目次
- 1 HOUYHNHNM
- 1.1 ブルーナボインと振り返る大阪ファッション20年史。
- 1.1.1 ブルーナボインと大阪ファッションシーンの20年をキーマンたちが語ります。
- 1.1.2 90年代末の大阪に突如現れた謎深きブランド、ブルーナボイン。
- 1.1.3 Masterpieces of the 90’s From BRU NA BOINNE
- 1.1.4 数々の名作を生み出し、大阪ファッションシーンを席巻した2000年代。
- 1.1.5 Masterpieces of the 2000’s From BRU NA BOINNE
- 1.1.6 トレンドやカルチャーに迎合することなく、20年経った今もなお己の道を歩み続ける。
- 1.1.7 Masterpieces of the 2010’s From BRU NA BOINNE
- 1.1 ブルーナボインと振り返る大阪ファッション20年史。
HOUYHNHNM
FEATURE|BRU NA BOINNE 20th Anniversary Issue
ブルーナボインと振り返る大阪ファッション20年史。
BRU NA BOINNE 20th Anniversary Issue
ブルーナボインと振り返る大阪ファッション20年史。
ワークやミリタリーといった各国のヘリテージと日本の伝統や固有の技法を等価値でミックスし、大阪を拠点に関西のファッションシーンを長年牽引してきた〈ブルーナボイン(BRU NA BOINNE)〉。そんな〈ブルーナボイン〉の設立20周年を記念し、大阪ファッションシーンの重鎮たちを招いての特別対談がこのたび実現しました。ブランド代表の辻さんをはじめ、関西セレクトショップの草分け「ロフトマン(LOFTMAN)」から社長の木村さん、先日大阪は中津にオープンした話題のニューショップ「イマジン(IMA:ZINE)」からディレクター兼バイヤーの谷さん、ネイティブアメリカンとの太いパイプで多くのセレクトショップから現地コーディネートやバイイングを請け負う「ヘヨカ(JEYOKA)」の大野さんを迎えて、お酒を飲みながらのラフなトークセッション。キーマン4名が大阪ファッション20年の歩みをブルーナボインの歴史とともに振り返ります。
- Photo_Kenji Fujimaki
- Text_Takehiro Hakusui
- Edit_Yosuke Ishii
- Special Thanks_OKONOMI YOSHIDA
- Tweet !function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?’http’:’https’;if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+’://platform.twitter.com/widgets.js’;fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document, ‘script’, ‘twitter-wjs’);
- https://b.st-hatena.com/js/bookmark_button.js
服飾専門学校、企画会社でモノづくりの基本を学び、1997年に『いまだかつて人の行かぬ道を心猛く進む この服を身にまとい』なるコンセプトのもと、辻マサヒロ(右)、德田 直子(左)の2デザイナーによって設立されたドメスティックブランド。異なる互いの感性を理解し、それぞれに歩み寄りながら生み出される独自の世界観は、今や20年の時を数え、ふたりの丁々発止なやり取りからも絶妙な関係性がうかがえる。
ゲール語でたくさんの妖精が住む場所を指し、希望、永遠などの意味を持つ古来より日本で親しまれてきた色でもある「ブルー」、河の名前でもあり、日本の母なる象徴「ボイン」をリンクさせ、西の都=大阪でスタートした〈ブルーナボイン〉。デニムやレザーといった定番素材をベースとしつつ、日本固有の技法などを取り入れながら、どこかユーモラスで遊びあるカジュアルクローズをクリエイトし続けている。
〈ブルーナボイン〉がいま現在オフィスを構えるのは、古くから繊維問屋が並ぶ関西服飾業界の心臓部とも言うべき船場エリア。設立から20年を経た今なお、昭和の風情の残る商店街の一角から、多くのコンセプチュアルなプロダクトが輩出されている。
ブルーナボインと大阪ファッションシーンの20年をキーマンたちが語ります。
大野 徹(写真左)
かつて国内大手のセレクトショップに籍を置き、独立後はニューメキシコをベースにディストリビューターとしてネイティブ系プロダクトを数多く日本に紹介してきた「ヘヨカ」代表。
谷 篤人(写真中左)
先ごろまで「ビームス」にてメンズカジュアルバイヤーを務め、帰郷とともに大阪の中津にセレクトショップ「イマジン」の設立に参画。ディレクションとバイイングを手がける。
木村 真(写真中右)
京都からスタートし、西日本を中心に現在7店舗を展開するセレクトショップ「ロフトマン」社長にして、関西ファッションシーンきっての有識者。
辻 マサヒロ(写真右)
大阪を拠点にメンズ&レディースウェア、バッグ、アクセサリーを中心に展開し、今年で設立から20周年を迎えた〈ブルーナボイン〉のデザイナー兼代表。
90年代末の大阪に突如現れた謎深きブランド、ブルーナボイン。
〈ブルーナボイン〉20年の歩みとともに大阪のファッションシーンを振り返っていただきたいと思います。まずはブランド設立当初の’90年代末から。
辻僕らがブランドを立ち上げた’90年代末の国内市場では中国や東南アジアなど海外生産が主流でした。そんな折に「日本の被服生産業は斜陽になっているけど、自分たちが何とか立て直したい」という人と出会い、彼に感銘を受けてMADE IN JAPANにこだわりを持つようになったと。当初は日本固有のアイテムということで和服をリメイクしたアロハシャツと「阿波正藍」というデニムを製作しましたが、それらは当時お金もなく、コネクションもなかった自分たちにできるベストだと思ったからで。
木村その頃はまだ僕らも〈ブルーナボイン〉というブランドを知りませんでした。最初の出会いは「ビームス」が立ち上げたコンセプトショップ「ビーイー(BE)」だったと記憶しています。当初はインポートブランドだと思っていたし、ブランド名も読めなかった(笑)。その後に知人から大阪発のブランドだと教えてもらいました。
谷僕は「BE」がクローズし、船場からアメ村に移って「ビームス ストリート心斎橋」というショップがスタートしたのですが、そこで〈エース〉、〈ツタエ〉、〈ザ・チェンジリング〉など 数々の関西ブランドを展開している中で〈ブルーナボイン〉の存在を知りました。何より興味を惹かれたのはプロダクト名で、「パリッと白シャツ」ですとか、聞いてすぐアイテムを連想できるユニークなネーミングが他にはまずなかったですし、もっと知りたいとのめり込んでいきました。
大野僕も出会いは「BE」でした。渋谷店のオープン時にネイティブジュエリーの買い付けがあり、現地を案内したんですね。当時はインポートバイヤーと親しくしていましたが、オープン後に店舗へ行った際、当時国内バイヤーを務めていた方から「大阪のブランドですよ」と薦められたのが〈ブルーナボイン〉だったんです。
辻まあ、’90年代末頃は大阪に限らず西日本発のブランドが元気だった時代ですよね。 特に〈ステュディオ・ダ・ルチザン〉、〈エビス〉、〈ドゥニーム〉、〈ウエアハウス〉、〈フルカウント〉といったデニムブランド全盛期でしたし、ファッション的にもそんな流れが強かった印象かな。
木村そうでしたね。僕らは自分の店に置くジーンズに関してレプリカ的発想のリプロダクトではないものにこだわりたいと思い、辻さんにお声掛けさせていただきました。“XX風”とか“大戦モデル風”といったものではなく、独自にデザインされたジーンズを探していて。「阿波正藍」やその後の「ダーラパンツ」などが、そんなオリジナリティの好例というかね。
谷あの頃はまだ学生でしたが、当時僕らの遊び場でもあり大阪ファッションの中心地といえば、やっぱりアメ村をイメージしますね。東京発のストリートブランドが大阪に進出する前は、それぞれ異なる文化の中で育まれた個性がありましたし、それらを互いに理解し合おうとする風潮がまだ残っていたと思うのです。メディアにも「アメ村=人間交差点」と例えられたように、世の中的にはアメカジ全盛期でしたが、その隙を突くというか、東京のストリートにはない独自性みたいなものを競い合った時代だったと。
大野大阪ってファッションに限らずそういう向きがあるでしょ。他と一緒なものを嫌うというかね。
辻個人的にはトレンドみたいな流れをあえて意識しないようにしていた時代でした。ブランド設立のタイミングで売却可能なワードローブは全部処分しましたし、もちろんきっかけはお金のためですが、世の中の流れと自分を切り離す意味合いもあった。作ったものへの忠誠心というか、自分への戒めというかね。
Masterpieces of the 90’s From BRU NA BOINNE
裂シャツ (KIRE – SHIRT)
日系人たちが自らの被服を加工して生まれたと言われる元祖ハワイアンシャツの生い立ちをなぞるかのように、ブランド最初期にクリエイトされたボックスタイプのアロハシャツ。大正から明治にかけての正絹の着物を贅沢に再構築しているため、もちろん全てが一点もの。
阿波正藍
ブランド設立時、ファーストコレクションの一角を担った傑作ジーンズ。徳島県の伝統工芸「阿波正藍」の染め技法をデニムに取り入れ、一般的なインディゴロープ染色とは一味違う本藍かせ染め特有の退色感を表現。笑門来福、招き猫、桜などなど日本の心を込めたリベットワークも見どころのひとつ。
数々の名作を生み出し、大阪ファッションシーンを席巻した2000年代。
続いて2000年代はいかがでしょう。
辻会社の人間も増え始め、服作りで食べていけるようになった時代かな(笑)。全国区になり始めた頃というか。「ビームス」さんと「ロフトマン」さんの力が大きいと思うけど。
木村体感的には2005年頃から一気に認知度が上がり、バジェット(予算案)に収まり切らなくなっていきました。スタッフから「需要に対してこちらの供給が追いつかない」との声が上がり始めたのもちょうど2000年代半ば頃のことかと。
辻それまでは展示会でも2ラックぐらいしかアイテムがないのに強気でね(笑)。某社のバイヤーさんに見てもらった際、生意気な発言をこっぴどく怒られたのを覚えてますよ(笑)。それから数年経過した2000年代半ば頃、一気にアイテム数も増えて。
谷怒られたんですね(笑)。
辻そうそう(笑)。そこら辺が2000年代初頭の第一次ブルーナボイン反抗期。それからしばらくウチのストロングスタイルが続くのよ(笑)
一同(笑)
木村僕も初めて展示会へ行った際、はっきりと「僕らロフトマン嫌いなんです」って言われましたから。後にも先にもあんなに緊張した展示会はないですよ(笑)。でも、それだけはっきり物を言う人たちとビジネスしたいと、逆に思うようになって。
大野僕も噂には聞いてましたから、じつは辻さんに会いたくなかった(笑)
辻(笑)。でも何で売れ始めたんだろ?(笑)
木村ちょうど世紀末から続いたレプリカブームが一旦落ち着いて、みんな次のものを探し始めた時に、〈ブルーナボイン〉がハマったんだと思うんです。ミックス感もユニークでしたし、特に関西の市場は受け入れやすかったと。当時「スタンディングパーカー」というアイテムをリリースした時なんて、とんでもない数が売れましたし、街でも毎日必ず見掛けましたもんね。「スタンディングパーカー」に「ダーラパンツ」を穿いて、〈パタゴニア〉の「レトロX」を合わせる、みたいなスタイルが急速に増え始めて。
谷そうでしたね。当時は東京発のブランドに対して斜に構えてしまうような風潮がまだあって。大阪発だからこそ応援したいみたいなユーザーも少なからず見て取れましたし、少なくとも僕自身そうだったと思います。それにアメカジ全盛期にあって、「ダーラパンツ」が持つ独特のエロさというか、艶感みたいなものが新鮮に映ったんだと思うんですね。その後に「ハッピーデニム」がリリースされた時には、お店への問い合わせが止まなかったのを覚えています。ブランドのアイコン的存在であるてんとう虫ピンズの問い合わせが増えたのもあの頃でしたよね。
辻そうかもしれない。まあブランド設立以降、一番作ってるアイテムがあのてんとう虫のピンズで、もう何万匹作ったかわからない(笑)。でも、あの頃から徐々にラクになってきたというか。ファッションの流れとは未だにある程度距離感を保って付き合っていますが、当初よりも周りの声が気にならなくなっていった時期でもあった。
谷それにファッションの流れも踏まえ、2000年代は遊び場が変わった時代でした。それまでの中心地だったアメ村が徐々に様変わりして、いわゆる東京発の裏原ブランドによる(堀江の)オレンジストリートへの出店ラッシュでストリートにも大きな変化があった。〈ブルーナボイン〉で言うと「ルーラ!ブーラ!シャツ」がブレイクした頃というか。当時大阪エリアで遊ぶ〈ブルーナボイン〉のお客さんはキタの「ロフトマン」を見てからミナミの「ビームス」に来るって流れが多かった。
辻谷くん久しぶりに大阪帰ってきたでしょ。当時の大阪と比較してシーンってどこか変わった?
谷 正直ネットの普及により、コレクションもリアルタイムでみれるので、特にキッズ達の時差はないと思います。しかし東京はやはり「出会いの場、チャンス」は多いと感じます。
辻なるほどね。でも、僕からすると意識し過ぎな気もするけど。正直トレンドとはある程度の距離感を保たないと。
谷そうですね。恐縮です…。
Masterpieces of the 2000’s From BRU NA BOINNE
ハッピーデニム
加工デニムという概念がまだあまり浸透していなかった2004年AW期に発表されたブランド初の5ポケット型リメイク。通常ボディの退色に沿って“タタキ”を施すところをあえて色とりどりのカラーステッチで仕上げるなど、斬新かつポップな発想で以降に続くリメイクジーンズの雛形とも言えるマスターピース。
アーカイブデニム etc…
「ハッピーデニム」のヒット以降、ブランド代名詞のひとつとなったリメイクジーンズたち。デニム=キャンバスの概念でインディゴの濃淡はもとより、タタキ、パッチングなどシーズンごとに異なるアイデアと独自のアプローチを披露。
ターナージャケット
フィギュアのミニチュアシャツから着想を得て、2000年デビューのB.D.タイプシャツジャケット。登場毎に素材を変えて(毛氈→様々な皮革)本モデルは2004年AW期に発表された初のレザーVer.(マウンテンゴート)仕様。
ルーラ!ブーラ!シャツ
モデル名のルーラ!ブーラ!はゲール語で仲間同士最高に盛り上がっているときに使う言葉。4歳の女の子が思い描いた無邪気なイラストが踊る高密度テキスタイルを使用している。また、2008年SSではルーラ!!ブーラ!!ショートパンツもリリース。発売当時、関西発信の雑誌掲載の影響もあって大ブレイク。取引先に問い合わせが殺到した。
てんとう虫 ピンズ
幸せを運ぶ七星天道虫(てんとう虫)を実寸大で模したピンズは、〈ブルーナボイン〉のアイコン的存在。実際に服や鞄に付けてみると、まるで本物のてんとう虫がとまっているかのように見える。素材は贅沢にもシルバー925を使用。
トレンドやカルチャーに迎合することなく、20年経った今もなお己の道を歩み続ける。
最後は2010年代です。
辻僕らは先輩から「ファッションは10年周期」って習いましたけど、ブランド立ち上げからこの20年間で何が変わったと言われたら、じつはあまり変化がないようにも思う。一方で周期自体は6~7年に縮まっているとは思うんですが、特に何かが突出している印象はないかな。
大野僕にはインポートとドメスティックの立場が入れ替わった、じつは意外に実のある20年だったと思いますね。基本インポート世代なので国内より海外のシーンに目が行きがちなのかもしれませんが、海外のセレクトショップに日本のブランドが並ぶようになったのが、ここ20年で一番大きな出来事だと思うんです。つまり、この20年で市場に大きな逆転が起きたと。しかも日本のデザイナーによるMADE IN USAではなく、MADE IN JAPANにこだわる国産ブランドに注目が集まるようになったと考えています。
辻なるほどね。僕はかねてからインポート迎合主義には異を唱えてきたけど、かといってMADE IN JAPANを海外で展開したいとまでは考えていなかったかな。でも、大野さんの言うような流れの一方で良い工場や良い生地屋さんが少なくなったかな。国内だけで後へ残るようなものを作るのは本当に難しくなったし、実際モノが売れない時代だから…。
木村僕も特にここ数年、大阪含め関西のファッションシーンに突出した何かがあるかと言われればそんなにない気がします。周期自体が短くなったのもさることながら、好みやライフスタイル自体が変化するまでの大きな何かはなかったと。
辻ただね、ここ数年、服がカルチャー寄りになってきたとは思う。僕はそんな流れが嫌いなので、よりそう思うのかもしれないけど。ファッションはホビーやカルチャーとは一線を引いたものであるべきだし、アートのような自由さがあって然るべきかと。学生時代から〈コム・デ・ギャルソン〉は大好きだけど、それはあくまで“ファッション”だからであって。例えば川久保玲さんがサーフィンにハマったとしてもサーフィン通過後のモノづくりをしますか? きっとしないと思うんですよ。
谷おっしゃる通りですね。
辻支持してくれる人がちょっとだけ増えただけで、僕はこの20年作りたいものを作ってきただけ。ですからブランド設立当初と何も変わってないと思うし、今はより世の中に合わさなくてイイと思えるようになった。結局はファッションですから、如何にしてオリジナリティを表現するかが重要であって、トレンドやカルチャーに惑わされるようじゃ、つまらなくなる一方だと僕は思いますね。
Masterpieces of the 2010’s From BRU NA BOINNE
OWLジャンパー
いわゆるスカジャンをモチーフに、フクロウとバラの刺繍で遊びを利かせた2016年SS期デビューのヒットモデル。以降、イベントSp.など、何度か異なる配色で展開されている。リバーシブル仕様となったライニングにはアロハシャツで見るような柄をオリジナルでもじったクレイジーフルーツ柄を採用。
トレジャーGジャン
ブランド定番のデニムジャケット「ダーラデニムジャンパー」をベースに、過去に発表されたベロアのスカジャン的アイテム「トレジャージャンパー(2008AW)」のデザインを全て職人によるハンドペイントで再現。アンティークボタンをアソートで配置した今季発表の20周年アニバーサリーモデル。¥60,480
ブランド設立時に自身のワードローブを処分し、一過性のトレンドとあえて距離を置くことで、本来あるべき自由への回帰を図った。そんな彼らの決意表明は、この20年という月日のなかで大きく実を結び、今や大阪ファッションシーンのみならず世界からも注目を集める存在へと成長している。デザイナー辻の言う「結局はファッション」。それは〈ブルーナボイン〉というブランドのアティチュードを見事に体現するとともに、シーンの今日を憂うデザイナー辻なりの新たな決意表明でもあったと思えてならない。
ブルーナボイン東京
住所:東京都渋谷区代官山町12-9
電話:03-5728-3766
時間:平日 12:00~21:00
土日・祝日 11:00~20:00
ブルーナボイン オフィシャルHP:www.bnb.co.jp
ブルーナボイン東京 HP:www.bnb.co.jp/bnb-tokyo
ブルーナボイン東京 INSTAGRAM:brunaboinnetokyo
旅姿七人社 INSTAGRAM:tabisugata7
- Tweet !function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?’http’:’https’;if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+’://platform.twitter.com/widgets.js’;fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document, ‘script’, ‘twitter-wjs’);
- https://b.st-hatena.com/js/bookmark_button.js
Source: フィナム