New Standard Sneakers
新定番のススメ。パトリック編
スニーカーを語らせたら右に出るものはいない、ライター及びランニングシューズ評論家・南井正弘。そんな彼が今宵、語るのは日本上陸40周年の節目を迎えた〈パトリック〉。エスプリ香るブランドの歴史と、その魅力を解説していきます。
- Photo_Kengo Shimizu
- Text_Masahiro Minai
- Edit_Hiroshi Yamamoto
- Tweet !function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?’http’:’https’;if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+’://platform.twitter.com/widgets.js’;fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document, ‘script’, ‘twitter-wjs’);
- https://b.st-hatena.com/js/bookmark_button.js
<!–
–>
流行やトレンドとは一線を画す、時代を超越したブランド。
自分がファッションというものに興味を持ちはじめたのが、いまから40年ほど前の小学校の高学年から中学にかけて。その頃すでに雑誌『POPEYE』などで〈パトリック〉は紹介されていましたからブランドの存在は知っていました。
〈パトリック〉は1892年に西フランスのプソージュ村にて靴職人パトリック・ベネトーが靴づくりをスタートしたことを原点としているように、自分たち世代にはスポーツシューズにおけるフレンチブランドの代表というイメージで、使っているカラーやマテリアルが他国のブランドと微妙に違っていて独特。
昔はサッカースパイクなどもリリースしていましたが、高校時代のサッカー部の友人が「芸術品のようなフォルムは雨の日やその翌日のプレーに使うのはもったいない!」と語っていたように、確かに上品さがありました。またアートイスをはじめとしたスニーカー群は、デザインはシンプルながら、その配色や素材使いは他にない独自のもの。
箱を開けた瞬間からフランスのブランドならではのエスプリを感じさせてくれ、80年代は取扱店舗も少なく、どこでも手に入るブランドではなかったので、多くの人にとっては憧れの存在でした。
<!–
–>
厳選された素材で丁寧に生産される信頼のジャパンメイド。
そんな〈パトリック〉は、活躍の場を完全にストリートに移していて、現在はその当時よりもかなり一般的な存在となり、日本のスニーカーシーンにおいて安定した人気をキープしているのですが、その売れ方が流行とかトレンドといったものとは一線を画しているのも大きな特徴。
〈パトリック〉というブランドは、派手さこそないですが、いつの時代もおしゃれな人の下駄箱に1足は入っていて、それもヘビーローテーションで履かれているというイメージがありますね。前述のとおり昔はフレンチテイストの印象が強かったのですが、日本上陸から40年を迎えたいまは、それと同じくらいにジャパンメイド、すなわち厳選された素材を用いて日本国内で丁寧に生産されているというイメージも強いです。
〈パトリック〉を履いている若者で、このブランドがフランス発祥であることを知らないケースも最近では珍しくないですから。自分を含めた昔の世代にとって「フランス製」というキーワードが購入の大きな理由になっていたのに対し、いまの若者にとっては、「ベーシックなデザインは流行やトレンドに左右されにくく、さまざまなファッションスタイルにマッチするから活躍の機会も多い」というのが購入の大きな理由みたいです。
<!–
–>
カジュアルからドレッシーまで、幅広いスタイルにマッチする。
実際自分も先日、コペンハーゲンというモデルを手に入れたのですが、他ブランドのホワイトアッパーのスニーカーよりも断然に洗練されていて、デニムやチノパン、スウェットパンツといったカジュアルなボトムだけでなく、ウールパンツのようなドレッシーな装いにもマッチするところがよかったです。あと履き口のフォルムがキュッと締まっていて美しいところも気に入りました。
スポーツシーンでは80年代のフランス代表をリードしたミシェル・プラティニや2度のバロンドールを受賞したケビン・キーガンといったトッププレイヤーがサッカースパイクを愛用したことで有名ですが、これまでカジュアルシーンでも数多くの著名人に履かれてきた〈パトリック〉。
そのいずれのシューズも長年履かれていて、ずっとそこにあるかのようにコーディネートに溶け込んでいるのが不思議なところ。たとえそれが新品だったとしても。それこそがこのブランドがずっと愛され続けている、大きな理由なんだと思います。
<!–
–>
伝説のアーティストやアスリートも。パトリックを愛した人々。
1. 寺尾聰 若き日のスタイルと見事にマッチ!
話題となったドラマ『陸王』ではランニングシューズの素材開発を担う重要人物である飯山役を好演した俳優の寺尾聰さん。若き日のスリムな体形とフレンチカジュアルのファッションスタイルに〈パトリック〉のスニーカーがマッチしていました。
2. 所ジョージ 遊びの達人が選んだのはドライビングシューズ。
TVのバラエティでの活躍だけでなく、アウトドアフィールドにおけるアクティビティを精力的に楽しむことで有名な所ジョージさん。それだけにスニーカーに関しても一家言あることで知られていて、そんな所さんも〈パトリック〉のドライビングシューズをセレクト。
3. スティング ビール会社のCMで着用して話題に。
1987年、日本を代表するビール会社のCMや雑誌広告にポリスのベーシスト兼ボーカルのスティングが出演。自ら演奏しながら“WILL BE TOGETHER”を歌うシーンがお茶の間に流れましたが、彼の足元には〈パトリック〉のリバプールトレーナーが輝いていました。
4. ミシェル・プラティニ 伝説のプレイヤーも愛したブランドでした。
1985年のトヨタカップで来日したミシェル・プラティニ。胸トラップからの右足アウトサイドのキックフェイントでボールを浮かしてDFのマークを外し、反転して左足ボレーでゴールに蹴り込んだシーンは、判定こそオフサイドでしたが、いまも語り草となるプレーです。
パトリックの歴史を彩った洗練されたカタログ&広告。
1979年の広告に見る、起毛素材=パトリックというイメージ。
スムースレザーやナイロンアッパーのシューズもラインナップされていましたが、スエードやヌバックといった起毛素材を多用した印象の強い〈パトリック〉。このことは適度にカジュアルな雰囲気をプラスすることになり、フランスブランドらしさを強調しました。
1982年のカタログの表紙では、ルージュをモチーフに。
アートイスは80年代の日本で、もっとも有名な〈パトリック〉のスニーカーとして知られていたモデル。ブラックのアッパーに組み合わされたルージュというカラーリングは他ブランドのレッドとは明らかに異なっていて、口紅の色のような独特なトーンでした。
PATRICK LABO みなとみらい
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-5-1
「MARK IS みなとみらい」2階
電話:045-264-8800
10:00~20:00(金~日・祝・祝前日 10:00~21:00)
www.patrick.jp
- Tweet !function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?’http’:’https’;if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+’://platform.twitter.com/widgets.js’;fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document, ‘script’, ‘twitter-wjs’);
- https://b.st-hatena.com/js/bookmark_button.js
Source: フィナム