心底気に入ってくれた。実はここにあるこの一足、〈COMME des GARÇONS〉x Air Max 95はまさにヴァージルのために作ったものなんだ。彼のサイズであるUS12。彼が僕にリクエストしたのは、この一足だけだった。当時、Air Max 95は今ほど大きなトレンドではなかったし、ヴァージルがAir Max 95を履いているのも見たことがなかったから、彼がすでにその方向性に注目していたのはすごく興味深かったね。

ヴァージルと直接話し、色々なことについて彼の意見を聞いたり、アドバイスを求めたりできたことは、信じられないような経験だった。彼はとにかくレスポンスが早くてね。メッセージを送れば、すぐに「入力中…」の表示が出て、即座に返信が来るんだ。実は、“PATENTED COLORSCHEMES®”というフレーズを考案したのも彼なんだよ。彼はまさに天才だった。

だから、彼が亡くなった時は……本当に突然で、あまりにも予期せぬことだったから、受け入れるのがとても難しかった。ようやく彼に出会えて、公私ともにサポートを受けられるようになった矢先のことだったから。でも今振り返ると、あのタイミングで彼と繋がれたことに心から感謝している。もしあの時じゃなければ、彼と交流することは二度と叶わなかったわけだから。

ヴァージルは僕の視野を大きく広げてくれた。スニーカーから離れるのではなく、スニーカーの「先」にあるものを見るように背中を押してくれたのも彼だ。そのおかげで、フットウェア以外の分野、例えばアウターウェアのデザインや他のブランドとの仕事にも踏み出すことができた。僕のキャリアにおいて、間違いなく最も重要な分岐点だったと言えるね。

『atmos』のために制作した Air Max 95 “Dusk” には、自分の持てる力をすべてを注ぎ込んだ

『atmos』とコラボレーションすることになった経緯を教えてください

L:2年前、僕がロンドンでAir Max 95をリリースした時、共通の知人を介して『atmos』の小島(奉文)さんから連絡があったんだ。彼は一足手に入れようとしてくれていた。その後、約半年前に〈Umbro(アンブロ)〉と〈BEAMS(ビームス)〉との仕事で来日した際、小島さんや『atmos』チームと実際に会うことができた。彼らとの対話は本当に素晴らしいものだったよ。オフィスを訪ねて、彼らが長年積み上げてきた仕事のアーカイブを目にできたのは最高だった。ロンドン出身の僕にとって、『atmos』はまさに「神話」的なショップの一つだからね。コラボレーションの数々はいつも驚異的だし、その歴史はあまりに豊かだ。

実を言うと、直接会う前から一緒に仕事をすることについては話をしていたんだ。ただ当時は、別のシューズブランドと組み始めようとしていたタイミングでもあって。でも実際に彼らと対面した時、僕は「やっぱりNikeとプロジェクトをやりたい」という自分の夢を正直に伝えた。彼らは最初「うーん、それは難しいかもしれない」という反応だったけど、「分かった。でもとにかくトライしてみよう」と言ってくれたんだ。業界のレジェンド(OG)である彼らの意見を聞けたのは、僕にとって大きな意味があった。若くして独立した立場でこの業界を渡り歩くのは、かなりハードな挑戦だからね。

そこから先の交渉は彼らに任せたんだけど、どうやってこのプロジェクトの承認を得たのか、僕にも分からない。これは多くの意味で「ゲームチェンジ」になるはずだ。前例のない試みだからね。人々がこれをどう受け止めるのか、今から楽しみで仕方ないよ。この一足を手に入れるためだけに、イギリスから東京へ向かっている人たちがいるという話もすでに耳にしているんだ。

そんなわけで、小島さんが僕の活動に興味を持ってくれたところから、このコラボレーションはとても自然に始まった。彼らは僕が何をしたいのかを熱心に聞いてくれたし、それを実現するために最大限の配慮をしてくれた。本当に心から感謝しているよ。

今回の限定モデルのコンセプト、日本の国旗などのデザイン・ディテールを説明してもらえますか。

L:日本の国旗のディテールが生まれた経緯なんだけど……実は4年ほど前に制作したAir Force 1が元になっているんだ。当時ベースとなるAF1を50足ほど買い込んで、ヒールの部分だけにグラデーションを入れた。これが僕が今のスタイルで一番最初に作ったモデルなんだよ。

このAF1はずっと手元に置いてあったんだけど、ある時「いつかこれを日本限定のリリースにしたい」と決めたんだ。それで、日本へのオマージュを示すディテールを入れたら最高じゃないかと思いついた。これは『atmos』と繋がるずっと前の話だよ。だから、そのアイデアが今こうして現実のものになったのは、なんだか不思議な縁を感じるね。

今回のプロジェクトを進める中でその時のディテールを思い出して、「今後、日本でリリースするものにはすべて日本への敬意を込めた要素を入れよう」と考えた。今回だけでなく、これからも日本での展開は続くだろうからね。「じゃあ、日本の国旗はどこに入れるべきか?」と考えたとき、シュータンが唯一、スペースとしても意味としても完璧にハマったんだ。

それに、こういう小さなディテールこそが、このシューズをみんなの記憶に刻み込んでくれる。「LORENZ.OGによる日本限定の“Dusk”」として語り継がれるための大きなフックになるから。これまでに作った他のペアと同じようには見せたくなかったし、この一足をより特別なものにするための意味を持たせたかったんだ。

エアユニットのグラデーション染めにしてもそうだけど、これをやるのは普通のグラデーションを作るのに比べて、3倍以上の手間がかかる。でも、今回のチャンスを手にしたとき、自分の「奥の手(Big guns)」をすべて出し切るべきだと思ったんだ。みんなが今まで見た中で最高のシューズにするために、できることはすべてやらなきゃいけないってね。

だって、東京で『atmos』と一緒にAir Max 95を発表できるなんて、そうそうあることじゃない。Air Max 95というモデル、日本という場所、そして『atmos』。これ以上の舞台設定はないだろう? プレッシャーというよりは、「これが自分のキャリアで最高のリリースでなければならない」という強い使命感を感じたんだ。だから、自分の持てる力をすべてを注ぎ込み、このシューズに最大限の価値を与えたかった。

仕上がりには本当に、心から満足しているよ。個人的にも、これまでで最も力強いリリースになったと確信している。……ただ、正直なところ「なんて時間がかかるんだ」と頭を抱える自分もいるけどね(笑)。納品までのスケジュールがかなりタイトだから、あと数日はまともに眠れそうにないよ。

現在進行しているプロジェクトや、今後やってみたい事などを教えてください。

L:現在は〈Umbro〉と新たなプロジェクトを進行している。今回はヨーロッパの〈Umbro〉との取り組みだ。前回のプロジェクトは〈Umbro Japan〉限定だったから、他の地域ではリリースできなかったんだけどね。フットウェアに関しては、今は特定のブランドと契約を結んだりはせず、あらゆる可能性に対してオープンな状態でいたいと思っている。そして何より、このプロジェクトが終わった後には、妻との間に第一子が生まれる予定なんだ。だから、今はそれが僕の「メインプロジェクト」だと言えるね(笑)。

ここ2、3ヶ月は、リバプールでの“Volcano”のリリースや、今回の〈atmos〉との東京限定モデルの準備でとにかく働き詰めだった。だからこれからは、あらゆるブランドと対話をして、彼らが僕の表現をどれだけプロダクトに落とし込めるかを見極めていきたい。多くのブランドと話すつもりだけど、フットウェアのプロジェクトについて将来的にどうなるかは、まだ自分でも分からないな。

それから、いくつかのアウターウェアブランドとも動いているし、一緒にやりたいと思っているところもある。例えば、僕が大好きな〈DESCENTE ALLTERRAIN(デサント オルテライン)〉という素晴らしい日本のブランドがあるんだけど、彼らとも何か面白いことができればいいなと願っているよ。

最後に、若いクリエーターへアドバイス、メッセージをいただけますか。

L:すべての若いクリエイターに伝えたいのは、まず第一に、自分が愛するもの、興味があるもの、そして「いつか辿り着きたい場所」のすぐ近くに身を置き、その環境にどっぷりと浸かることだ。そして、もし何かを作りたい、あるいは世の中に見せたいものがあるなら、「完璧なアイデア」なんて求めなくていい。とにかく作り始めること。ただ行動に移すんだ。自分のために作る、というのでもいい。完成度のプレッシャーに押しつぶされる必要はないよ。そんなものは最初から存在しないんだから。

それよりも「プロセス」を楽しみ、学びを楽しむこと。若いうちに「失敗」を経験しておくのは、とても良いことだ。失敗すればするほど、学びのスピードは速くなる。僕だって、初めてシューズを染めた時にいきなりこんな作品が作れたわけじゃない。最初の半年間で100足近く染め続けたからこそ、早く上達できたんだ。もちろん、失敗したひどい出来の100足は誰にも見せていないよ。みんなに見せたのは、うまくいったものだけさ。でも、その失敗こそがプロセスの鍵なんだ。若いうちにリスクを取ってほしい。年を重ねてからリスクを取るのは、どんどん難しくなっていくからね。そして、とにかく楽しんでほしい。自分が愛することをやるんだ。そして自分が好きなものを作る。それが結果として君自身の世界の見方や「オーセンティシティ(正統性・自分らしさ)」を証明することになる。

今の時代、『Instagram』やメディアを通じてあまりにも多くの情報を消費してしまうから、オリジナルのアイデアを持つのは時にすごく難しい。けれど、自分自身と深く向き合い、自分のためにものづくりをしていれば、それは誰にも真似できないものになる。君以上に「君自身」を表現できる人間は、この世にいないのだから。


AIR in colour atmos
開催日程:2026年4月25日(土)・26日(日)
会場:​atmos千駄ヶ谷店
住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷3-16-9
内容:
・特別制作 Air Max 95の展示
・過去作品/新作展示
・LORENZ.OG本人の在廊(予定)
入場:
4月25日(土):一般公開(入場無料)
4月26日(日):事前応募抽選制の招待イベント開催(抽選受付は終了しました。)
特設ページ

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ここ数年、カスタムスニーカーのコミュニティは飛躍的に拡大し、ユニークなアプローチで話題になるクリエーターたちが無数に存在する。その中でも、独自のスタイルで多くのクリエーターから支持を得ているのが、LORENZ.OG(ロレンツ.OG)ことロレンツォ・G・フェデリチ(Lorenzo G. Federici)だ。

ロンドンを拠点に活動するロレンツォは、独学で身につけた染色技術を用いてスニーカーを制作するアーティスト。彼の手によって美しいグラデーションを纏ったシューズは、単なるカスタムの域を超え、アート作品と呼べるほどの完成度を誇る。ロレンツォの作品はドレイク(Drake)やリル・ヨッティ(Lil Yachty)、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)といったトップアイコンをも魅了し、世界中のスニーカーヘッズがその「サンプル」を切望する存在にまで登り詰めた。

そんなロレンツォが『atmos(アトモス)』とタッグを組み、エキシビジョン “AIR in colour atmos”を2026年4月25日(土)・26日(日)の2日間にわたって東京『atmos千駄ヶ谷』にて開催する。今回のエキシビジョンでは、本企画のために制作されたAir Max 95 “Dusk”を中心に、過去の代表作や未発表作品を展示。また、2日目には招待制のトークイベントも実施し、彼の掲げる“AIR in colour”の思想を包括的に体験できる貴重な機会となっている。

『Hypebeast』では、本エキシビジョンのために来日したロレンツォにインタビューを敢行。『atmos』のためのAir Max 95を制作中に、キャリアの原点から自身のデザイン哲学、今回のプロジェクト、スニーカーカルチャーへの想いまで語ってくれた。


2018年の Nike On Air デザインコンテストがきっかけで、スニーカーのデザインを追求し続けようと決心した

Hypebeast:あなたが最初にスニーカーカルチャーに興味を持ったのはいつ、何がきっかけでしたか?

Lorenzo G. Federici(以下、L):僕がスニーカーカルチャーにのめり込んだのは、13歳の頃だった。何か特定のきっかけがあったわけではないんだ。ロンドン郊外で育つと、まだその文化がどういうものかを理解する前から、スニーカーが常に身近にある環境だったからね。ただ、若いうちに初めてスニーカーのイベントやコンベンションに足を運んだことで、「スニーカーを中心とした巨大なサブカルチャーが存在するのか」と、文字通り目を開かされる思いがしたよ。僕が行ったのは『Crepe City(クレープ・シティ)』というイベントで、今でも続いているんだ。そのイベントで膨大な数のモデルやカラーウェイ、なかには10年前のものや僕が生まれる前のシューズまでを目にして、すっかり心を奪われてしまったんだ。

もともと僕は何かを「収集」することに惹かれるタイプだった。スニーカーにハマる前はプロダクト全般に興味があって、当時はサッカーに明け暮れていたからサッカースパイクをよく買っていた。その頃からどのカラーウェイを選ぶかにはすごくこだわっていた。だから、中学校に進学して自分の服装を意識するようになり、サッカースパイクからスニーカーへと関心が移っていったのは、僕にとってごく自然な流れだったんだ。

スニーカーのカスタムを始めたのはいつ頃ですか?

L:本格的に活動を始めたのは、ロックダウンが始まった2020年の3月頃。それまではオランダのヒルフェルスムにある〈Nike(ナイキ)〉でインターンをしていたんだけど、当時はあまりハッピーな状況じゃなくて、ホームシックにもなっていた。そんな時にロックダウンが始まり、地元へ帰ってリモートでインターンを継続できることになったんだ。家に戻り、自分が最もリラックスできる環境に身を置いたことで、逆に「自分は本当に今の状況に満足していないんだ」という事に気づいた。それが自分の進むべき方向を問い直すきっかけになったんだ。

それまでの僕は非常に分析的な役割(アナリティカル・ロール)を担っていたけれど、〈Nike〉でカラーデザインのチームと接する機会があり、彼らに強いインスピレーションを受けていた。サンプルを間近で見られる環境にいたことで、自分もその分野に入りたいと強く思うようになったんだけど、どうすればいいのか分からなかったんだ。

ロックダウンのおかげで時間はたっぷりあったから、インターンを辞める決心をした。当初は、フットウェアを染めることをキャリアや仕事、あるいは「プロジェクト」にしようという意図なんて全くなかったんだ。ただ自分や友人のために、面白いシューズを作って楽しんでいただけさ。当時は誰もが実験をする時間を持っていて、プレッシャーも少なく、みんなが『Instagram』をチェックしていた。だから僕がシューズの写真を投稿すると、すぐに大きな反響があったんだ。それが追い風となって、僕は自分の技術を磨き、色を通じて自分を表現する新しい方法を模索し続けることに専念するようになった。

ところで、2018年にNike On Airデザインコンテストに参加したそうですね。その時はどんなデザインを提出したか覚えていますか?

L:あのコンペティションは、僕にとって本当に大きな転機だった。まだ17か18歳だったけれど、初めて〈Nike〉という組織の内側に触れた瞬間だったから。〈Nike〉のデザイナーたちの話を聞けたし、スケプタ(Skepta)も参加者の中に混じって僕らの話に耳を傾けてくれた。自分の人生で初めて「デザイン」というものを意識し、シューズの背景にある「ストーリー」について考え抜いた経験だったよ。僕のアイデアは「ロンドン」をコンセプトにしたもので、それを街角にあるコーナーショップ(個人経営の売店)やコンビニを通じて表現しようとしたんだ。

これが当時のデザイン案。コーナーショップのイメージや、その時に撮ったポラロイドも残っている。デザイン自体は〈Nike〉Air Max 97の“PlayStation(プレイステーション)”モデルからかなりインスピレーションを受けているんだ。パテントレザーのマッドガードがあって、その上のカラーパーツはリフレクティブ素材にするつもりだった。コーナーショップに入ったとき、棚に並んだ缶飲料が光に照らされている、あの光景を表現したかったんだ。ソールの配色も、実はさりげなく“Fanta(ファンタ)”のカラーリングをリファレンスにしていたりするんだよ。

クールなデザインですね。

L:ありがとう。実は、このコンペの結果はかなり物議を醸すものだったんだ。デザイン案を提出してから1ヶ月後に5人のファイナリストが発表されたんだけど、一般投票が始まったのを見て驚いたよ。ファイナリストうちの一人のアイデアが、僕のものとそっくりだった。その子は僕が隣に座っていた時に伝えたアイデアを、自分のものとして提示していたんだ。結局、彼女が優勝してしまったんだよね。彼女の元のアイデアを知っていたからこそ、「自分の考えたことが現実に優勝してしまったんだ」と、なんとも不思議な感覚に陥ったよ。

どういう事ですか?

L:つまり……その子が僕のアイデアを盗んだのか、あるいはシューズを制作していたチーム側が、ある参加者の案をより良くするために別の優れたアイデア(ロレンツォの案)を掛け合わせようとしたのか、その真相は分からない。というのも、完成したシューズ自体のルックスは僕のデザインとは別物だったからね。共通していたのは、「ストーリーテリング」の部分だったんだ。シューズ自体の見た目はそれほど似ていなかったけれど、細部を掘り下げると、首をかしげたくなるようなディテールがいくつかあったのも確か。ただ正直なところ、あの段階でそういった経験しておいて良かったと思っている。というのも、今やスニーカー界を見渡せば、僕の仕事から直接的な影響を受けたと分かるものが毎週のように現れるからね。あの出来事は、その後に起こることの前触れだったんだ。結局のところ、アイデアのコピーや模倣は、この業界において避けられない事なんだろうね。

あのコンペにはそんなエピソードがあったんですね。

L:でも、あの経験こそがすべての始まりだった。あの状況に対して感じたフラストレーションが、僕の心の中に「スニーカーのデザインを追求し続けなければならない」という火を灯したんだ。自分のアイデアは優勝するに値するものだったという確信が、次へ進むための原動力になった。それからの僕は、〈Nike〉で働くことだけを唯一の目標にして、全神経をそこに集中させた。まずは地元のファクトリーストアの店員として働き始めて、そこから約1年後に念願だった欧州本社でのインターンシップを勝ち取ることができたんだ。まさに夢が叶った瞬間だったよ。

人生で望んでいたのは、それだけだった。でも、皮肉なものさ。いざインターンを始めてみると、わずか2ヶ月で「自分には無理だ」と思うようになったんだ。当時の僕には、どうしても馴染めない環境だったのさ。慣れない国での一人暮らしという厳しさもあったけれど、それでも素晴らしい経験だったし、その後の僕の活動すべてを形作ることになった。〈Nike〉の内部に入り、自分の目で様々なものを見たことは本当に大きかった。ただ、インターンを終えた瞬間はある種の「敗北感」に近いものを感じていたのも事実だ。「これほど大きなチャンスは二度と巡ってこないかもしれない」という恐怖さえあった。だからこそ、今度は誰かに与えられるのではなく、自分自身でチャンスを作り出さなければならないと強く心に決めたんだ。

僕にとっては「プロセス」こそがデザインの最も重要な要素

スニーカーの染色を行うようになった経緯、あなたの思想 “AIR in colour”のバックグラウンドを教えてください。

L:2020年にシューズを染め始めた当初、インスピレーション源になったのは〈A-COLD-WALL*(ア コールド ウォール)〉のサミュエル・ロス(Samuel Ross)の仕事だった。彼はランウェイのサンプルのAir Force 1をハンドダイ(手染め)で制作していたし、Vomero(ボメロ)のプロジェクトでも余剰在庫を別のカラーウェイに染め上げていたんだ。

僕がやりたかったのは、自分自身の「デザイン言語」を作り出すこと。僕が好きなスニーカー、特にコラボレーションモデルを手掛けるクリエイターたちには、必ず共通の言語があった。そのシューズを見た瞬間、ブランド名を確認するまでもなく「誰がデザインしたか」が分かるんだ。生粋のスニーカーヘッズとして、僕はその重要性を強く意識していた。

グラデーションで染めるという独自のプロセスは、実はとても自然に生まれたものなんだ。「かっこいい」と思える形にシューズを変化させようとしたとき、色でできることには限りがある。ただ一色に染めるだけじゃつまらない。どれだけ劇的に変えられるか、どれだけ価値を付加できるか。そう考えたとき、もともと好きだったグラデーションを試してみるのは、僕にとってごく自然な流れだった。

それが驚くほどうまくいったんだ。染め始めてからわずか2週間で、自分の手の中にあるシューズを見て「こんなの今まで見たことがない」と確信したよ。その時の喜びといったら……とにかく自分で履きたいし、みんなに見せたくて仕方がなかった。その感覚が中毒になって、もっと作りたいという衝動に駆られたんだ。

独自のプロセスを開発したことで、僕の作品はどれも一貫した表情を持つようになった。もはや「自分のスタイルをどう作るか」と悩む必要さえなかった。プロセスが同じなら、アウトプットも自ずと僕らしいものになるからね。〈C.P. Company(シーピー カンパニー)〉や〈Stone Island(ストーン アイランド)〉をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれない。彼らも独自のプロセスを開発し、それを追求している。彼らは「プロセス主導型」で、最終的なプロダクトがどうなるか、完全には予測できないまま進めているんだ。

僕の仕事も全く同じ。最初から完璧な完成図を思い描いているわけじゃない。自分が信頼するプロセスにシューズを委ねるだけ。そうすると、自分でも予想していなかったようなディテールが、結果としてそのシューズの最高の見どころになることがよくある。だからこそ、僕は「プロセス」に全神経を集中させている。「プロセス」こそが、僕のデザイン言語を揺るぎないものにしてくれるからね。

あなたは自身の作品のことを「カスタム」ではなく、「サンプル」と呼んでいますよね。それは何故でしょう?

L:それにはいくつか理由があるよ。まず第一に、僕のモチベーションは人々の好奇心を刺激し、会話のきっかけになるようなペアを作ることだった。13歳でスニーカーにハマったとき、僕が惹かれたのは「学校の誰も正体を知らないシューズ」だったんだ。そういうレアなものや、誰も知らない無名なものを探すのが好きだったし、かつてのスニーカーカルチャーでは、そういった「知る人ぞ知る一足」を求めるのはごく一般的なテーマだった。

ところが、2019年から2020年にかけて、僕は当時の状況にひどく幻滅してしまったんだ。いわゆる「ハイプスニーカー」は、手に入れるのが完全に不可能である一方で、『StockX』のようなアプリを使えば金次第で誰でも買えてしまう。『Instagram』を開けば、お金や影響力、フォロワーがある人間なら何でも手に入れられるのに、真のスニーカーヘッズが何も手に入れられないような状況。だから僕は、「誰も知らない僕だけのスニーカーが欲しい」と思ったんだ。履いていたら、「それ何?」「どこで手に入れたの?」と聞かれるようなものをね。

あえて「サンプル」と呼んだのは、〈Nike〉でのインターン経験も関係している。スニーカーにおいて、人々はその価値の大部分を「認識(パースペクティブ)」によって決める。だから、シューズの周りにあえてミステリアスな空気感や認識を作り上げたかったんだ。それに、僕は「カスタマイザー」になりたかったわけじゃない。インターンを終えたばかりの僕が目指していたのは、あくまでカラーデザインの領域で業界に入ることだった。だから「カスタマイザーとして依頼(コミッション)を受けよう」なんて気はさらさらなかったんだ。僕はただ自分のアイデアを提示したかった。

もし『Instagram』でこんな風にクレイジーな見た目のシューズが流れてきて、それが「カスタマイズされたもの」には見えず、まるで「工場からそのまま出てきた」ようなルックスだったらどうだろう? 文脈がわからないままそれを見た人は、想像を膨らませるはずだ。でも、そこに「カスタム」という言葉を添えた瞬間に、「ああ、ただのカスタムか」と切り捨てられてしまう。

今の僕なら、たとえ「カスタム」と言ったとしても、「LORENZ.OGのカスタムだ」という評価になるからいいけれど、当時はまだそんなオーラはなかったからね。だから最初は徹底してミステリアスでありたかった。偏見を持たずに、ただそのシューズ自体に注目してほしかったんだ。それに、僕自身もともとカスタムモデルは好きじゃなかったしね。僕は「OG(オリジナル)」至上主義で、カスタムモデルを履くこともなかった。「すべてはオリジナルのままであるべきだ」と考えていたタイプなんだ。だからこそ「カスタム」とは呼びたくなかった、というのも理由の一つだね。

あなたの染色の表現は“Dusk(ダスク)”や“Menta(メンタ)”、“Volcano(ボルケーノ)”など、さまざまなバリエーションがありますよね。現在何種類くらいラインアップしていますか? また、それぞれのストーリーを解説してください。

L:正確にいくつカラーウェイを作ったかは、自分でも把握しきれていないんだ。ただ、実際にゼロから創造したと言えるカラーウェイは、おそらく10種類程度だろうね。というのも、一度特定のカラーウェイとその制作プロセスを確立したら、僕はそれを異なるシューズで再解釈(リインタープリテーション)していくのが好きだからなんだ。

例えば、この列にあるのはすべて“Volcano”だけど、それぞれ見た目は違うでしょ? 彩度が違ったり、ベースとなるシューズが違ったりするから、受ける印象も変わってくる。あそこにあるのは“Dusk”だけど、これもまた別の“Dusk”なんだ。僕は、自分が世に出すカラーウェイに一貫性を持たせたいと考えている。

名前に関しては、自然界やこの世界の創造物からインスピレーションを得ているよ。目にした光景に心を動かされてデザインしたものもあれば、後から名前を付けたものもある。例えば、“Dusk”は夕暮れや日の出を見た時のあの感情を再現したかった。一方で、この“Raisin(レーズン)”と呼んでいるやつは、単に「レーズンみたいに見えるな」と思ったからそう名付けただけさ。

代表的なものを挙げるなら、僕の代名詞でもあり最も数多く手掛けてきた“Dusk”、それから“Menta”、“Volcano”、他にも“Leaf(リーフ)”というカラーウェイや、僕が応援しているサッカーチームにインスパイアされた“Lazio(ラツィオ)”がある。これはホワイトからスカイブルーへと変化するグラデーションが特徴だ。

『atmos』のために制作したモデルも“Dusk”のバリエーションの一つ。けれど、アッパー全体だけでなくエアユニット(バブル)まで染め上げているという点では、このシューズならではのユニークな仕上がりになっている。同じカラーウェイでも、数え切れないほどのバージョンが存在するんだ。

染色するベースモデルを選定する基準を教えてください。

L:基本的には、僕自身が普段から好んで履いているモデルを選んでいるよ。〈Nike〉Air Max 95は、人生でお気に入りの一足だね。それにAir Max 95は、デザイン自体に最初からグラデーションの要素が組み込まれているから、僕のスタイルとの相性が抜群なんだ。キャンバスとしての面積が広いのもいい。

素材のミックス加減が面白いモデルを選ぶこともある。例えば〈COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)〉とのコラボモデルのAir Max 95。あれは異なるファブリックがレイヤー状に重なっているから、染めることでシューズが持つ奥行きが、染める前よりもずっと強調されるんだ。

ヴァージルが手掛けた〈Off-White™(オフホワイト)〉コラボのAir Jordan 4やAir Max 90もそうだね。パーツごとに素材が違うから、染料の入り方もそれぞれ異なる。例えば、プラスチック部分は色が濃く(サチュレーションが強く)出るけれど、ヌバックは対照的に柔らかい質感になる。そしてリップストップやネクストスキンのようなナイロン系の素材は、鮮烈に発色する。

染色することでシューズに新たな命が吹き込まれ、元々のデザインの素晴らしさが改めて浮き彫りになるんだ。それが僕のやりたいこと。だから今、将来のコラボレーションや自分自身のオリジナルシューズを構想するときも、「染めたときにどれだけ表情が飛び出してくるか」という視点で常にデザインを考えるようになっているよ。

特に思い入れのあるのはどのモデルですか?

L:お気に入りの一つは、この〈Off-White™〉x Air Max 90。こいつは最高にクールだ。あとは、このAir Max 360。このバブル(エアユニット)がとにかくヤバい。本当に綺麗に染まるんだ。最近はあまり見かけなくなったモデルだけど、僕は大好きだね。スウッシュの染まり具合も最高だし、フォーム素材や何種類もの異なるファブリック……そのすべてが混ざり合っているのがたまらないよ。

ただ、一番のお気に入りを選ぶのは難しいな。その時々で変わるからね。でもあえて挙げるなら、去年(2025年)の4月のリリースの時に作った「F&F(フレンズ&ファミリー)」モデルはかなり気に入っている。それにはリフレクティブ(反射)コーティングも施してあるんだ。……まあ、結局のところ、自分の作ったものは全部好きなんだけどね(笑)。

ヴァージル・アブローとの出会いは僕のキャリアの分岐点

これまでにドレイク、リル・ヨッティ、ヴァージル・アブローのために作品を制作していますよね? 彼らとの印象的なエピソードは何かありますか。

L:ああ、彼らとの出会いは本当に不思議な体験だったよ。2020年の3月に活動を始めたんだけど、投稿を始めてから1ヶ月もしないうちに、ドレイクのマネージャーから連絡が来て、「彼のために5足作ってくれないか」と頼まれたんだ。スニーカーの制作を始めたばかりで、お金もなければ経験もほとんどなかった僕が、いきなりドレイクのためにシューズを作ることになった。あの瞬間、「楽しい趣味」の段階から、これに人生の全神経を集中させて、一過性のプロジェクトではなく長く続くものにしていかなければならないという覚悟に変わったんだ。

リル・ヨッティとの仕事も最高だった。彼は真のスニーカーヘッズだからね。とにかく僕が作ったものは全部欲しがってくれたよ。彼に直接会ってシューズを渡すことができたんだけど、一足一足をじっくり眺めて、目を輝かせて興奮している姿を見て本当にクールだと思った。

そして、ヴァージルに僕を紹介してくれたのも彼なんだ。僕がヨッティのために作った〈Off-White™〉x Air Jordan 5の写真を彼がヴァージルに送ったら、ヴァージルが「ヤバいな、これ」と反応して、僕のアカウントをフォローしてくれた。それからすぐに連絡を取り合うようになって、それからの3ヶ月間は本当に四六時中話をしていたよ。

ヴァージルは僕の作品を心底気に入ってくれた。実はここにあるこの一足、〈COMME des GARÇONS〉x Air Max 95はまさにヴァージルのために作ったものなんだ。彼のサイズであるUS12。彼が僕にリクエストしたのは、この一足だけだった。当時、Air Max 95は今ほど大きなトレンドではなかったし、ヴァージルがAir Max 95を履いているのも見たことがなかったから、彼がすでにその方向性に注目していたのはすごく興味深かったね。

ヴァージルと直接話し、色々なことについて彼の意見を聞いたり、アドバイスを求めたりできたことは、信じられないような経験だった。彼はとにかくレスポンスが早くてね。メッセージを送れば、すぐに「入力中…」の表示が出て、即座に返信が来るんだ。実は、“PATENTED COLORSCHEMES®”というフレーズを考案したのも彼なんだよ。彼はまさに天才だった。

だから、彼が亡くなった時は……本当に突然で、あまりにも予期せぬことだったから、受け入れるのがとても難しかった。ようやく彼に出会えて、公私ともにサポートを受けられるようになった矢先のことだったから。でも今振り返ると、あのタイミングで彼と繋がれたことに心から感謝している。もしあの時じゃなければ、彼と交流することは二度と叶わなかったわけだから。

ヴァージルは僕の視野を大きく広げてくれた。スニーカーから離れるのではなく、スニーカーの「先」にあるものを見るように背中を押してくれたのも彼だ。そのおかげで、フットウェア以外の分野、例えばアウターウェアのデザインや他のブランドとの仕事にも踏み出すことができた。僕のキャリアにおいて、間違いなく最も重要な分岐点だったと言えるね。

『atmos』のために制作した Air Max 95 “Dusk” には、自分の持てる力をすべてを注ぎ込んだ

『atmos』とコラボレーションすることになった経緯を教えてください

L:2年前、僕がロンドンでAir Max 95をリリースした時、共通の知人を介して『atmos』の小島(奉文)さんから連絡があったんだ。彼は一足手に入れようとしてくれていた。その後、約半年前に〈Umbro(アンブロ)〉と〈BEAMS(ビームス)〉との仕事で来日した際、小島さんや『atmos』チームと実際に会うことができた。彼らとの対話は本当に素晴らしいものだったよ。オフィスを訪ねて、彼らが長年積み上げてきた仕事のアーカイブを目にできたのは最高だった。ロンドン出身の僕にとって、『atmos』はまさに「神話」的なショップの一つだからね。コラボレーションの数々はいつも驚異的だし、その歴史はあまりに豊かだ。

実を言うと、直接会う前から一緒に仕事をすることについては話をしていたんだ。ただ当時は、別のシューズブランドと組み始めようとしていたタイミングでもあって。でも実際に彼らと対面した時、僕は「やっぱりNikeとプロジェクトをやりたい」という自分の夢を正直に伝えた。彼らは最初「うーん、それは難しいかもしれない」という反応だったけど、「分かった。でもとにかくトライしてみよう」と言ってくれたんだ。業界のレジェンド(OG)である彼らの意見を聞けたのは、僕にとって大きな意味があった。若くして独立した立場でこの業界を渡り歩くのは、かなりハードな挑戦だからね。

そこから先の交渉は彼らに任せたんだけど、どうやってこのプロジェクトの承認を得たのか、僕にも分からない。これは多くの意味で「ゲームチェンジ」になるはずだ。前例のない試みだからね。人々がこれをどう受け止めるのか、今から楽しみで仕方ないよ。この一足を手に入れるためだけに、イギリスから東京へ向かっている人たちがいるという話もすでに耳にしているんだ。

そんなわけで、小島さんが僕の活動に興味を持ってくれたところから、このコラボレーションはとても自然に始まった。彼らは僕が何をしたいのかを熱心に聞いてくれたし、それを実現するために最大限の配慮をしてくれた。本当に心から感謝しているよ。

今回の限定モデルのコンセプト、日本の国旗などのデザイン・ディテールを説明してもらえますか。

L:日本の国旗のディテールが生まれた経緯なんだけど……実は4年ほど前に制作したAir Force 1が元になっているんだ。当時ベースとなるAF1を50足ほど買い込んで、ヒールの部分だけにグラデーションを入れた。これが僕が今のスタイルで一番最初に作ったモデルなんだよ。

このAF1はずっと手元に置いてあったんだけど、ある時「いつかこれを日本限定のリリースにしたい」と決めたんだ。それで、日本へのオマージュを示すディテールを入れたら最高じゃないかと思いついた。これは『atmos』と繋がるずっと前の話だよ。だから、そのアイデアが今こうして現実のものになったのは、なんだか不思議な縁を感じるね。

今回のプロジェクトを進める中でその時のディテールを思い出して、「今後、日本でリリースするものにはすべて日本への敬意を込めた要素を入れよう」と考えた。今回だけでなく、これからも日本での展開は続くだろうからね。「じゃあ、日本の国旗はどこに入れるべきか?」と考えたとき、シュータンが唯一、スペースとしても意味としても完璧にハマったんだ。

それに、こういう小さなディテールこそが、このシューズをみんなの記憶に刻み込んでくれる。「LORENZ.OGによる日本限定の“Dusk”」として語り継がれるための大きなフックになるから。これまでに作った他のペアと同じようには見せたくなかったし、この一足をより特別なものにするための意味を持たせたかったんだ。

エアユニットのグラデーション染めにしてもそうだけど、これをやるのは普通のグラデーションを作るのに比べて、3倍以上の手間がかかる。でも、今回のチャンスを手にしたとき、自分の「奥の手(Big guns)」をすべて出し切るべきだと思ったんだ。みんなが今まで見た中で最高のシューズにするために、できることはすべてやらなきゃいけないってね。

だって、東京で『atmos』と一緒にAir Max 95を発表できるなんて、そうそうあることじゃない。Air Max 95というモデル、日本という場所、そして『atmos』。これ以上の舞台設定はないだろう? プレッシャーというよりは、「これが自分のキャリアで最高のリリースでなければならない」という強い使命感を感じたんだ。だから、自分の持てる力をすべてを注ぎ込み、このシューズに最大限の価値を与えたかった。

仕上がりには本当に、心から満足しているよ。個人的にも、これまでで最も力強いリリースになったと確信している。……ただ、正直なところ「なんて時間がかかるんだ」と頭を抱える自分もいるけどね(笑)。納品までのスケジュールがかなりタイトだから、あと数日はまともに眠れそうにないよ。

現在進行しているプロジェクトや、今後やってみたい事などを教えてください。

L:現在は〈Umbro〉と新たなプロジェクトを進行している。今回はヨーロッパの〈Umbro〉との取り組みだ。前回のプロジェクトは〈Umbro Japan〉限定だったから、他の地域ではリリースできなかったんだけどね。フットウェアに関しては、今は特定のブランドと契約を結んだりはせず、あらゆる可能性に対してオープンな状態でいたいと思っている。そして何より、このプロジェクトが終わった後には、妻との間に第一子が生まれる予定なんだ。だから、今はそれが僕の「メインプロジェクト」だと言えるね(笑)。

ここ2、3ヶ月は、リバプールでの“Volcano”のリリースや、今回の〈atmos〉との東京限定モデルの準備でとにかく働き詰めだった。だからこれからは、あらゆるブランドと対話をして、彼らが僕の表現をどれだけプロダクトに落とし込めるかを見極めていきたい。多くのブランドと話すつもりだけど、フットウェアのプロジェクトについて将来的にどうなるかは、まだ自分でも分からないな。

それから、いくつかのアウターウェアブランドとも動いているし、一緒にやりたいと思っているところもある。例えば、僕が大好きな〈DESCENTE ALLTERRAIN(デサント オルテライン)〉という素晴らしい日本のブランドがあるんだけど、彼らとも何か面白いことができればいいなと願っているよ。

最後に、若いクリエーターへアドバイス、メッセージをいただけますか。

L:すべての若いクリエイターに伝えたいのは、まず第一に、自分が愛するもの、興味があるもの、そして「いつか辿り着きたい場所」のすぐ近くに身を置き、その環境にどっぷりと浸かることだ。そして、もし何かを作りたい、あるいは世の中に見せたいものがあるなら、「完璧なアイデア」なんて求めなくていい。とにかく作り始めること。ただ行動に移すんだ。自分のために作る、というのでもいい。完成度のプレッシャーに押しつぶされる必要はないよ。そんなものは最初から存在しないんだから。

それよりも「プロセス」を楽しみ、学びを楽しむこと。若いうちに「失敗」を経験しておくのは、とても良いことだ。失敗すればするほど、学びのスピードは速くなる。僕だって、初めてシューズを染めた時にいきなりこんな作品が作れたわけじゃない。最初の半年間で100足近く染め続けたからこそ、早く上達できたんだ。もちろん、失敗したひどい出来の100足は誰にも見せていないよ。みんなに見せたのは、うまくいったものだけさ。でも、その失敗こそがプロセスの鍵なんだ。若いうちにリスクを取ってほしい。年を重ねてからリスクを取るのは、どんどん難しくなっていくからね。そして、とにかく楽しんでほしい。自分が愛することをやるんだ。そして自分が好きなものを作る。それが結果として君自身の世界の見方や「オーセンティシティ(正統性・自分らしさ)」を証明することになる。

今の時代、『Instagram』やメディアを通じてあまりにも多くの情報を消費してしまうから、オリジナルのアイデアを持つのは時にすごく難しい。けれど、自分自身と深く向き合い、自分のためにものづくりをしていれば、それは誰にも真似できないものになる。君以上に「君自身」を表現できる人間は、この世にいないのだから。


AIR in colour atmos
開催日程:2026年4月25日(土)・26日(日)
会場:​atmos千駄ヶ谷店
住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷3-16-9
内容:
・特別制作 Air Max 95の展示
・過去作品/新作展示
・LORENZ.OG本人の在廊(予定)
入場:
4月25日(土):一般公開(入場無料)
4月26日(日):事前応募抽選制の招待イベント開催(抽選受付は終了しました。)
特設ページ

and integrate them seamlessly into the new content without adding new tags. Ensure the new content is fashion-related, written entirely in Japanese, and approximately 1500 words. Conclude with a “結論” section and a well-formatted “よくある質問” section. Avoid including an introduction or a note explaining the process.

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