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演劇が苦手なコムアイが惚れ込むチェルフィッチュという劇団。

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コムアイ×チェルフィッチュ岡田利規 演劇が苦手なコムアイが惚れ込むチェルフィッチュという劇団。

あのコムアイ(水曜日のカンパネラ)が惚れ込み、リスペクトの眼差しをおくりつづけている劇作家・岡田利規(チェルフィッチュ)。まったくジャンルが異なるはずの両者がじっくりと話し込んだ対談は、いまこの21世紀に“表現”するとはどういうことかをめぐる、刺激的なトークになりました。演劇のことも、音楽のことも、何も知らなくても、ふたりによる言葉の“深海”にダイブしてみてください。きっとそこにはディープかつポップな“未来”が見えるはず。12月1日より横浜で上演されている、岡田が主宰するチェルフィッチュによる舞台『三月の5日間』リクリエーション(横浜では12月20日まで。その後、豊橋・京都・香川・名古屋・長野・山口を巡る全国ツアー)。2003年のイラク戦争勃発時をはさむ三月のまる5日間、ラブホテルにこもる男女を中心に、渋谷をうつろう人々を描き、2004年に初演、2005年に「演劇界の芥川賞」と呼ばれる岸田國士戯曲賞を受賞しました。チェルフィッチュ活動20周年を記念し、20代の若手役者たちと共にリクリエーションされたのがこの度の上演です。対談は、徐々にドライブし、予定の時間を大幅に超えました。いったい、何がコムアイをそこまで惹きつけているのでしょう?

  • Photo_Satomi Yamauchi(talk)
  • Text_Fumihisa Miyata
  • Edit_Shinri Kobayashi

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コムアイ
2013年始動の水曜日のカンパネラの主演。〈DOLCE&GABBANA〉がミラノで発表した2017-18年秋冬コレクションのショーでランウェイモデルとして歩き、11月にはVOGUE JAPAN WOMEN OF THE YEAR 2017を授賞するなど国内外から注目を集める。水曜日のカンパネラとしては、2016年6月22日にワーナーミュージックよりリリースしたEP『UMA』は、Myd(CLUB CHEVAL)、MUST DIE!、Matthewdavid、Brandt Brauer Frickなど海外のクリエイターも参加するなどバラエティ豊かなサウンドを披露。2017年2月にはフルアルバム『SUPERMAN』をリリース。iTunesでは2日間連続1位を獲得した。

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岡田利規
1973年 横浜生まれ。熊本在住。演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。従来の演劇の概念を覆す作風が話題を呼び、国内外で注目される。05年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。07年デビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を新潮社より発表し、翌年第2回大江健三郎賞受賞。12年より、岸田國士戯曲賞の審査員を務める。15年初の子供向け作品KAATキッズプログラム『わかったさんのクッキー』の台本・演出を担当。2016年よりドイツ有数の公立劇場のレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務める。

演劇くささが苦手なコムアイがチェルフィッチュを好きな理由。

コムアイ私はチェルフィッチュの大ファンで。かといって演劇はたくさん観ているわけでもなくて、正直、好きなほうでもないんです。“演劇くさい”のがどうしても苦手で…。でもチェルフィッチュは、一昨年の『God bless baseball』を知り合いに勧められて見てから、去年に『部屋に流れる時間の旅』、そして『三月の5日間』と3回くらい観ていて、すごく好き。役者の皆さんがふつうにしゃべってるのがいいんです。

先日コムアイさんが観劇された『三月の5日間』の劇場でも意気投合されていましたね。

コムアイチェルフィッチュは、一瞬の感触、全体の空気感みたいなものが一番記憶に残るんです。断片的なものや空気感というか。たとえば、『三月の5日間』は、ラブホテルを出た後に、渋谷の街が“いつもと違う渋谷”に見えたっていう瞬間が残ってますね。このフレーズとして記憶しているのではなくて、新しい色彩を見させられて、それをぼんやり記憶しているかんじです。

岡田ぼくはコムアイさんみたいな、演劇が苦手、っていう感覚の持ち主のような人に対してこそはたらきかけられるような演劇を実現したいと思ってます。でも演劇やっている人はあんまりそのことは問題にしない。演劇が好きな人たちだから当たり前ですが(笑)。演劇が好きな人たちは問題にすることのないそういう点をちゃんと受け取ってくれているコムアイさんの感想は、励みになります。

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©前澤秀登

コムアイ私、演出というものを手がける人たちのなかで、21世紀に突入したことを知っているのは岡田さんとアピチャッポン・ウィーラセタクン(編註:現代タイを代表する映像作家)だけだと思っているんです。

21世紀、ですか?

コムアイ知っているというか、それ自体に気づいているというか。音楽でも何でも、それこそ東京という街にいても感じることなんですが、前時代の重さみたいなものを感じることがすごく多くて。岡田さんは、そこから“解かれている”と思うんですよね。私、チェルフィッチュもアピチャッポンも、観ながらけっこう寝ていて。でもそれが悪いことだと自分で思えない良さがあるというか…なんだかすごく失礼なところから入ってますけど(笑)。

コムアイさんにとっては心地いいわけですよね。それこそあるべき21世紀感が満ちているわけですから。

コムアイうん。眠たくなって、ふと落ちたいなと思った瞬間に、それが悪い感情だと思いたくない、みたいな感じがあるんです。そうそう、それで思い出したんですけど、チェルフィッチュの演劇って「速くない」と思うんですよね。たとえば台詞でも、「これから話すことは、この日のことじゃなくてこの前の日のことなんですけど、あ、この前の日っていうのは、正確に言うと…」みたいな言い回しですよね。あれ、ちょっとうざったいんですけど好きで(笑)。確認しながらゆっくり進むからすごく「遅い」のに、そのおかげで(観客を含めて)全員で同じスピードで進める。だから結局、届くのが一番「速い」とも思うんです。

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岡田演劇は「時間を経験する」ことだと思うので、時間についてはすごく考えますし、その「時間を経験する」ということが、ぼくにとっては「遅さ」につながるんです。ぼく自身も、ものを考えて展開させていくスピードは、とても遅いんですよ。まあ、速い人は遅い人を置いていっちゃうけど、遅い人は速い人を置いていかないからそれでいいやと思ってるんだけど…まあ、ちょっとイラッとさせることはあるかもしれないけど(笑)。コムアイさんにとって、音楽におけるそうした「経験の速さ」は、たとえばBPMの速さとは、関係ないですよね?

コムアイ関係ないですね。たとえて言うと、思考の回転が速くて、暗算で答えを出すように会話することです。息のつけない卓球みたいに、ポンポンとやり取りがなされる。チェルフィッチュを見た後は、実直でいいんだ、遅くていいんだ、と安心するんです。私自身も、思考がすごく遅い人間なんですよ。

資本主義の次に来てほしいものがチェルフィッチュにある。

でも、先ほどコムアイさんから「結局は一番速い」という言葉があったように、「遅い」思考から展開していくおふたりの表現が、最終的にはダイレクトかつスピーディーに受け手に届いているのが面白いです。

コムアイいや、私は本当に、速くないのに速いふりをしてきたことを、チェルフィッチュを見て反省しているタイプです。観にいって、反省して、安心して…お寺にいったような気分(笑)。

岡田そうなんだ(笑)。

コムアイアピチャッポンを見たときも安心します。そういう、強くて優しくて大きな“姿勢”みたいなものが、資本主義社会の次に来てほしい、と思っているんですね。すべてが増幅していくような時代の次が、私のさっき言った“21世紀”という感じなんです。

なるほど、“21世紀”が意味するベクトルがわかってきました。

コムアイ観劇した帰りに友人が言っていたことなんですが、Chim↑Pom(編註:社会を刺激する作品やプロジェクトで知られる6人編成のアーティスト集団)の卯城(竜太)さんは、ほとんど作品や作者の名前を憶えていなくて、トーク中もエリイちゃんに、「あの、あれ、だれの作品だっけ」とか聞いていて、でもいろんなものを見たときに「あっ、こうだ!」と自分のなかで発見したものだけを覚えているタイプなんじゃないかという話をしていました。たとえば植物ひとつを見たときも、それを固有名詞とか、何か別のものと結びつける前に、もっと見てなきゃいけないという気がするんです。「これって●●っぽいね」と喋ると上滑りしていくというか…。それが「速さ」の危うさ。そして私は、もうそれはいいんじゃないかって思っているんですよ。自分を育ててくれて、尊敬してきたもののなかからそうした「速さ」を取り除いて、新しいものを信仰したいという気持ちが、いまあるんです。“許しの隙間”みたいなものを与えてくれるような、次の豊かさみたいなものが、これからどんどん出てくると思う。そしていまそれを表現しているのが岡田さんだなあって。

岡田稽古場でよく言うことのひとつとして、「鐘を鳴らすのは、鳴らしたその音を聞かせるため」だというのがあります。石に池を投げるのも、石を投げたいというよりは、それで波紋を生み出すため。でも、たとえば鐘を鳴らすこと自体が目的になってしまっている演技というのがあるんですよ。

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©前澤秀登

それはコムアイさんが苦手とされる芝居くささとか、息苦しさかもしれませんね。その鐘の音が届いて受け止める“許しの隙間”がない。

コムアイそれは“さみしい”…。

岡田鐘を叩いてはいるけど(受け手に届く)“響き”がないっていうことですからね。

コムアイ自分がパフォーマンスをするときのことも考えますね。私はきっと、毎日同じ場所でパフォーマンスしたら、その“波紋”を見ることにも飽きちゃう…今日はもういいや、あっちの葉っぱを見てようって(笑)。私は、2日続けて同じ場所でパフォーマンスするということがほとんどないんですよ。別のところにライブの同じセットを持っていっても、場所によって空気もお客さんも全部変わるし、だからこそそのなかでマインドがどう変わって、どういう波紋が起きるかに注目するんですよね。

岡田それで言うと、同じ会場であってもきのうのパフォーマンスと今日のパフォーマンスは違うわけで、それを見きわめて、問題のあった箇所があったらそれを言葉にして指摘するというのが、初日があけて以降の演出家の仕事ですね。そうして上演を、その“先”に向かって育てていく。

コムアイ(本番があけても)毎日、観てるんですか?

岡田できるだけ、毎日観ます。

コムアイえーっ!? 私、それはできないかもしれないな。『三月の5日間』はもう1回見たいと思っているけど、でも自分のパフォーマンスでそれをやる覚悟はないですね…(笑)。

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岡田今回は役者が20代と若いんですが、ワンステージ=1歳という印象がぼくのなかにあって。ワンステージずつ一気に歳を重ねていく感じがある。12月1日に初演を迎えて、いま8日目だから8歳くらい。いま育ち盛りなんですよ(笑)。

コムアイそういうふうに考えるんだ、面白い!(笑)

コムアイさんのパフォーマンスの場合は、育てるというより、毎回異なる人生を生きるという感じですよね。

コムアイそうかもしれないですね。

岡田ぼくも、それができたらすごくいいんですけど。それは、ある種の即興っていうことですよね。

コムアイ即興でやる、ということの意味に気づき始めたのは、水曜日のカンパネラを結成してからでした。今年はドラマに出演したんですけど、同じことをもう一度やるのってむずかしいですね。

岡田かっこよく言ってしまうと、“繰り返しとの闘い”ですからね。でも、即興と、決まったことをやることの違いは、最終的にはない――と、ぼくも頭のなかではわかっているんですけど。

演劇って「虹」のようなもの。

違いがないはず、というお話は、おふたりの表現の目的にもいえるのかな、と。きっとお二人とも、表現を通じて人の認識が変わる瞬間を目指していらっしゃいますよね。だからこそ、コムアイさんが『三月の5日間』で惹かれたシーンというのが、渋谷にいる登場人物が、観光に来ているみたいな気分になって“渋谷じゃない渋谷”を感じるところなのかな、と。

コムアイこれから『三月の5日間』をはじめて観る人が羨ましいです。私は『わたしたちにゆるされた特別な時間の終わり』(編註:小説版『三月の5日間』が収められた作品集、新潮文庫)も読んでいたので、舞台を観はじめてすぐ、クライマックスで現れるはずの渋谷の坂道の風景が頭のなかに浮かんじゃって。そうじゃなかったらどうなるんだろうって。あと、ひとりの個人の人格とか、気持ちや思い出を、みんなで言うっていうのもすごく面白かったです。アズマ君という役も、いろんな人がアズマ君をやったり、アズマ君がこういいましたとか、こう思いましたということを話したりしますよね。

ひとりの役柄を演じる役者が男女含めて複数いて、しかも伝聞で話しはじめたのにいつの間にか本人の役になっている…という手法も魅力的ですよね。

岡田いま、この役者は何を表象しているのかっていうことにかんしては、めちゃくちゃ移したり、ひっくり返したりしていますね。

コムアイそれが、こんなにスッキリ聞こえてきて——(作品内で描かれる)デモも戦争も東京も、それぞれが感じている個人的なものが、一般化されていく気持ちよさがありました。

岡田劇場で演劇をやる時点でパブリックなものにはなるんですけど、本当に一般化に成功するのは簡単じゃないですね。それに比べて音楽は、音をポーンと出したらその時点で即公共化されることがすごい。ぼくはそのミュージシャンの演奏が上手いかどうかはわからないんですが、そうやって出した音に責任をとっているからいい音になるんだ、と思うことはある。そしてミュージシャンの方はとにかく出した音を聞きますよね。だから稽古場でもよく、自分のパフォーマンスを「聞いて」、って言います。

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©竹久直樹

そうした音楽や演劇だからこそ、作品の内外で、個人的なことが一般化されるのでしょうね。

岡田ぼくは「鏡」としての作品をつくろうと思っています。鏡だから、作品を見た人が映るんです。だからみんな、感想は違うはず。芝居の後に、このシーンが良かったと言ってくれるのも嬉しいですが、自分のプライベート(or プライヴェート)な話をしてくれるととても嬉しい。

コムアイたしかに! ライブの後のドキュメント撮影中に、「いま嫁と揉めてるんだけど、この曲のここでこう思って…」と語りだしたカメラマンがいました(笑)。そういう話がはじまるのは楽しいし、やっぱり”さみしく“ないというか。

岡田そうですよね、「経験する」ってそういうことですからね。演劇って、虹のような「現象」だと思うんです。物理的なものではなく、大気や光の条件があるなかで、それぞれの場所から見えるそれぞれの虹――そういう「現象」として作品がつくれれば、きっとそれは「鏡」になるんだと思っています。

コムアイ面白い! 私も今年のライブで目指したのは「自然現象」だったんです。大きな布を客席に広げていって、光や音と一緒にグワーッと揺らすと、嵐にしか感じられないような演出とか。でもそういうことのコンセプトって、やってみたらわかることも多いし、自分でもやる当日にあっ! ってわかることもある。人を巻き込むときには事前に説明が必要なときもあるので難しいなと思うこともあります。

岡田「きっと何かが起こる」って言えばいいんじゃないでしょうか。

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コムアイハハハ! それ、いいですね!(笑)

岡田そうですよ、ぼくはそう言っていますし!(笑) 必ず面白いことが起こるはずなんです。それは事前にはぼくにもわからない。だったらやってみればいい、やってみたときにわかるから面白い、と思っています。

コムアイすごくわかるなあ。公演後のトークでも、「“未来”を書く」ことについて岡田さんは取り上げていましたが、岡田さんの作品を見ると「あ、“未来”だ」と思うんです。
前の時代がしぶとくて、現在地点を感じとることが難しいなかで、『三月の5日間』では、役者さんたちは20代でも2003年の人たちに見えるのに、きちんと現在が描かれていて、21世紀だと感じられて…。だから、いま、現在をちゃんと鏡に写すと、かなり“未来”だって感じるのかな。

チェルフィッチュ『三月の5日間』リクリエーション
会場:KAAT神奈川芸術劇場 (大スタジオ)
期間:2017年12月1日(金)〜20日(水)
作・演出:岡田利規
出演:朝倉千恵子、石倉来輝、板橋優里、渋谷采郁、中間アヤカ、米川幸リオン、渡邊まな実
舞台美術:トラフ建築設計事務所
chelfitsch.net/activity/2017/08/5.html

チェルフィッチュ20周年特別サイト
chelfitsch20th.net

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Source: フィナム

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