AGはなぜ別格なのか。
プレミアム・デニムの代名詞、〈AG〉はライフスタイルを網羅するブランドに成長した。そんないまがあるのも、デニムという屋台骨が揺るがないどころか、ますます堅牢強固になってきているからだ。すでに完成の域にあったデニムがいっそう深みを増している背景はいたってシンプルである。そこには妥協を知らない自社工場の存在があった。
- Photo_Toshio Ohno(3P)
- Styling_Masaaki Ida(3P)
- Hair & Make-up_Chika Kimura(3P)
- Model_Safari(3P)
- Text_Kei Takegawa(1-2P)
- Edit_Ryo Muramatsu
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デニムの神様と名うての工場の両思い。
1990年代後半のアメリカで巻き起こったプレミアム・デニムのブーム。作業着からファッションへと脱皮したデニムを、そのブームは一段飛ばしでネクスト・ステージへと押し上げた。しかし残念ながらサブプライム・ショックという未曾有の経済危機はデニム業界にとっても対岸の火事ではなかった。一服感が漂うなか、逆風をものともせず力強い航海をつづけているのが〈AG〉だ。
〈ディーゼル〉や〈リプレイ〉などイタリアン・デニムの礎をつくったブランドを次々に手がけ、デニムの神様といわれたアドリアーノ・ゴールドシュミッド。デザイナーとして揺るぎない地位を手に入れたアドリアーノはオリジナル・ブランドの創始をあらたな目標に定めた。
そんなアドリアーノの目に留まったのがクーズ・マニュファクチャリングだった。1985年に創業した、ウエストコースト唯一となる一貫生産のデニム工場であり、そのひとつひとつの工程が高い水準にあった。これを裏付けるように〈カルバン・クライン〉〈GAP〉〈ラッキー・ブランド〉〈アバクロンビー&フィッチ〉〈J.クルー〉といった名だたるブランドを顧客として抱えていた。
アドリアーノにとってまたとない相棒だったが、アドリアーノの登場は次の一手を模索していたクーズのオーナー、ユル・クーにとっても願ったり叶ったりだった。両者は運命の赤い糸で結ばれていたかのように引き寄せられ、そうしてアドリアーノのイニシャルを冠した〈AG〉は2000年の誕生から数年で全米のめぼしい賞を総なめにした。
これ以上ない幸先のいい船出となった〈AG〉号は2008年、アドリアーノの勇退を受けて(この男はひとつところに腰を落ち着けることのできない性分のようだ)ユル・クーの息子、サムエルを船頭に抜擢した。それからほどなくサムエルはこれまでの集大成ともいうべきコレクション「AG-ed」を完成させて喝采を浴び、余勢をかってライフスタイル・ブランドへの転身を遂げたのだ。
Source: フィナム