Rewrite
音楽プロデューサー 藤原ヒロシ。その名をストリートウェアのディレクターとして認識する若い世代にとっては意外かもしれないが、彼のキャリアの原点はその肩書き通り“音楽”にある。1980年代前半、日本初のリミックスDJとして活動を始め、革新的なスタイルでシーンをリード。DJ出身音楽プロデューサーの先駆者として、多数のアーティストをプロデュースしてきた。〈Nike(ナイキ)〉や〈MONCLER(モンクレール)〉といった印象的なコラボレーションも、その多彩なディレクション力の背景には、この音楽的ルーツがある。
そして今回、〈CASIO(カシオ)〉とのコラボレーションにより、電子キーボードの〈fragment design(フラグメント デザイン)〉モデル Casiotone CT-S1 x FRAGMENTを発表した。“Sound for Style”を掲げ、音楽をより身近なものへと昇華させる〈CASIO〉の理念は、藤原のクリエイティブなビジョンと共鳴する。音楽とファッションの垣根を超え、新たな文化を生み出し続ける藤原ヒロシ。その根底にある“音楽”とのつながりとは?
Hypebeast:多彩な顔を持つヒロシさんが、肩書きを“音楽プロデューサー”にこだわる理由は何ですか?
藤原ヒロシ:実は全くこだわりはなくて、肩書きも聞かれなかったら名乗らないんだけど、「肩書き無しは困ります」と言われることが多いので、「じゃあ音楽プロデューサーで」と答えているだけなんです。僕的には音楽プロデューサーとも思っていないけど、デザイナーでもないし、クリエイターというのも大雑把だし、音楽プロデューサーが一番楽でいいかなと。それ以上深掘りされないから。
最初に音楽に興味を持ったきっかけを覚えていますか?
小学生の頃かな。姉のものだったのか家にギターがあって、それをつま弾いていました。あと、親戚からエレクトーンをもらったんです。うちは3姉弟なんだけど、誰かが習いに行かなきゃいけなくなって。姉たちは忙しかったので、僕が行かされることになりました。1年くらいで辞めちゃったけど。
1年で辞めた理由は?
面倒くさくなったんだと思うけど……。でもエレクトーンをやったおかげでコードが理解できるようになりました。ピアノは譜面を見て弾くけど、エレクトーンはギターと同じでコード進行とメロディーラインの構成なんです。だから譜面はいまだにほとんど読めないけど、コードだけはわかる。Cだったらド・ミ・ソとか。それだけはエレクトーンを習っていてすごく良かった。
エレクトーンの次に自発的に触れた楽器は何でしょうか?
他はギターくらいじゃないかな。あとはターンテーブルを楽器と捉えるかだけど。プロデューサー的な仕事をするようになり、レコーディングスタジオに行く機会が増えたら、そこにピアノが置いてあったりするから試しに弾いたりとか。
仕事としての最初の“音楽”は?
基本的にはDJ。DJをやるようになって、それに関連してリリックを書いたりするようになり、その延長でプロデュースをするようになった感じです。
最初にDJに興味を持ったのはいつですか?
ちゃんと見たのはロンドンだったかな。でもその前からテレビでも見たことはあった。もともと音楽が好きだったし、「これならできる」と思ったんです。ギターを弾いてバンドをやる感じでもなかったので。その頃ジャンルは違うけど、大貫憲章さんが『ロンドンナイト』というイベントをやっていて、大貫さんはロックで、その下の子たちがロカビリーをかけたりしていました。僕は『ロンドンナイト』ではほとんどDJをしたことはないけど、千駄ヶ谷にあったカフェバー(*ライズバー)で、いつもヒップホップのレコードをかけていましたね。
『ロンドンナイト』といえば、ヒロシさんは1982年に(『ロンドンナイト』が開かれていた)ツバキハウスの「ファッション&ヘアーコンテスト」で優勝して、初めてロンドン旅行に行くことになります。ロンドンで受けた影響はありますか?
たくさんあるけど、ロンドンでDJをしっかり見たのは大きかったです。ただ、ロンドンのクラブに行ったら、パンクみたいな音楽は一切かかってなかった。普通にディスコ。それが結構衝撃でした。
ヒロシさん自身はクラブで盛り上がる感じに見えないですけど……。
DJブースとフロアの環境は全く別だからね。DJは裏方なので、その裏方的なところが面白かった。僕らがDJをやっていた頃のクラブは今みたいに騒がしいものではなかったし、本当に大人の遊び場という感じでした。
その頃はCasiotone MT-40(*レゲエ界にデジタル革命をもたらしたリズムパターン“スレンテン”で知られる電子キーボード)を愛用されていたとか。
愛用というほどではないけど、レコーディングスタジオに行くと必ず置いてあったから、それでメロディーラインの確認をしていました。その頃、“スレンテン”をレゲエの人たちが好んで使っていたのも覚えているし、僕はそれを使いこなしていたわけじゃないけど、面白いキッチュなリズムパターンが入っていて面白かったですね。
ヒロシさんは作曲で、リズムパターンを使うこともあるんですか?
僕はずっとそういうプログラミングをしてくれるプロの人に、「こういう感じ」と指示していたから、実際には使っていなかったです。
当時(80年代)は、すでに音楽制作におけるディレクションも一般的だったんですか?
すでにあったと思う。もちろん、本格的に弾ける人がプロデュースやディレクションするというのは根強くあるんだけど、アイデアだけで勝負するみたいな人たちも何人かいて、僕もその中の一人だった。音楽理論で作った人たちとは全く違うから、新鮮だったのかもしれないね。サンプリングみたいな手法ってそれまでなかったものじゃない。DJっぽい作り方というか。それで意見がぶつかることもあったけど。
ヒロシさんがCASIOに抱く印象を教えてください。
もともとは電卓かな。時計はDATA BANK(データバンク)がすごく好きで、新作が出たらよく買っていました。他にも手書きで文字が入力できる電子手帳があったんですよ。そういうテクノロジーがすごく新しかったので、海外に持っていくとすごくウケが良かった。そこからG-SHOCK(ジーショック)につながっていくイメージですね。
今回のコラボレーションのオファーを受けた理由はありますか?
やっぱり家に楽器があるとすごくいい。僕も常にギターやキーボードを部屋に出しっぱなしにしているタイプで、楽器に触らない日はないです。寝る前やテレビを見ながらギターを弾くこともありますね。部屋に楽器を置いておくのは、おすすめですよ。
Casiotone CT-S1 x FRAGMENTは、スピーカーネットに配された千鳥格子柄が新鮮です。
何ができるか、できることを考えた結果なんです。キーボードにおいては1から何かを変えることは難しいし、鍵盤の色を変えてもいいけど、弾きづらくなる。だからやり過ぎるのも嫌だし、そのままだと物足りない。ロゴをつけるだけでは足りないし、限られた中で何が変えられるか、洋服を作る感覚で探しました。
楽器を弾くのが面白くなる瞬間っていつでしょう? スケートボードが最初はこけてばかりで辛いけど、乗れるようになった瞬間に楽しくなるような。
それに近いと思う。ギターもピアノも、何かの瞬間に「こういうことね」ってわかるときがあるんです。中学生くらいでギターを弾くようになって、大体簡単なコードでビートルズとかを歌うところから始まるんだけど、どこかのタイミングで一気に面白くなった。それはもしかしたらプロデュースするようになってからのことかもしれないし、あまり覚えていないけど、自分なりに「なるほどね」って理解できるようになった。そこからはずっと面白い気がします。
面白くなる前にやめることもありますか?
やめたいとは思わないけど、飽きるというのはあるかもしれない。その飽きた頃にまた違う面白さが見つかることもあるし。スケートボードもちょっと飽きたなと思ったらミニランプとかを始めてみたり。これ面白いなってなるように、うまく次の段階に出合えたら続くと思います。
ゲームみたいな感じですね。
そうだね。僕は結局、習い事じゃなくて、チュートリアルがあるようなゲームっぽいものの方が好きだし、向いている。楽器も習い事じゃなくて、自分でやる方がいい。だからキーボードも習わなくていいと思う。今ならYouTubeにやり方がいっぱい出ているだろうし、遊びの一つとして覚えていく方が楽しいと思います。
改めて、ヒロシさんは日々の生活の中で、音楽とどのように向き合っていますか?
音楽は日常の中に完全にあるもの。海外旅行に行くときも、できればギターを持っていきたい。ギターを預けることになるから、実際にはあまり持っていかないけど、もし2週間とか滞在することになるなら、現地の友達や知り合いのギター屋さんに借りることもあります。あと、MIDIキーボードというパソコンに繋げるキーボードがあるんだけど、それを結構持ち歩いたりしています。だから次はCASIOと一緒に、持ち運びできるMIDIキーボードを作りたいですね。
Casiotone CT-S1 x FRAGMENT
価格:71,500円(税込)
販売場所:『V.A.』(東京都渋谷区神宮前1-6-9)、公式オンラインストア
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音楽プロデューサー 藤原ヒロシ。その名をストリートウェアのディレクターとして認識する若い世代にとっては意外かもしれないが、彼のキャリアの原点はその肩書き通り“音楽”にある。1980年代前半、日本初のリミックスDJとして活動を始め、革新的なスタイルでシーンをリード。DJ出身音楽プロデューサーの先駆者として、多数のアーティストをプロデュースしてきた。〈Nike(ナイキ)〉や〈MONCLER(モンクレール)〉といった印象的なコラボレーションも、その多彩なディレクション力の背景には、この音楽的ルーツがある。
そして今回、〈CASIO(カシオ)〉とのコラボレーションにより、電子キーボードの〈fragment design(フラグメント デザイン)〉モデル Casiotone CT-S1 x FRAGMENTを発表した。“Sound for Style”を掲げ、音楽をより身近なものへと昇華させる〈CASIO〉の理念は、藤原のクリエイティブなビジョンと共鳴する。音楽とファッションの垣根を超え、新たな文化を生み出し続ける藤原ヒロシ。その根底にある“音楽”とのつながりとは?
Hypebeast:多彩な顔を持つヒロシさんが、肩書きを“音楽プロデューサー”にこだわる理由は何ですか?
藤原ヒロシ:実は全くこだわりはなくて、肩書きも聞かれなかったら名乗らないんだけど、「肩書き無しは困ります」と言われることが多いので、「じゃあ音楽プロデューサーで」と答えているだけなんです。僕的には音楽プロデューサーとも思っていないけど、デザイナーでもないし、クリエイターというのも大雑把だし、音楽プロデューサーが一番楽でいいかなと。それ以上深掘りされないから。
最初に音楽に興味を持ったきっかけを覚えていますか?
小学生の頃かな。姉のものだったのか家にギターがあって、それをつま弾いていました。あと、親戚からエレクトーンをもらったんです。うちは3姉弟なんだけど、誰かが習いに行かなきゃいけなくなって。姉たちは忙しかったので、僕が行かされることになりました。1年くらいで辞めちゃったけど。
1年で辞めた理由は?
面倒くさくなったんだと思うけど……。でもエレクトーンをやったおかげでコードが理解できるようになりました。ピアノは譜面を見て弾くけど、エレクトーンはギターと同じでコード進行とメロディーラインの構成なんです。だから譜面はいまだにほとんど読めないけど、コードだけはわかる。Cだったらド・ミ・ソとか。それだけはエレクトーンを習っていてすごく良かった。
エレクトーンの次に自発的に触れた楽器は何でしょうか?
他はギターくらいじゃないかな。あとはターンテーブルを楽器と捉えるかだけど。プロデューサー的な仕事をするようになり、レコーディングスタジオに行く機会が増えたら、そこにピアノが置いてあったりするから試しに弾いたりとか。
仕事としての最初の“音楽”は?
基本的にはDJ。DJをやるようになって、それに関連してリリックを書いたりするようになり、その延長でプロデュースをするようになった感じです。
最初にDJに興味を持ったのはいつですか?
ちゃんと見たのはロンドンだったかな。でもその前からテレビでも見たことはあった。もともと音楽が好きだったし、「これならできる」と思ったんです。ギターを弾いてバンドをやる感じでもなかったので。その頃ジャンルは違うけど、大貫憲章さんが『ロンドンナイト』というイベントをやっていて、大貫さんはロックで、その下の子たちがロカビリーをかけたりしていました。僕は『ロンドンナイト』ではほとんどDJをしたことはないけど、千駄ヶ谷にあったカフェバー(*ライズバー)で、いつもヒップホップのレコードをかけていましたね。
『ロンドンナイト』といえば、ヒロシさんは1982年に(『ロンドンナイト』が開かれていた)ツバキハウスの「ファッション&ヘアーコンテスト」で優勝して、初めてロンドン旅行に行くことになります。ロンドンで受けた影響はありますか?
たくさんあるけど、ロンドンでDJをしっかり見たのは大きかったです。ただ、ロンドンのクラブに行ったら、パンクみたいな音楽は一切かかってなかった。普通にディスコ。それが結構衝撃でした。
ヒロシさん自身はクラブで盛り上がる感じに見えないですけど……。
DJブースとフロアの環境は全く別だからね。DJは裏方なので、その裏方的なところが面白かった。僕らがDJをやっていた頃のクラブは今みたいに騒がしいものではなかったし、本当に大人の遊び場という感じでした。
その頃はCasiotone MT-40(*レゲエ界にデジタル革命をもたらしたリズムパターン“スレンテン”で知られる電子キーボード)を愛用されていたとか。
愛用というほどではないけど、レコーディングスタジオに行くと必ず置いてあったから、それでメロディーラインの確認をしていました。その頃、“スレンテン”をレゲエの人たちが好んで使っていたのも覚えているし、僕はそれを使いこなしていたわけじゃないけど、面白いキッチュなリズムパターンが入っていて面白かったですね。
ヒロシさんは作曲で、リズムパターンを使うこともあるんですか?
僕はずっとそういうプログラミングをしてくれるプロの人に、「こういう感じ」と指示していたから、実際には使っていなかったです。
当時(80年代)は、すでに音楽制作におけるディレクションも一般的だったんですか?
すでにあったと思う。もちろん、本格的に弾ける人がプロデュースやディレクションするというのは根強くあるんだけど、アイデアだけで勝負するみたいな人たちも何人かいて、僕もその中の一人だった。音楽理論で作った人たちとは全く違うから、新鮮だったのかもしれないね。サンプリングみたいな手法ってそれまでなかったものじゃない。DJっぽい作り方というか。それで意見がぶつかることもあったけど。
ヒロシさんがCASIOに抱く印象を教えてください。
もともとは電卓かな。時計はDATA BANK(データバンク)がすごく好きで、新作が出たらよく買っていました。他にも手書きで文字が入力できる電子手帳があったんですよ。そういうテクノロジーがすごく新しかったので、海外に持っていくとすごくウケが良かった。そこからG-SHOCK(ジーショック)につながっていくイメージですね。
今回のコラボレーションのオファーを受けた理由はありますか?
やっぱり家に楽器があるとすごくいい。僕も常にギターやキーボードを部屋に出しっぱなしにしているタイプで、楽器に触らない日はないです。寝る前やテレビを見ながらギターを弾くこともありますね。部屋に楽器を置いておくのは、おすすめですよ。
Casiotone CT-S1 x FRAGMENTは、スピーカーネットに配された千鳥格子柄が新鮮です。
何ができるか、できることを考えた結果なんです。キーボードにおいては1から何かを変えることは難しいし、鍵盤の色を変えてもいいけど、弾きづらくなる。だからやり過ぎるのも嫌だし、そのままだと物足りない。ロゴをつけるだけでは足りないし、限られた中で何が変えられるか、洋服を作る感覚で探しました。
楽器を弾くのが面白くなる瞬間っていつでしょう? スケートボードが最初はこけてばかりで辛いけど、乗れるようになった瞬間に楽しくなるような。
それに近いと思う。ギターもピアノも、何かの瞬間に「こういうことね」ってわかるときがあるんです。中学生くらいでギターを弾くようになって、大体簡単なコードでビートルズとかを歌うところから始まるんだけど、どこかのタイミングで一気に面白くなった。それはもしかしたらプロデュースするようになってからのことかもしれないし、あまり覚えていないけど、自分なりに「なるほどね」って理解できるようになった。そこからはずっと面白い気がします。
面白くなる前にやめることもありますか?
やめたいとは思わないけど、飽きるというのはあるかもしれない。その飽きた頃にまた違う面白さが見つかることもあるし。スケートボードもちょっと飽きたなと思ったらミニランプとかを始めてみたり。これ面白いなってなるように、うまく次の段階に出合えたら続くと思います。
ゲームみたいな感じですね。
そうだね。僕は結局、習い事じゃなくて、チュートリアルがあるようなゲームっぽいものの方が好きだし、向いている。楽器も習い事じゃなくて、自分でやる方がいい。だからキーボードも習わなくていいと思う。今ならYouTubeにやり方がいっぱい出ているだろうし、遊びの一つとして覚えていく方が楽しいと思います。
改めて、ヒロシさんは日々の生活の中で、音楽とどのように向き合っていますか?
音楽は日常の中に完全にあるもの。海外旅行に行くときも、できればギターを持っていきたい。ギターを預けることになるから、実際にはあまり持っていかないけど、もし2週間とか滞在することになるなら、現地の友達や知り合いのギター屋さんに借りることもあります。あと、MIDIキーボードというパソコンに繋げるキーボードがあるんだけど、それを結構持ち歩いたりしています。だから次はCASIOと一緒に、持ち運びできるMIDIキーボードを作りたいですね。
Casiotone CT-S1 x FRAGMENT
価格:71,500円(税込)
販売場所:『V.A.』(東京都渋谷区神宮前1-6-9)、公式オンラインストア
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