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KAKKO : イヴ・ランタナ&コウキ ── ビジュアルストーリーとともに紐解く | インタビュー

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Rewrite

近年、古着を取り巻く環境は大きく変化した。市場は拡大を続け、ヴィンテージを扱うショップやディーラーが増加する一方、SNSの普及によって、アイテムの見せ方や届け方もかつてないほど多様化している。より希少なアイテムを、より良いコンディションで、より魅力的に見せる。そんな競争が加速するなかで、セレクトやスタイリング、ビジュアルを含めた“差別化”は、以前にも増して難しくなっている。

もともと日本は、世界的に見てもヴィンテージカルチャーへの造詣が深い国のひとつだ。年代やディテール、ブランドの背景、コンディションといった細かな要素に価値を見出し、時に数十万、数百万という価格で取引されるアイテムも少なくない。“ヴィンテージコレクター”という言葉が定着していることからも、その市場が単なるファッションの領域に留まらず、膨大なアーカイブと歴史の上に成立していることが分かる。

一方で、SNSを通して膨大なアーカイブやリファレンスにアクセスできる現在、消費者の価値基準もまた細分化している。過去の資料を紐解き、年代や背景まで理解した上で1着を選ぶ者がいる一方、理屈よりも先にデザインやシルエット、直感的な魅力に反応してアイテムを手に取る者もいる。情報が開かれ、選択肢が無限に増えたからこそ、「何を売るか」だけでなく、「どのような視点で見せるか」がショップそのものの個性を左右する時代になった。

そんな現在の古着市場において、ひときわ独自の存在感を放っているのが、東京・下北沢に店舗を構える古着ショップ『KAKKO(カッコ)』だ。20代を中心としたメンバーによって運営される同ショップは、いわゆるヴィンテージショップの文脈だけでは捉えきれない。店内の空気感からアイテムのセレクト、ビジュアル、グラフィック、そしてそれらを発信する際のコミュニケーションに至るまで、一見すると異なる要素が並んでいるにもかかわらず、そこには確かな一貫性がある。

特に興味深いのは、彼らが「古着をどう見せるか」という問いに対して、既存のセオリーに寄りかからず、自分たちの感覚を起点に独自の表現を組み立てていることだ。希少性や年代といったヴィンテージ本来の価値だけを前面に押し出すのではなく、アイテムそのものが持つ佇まいや質感、そこから生まれるムードを、写真やグラフィック、空間を通して拡張していく。それは、情報が過剰な現代において、あえて説明しすぎないことでもある。何を選び、何を残し、どこまで見せるのか。その判断の積み重ねが、『KAKKO』にしかない独特のスタイルを形作っている。

では、彼らはなぜそのような表現に辿り着いたのか。そして、古着を扱うショップでありながら、なぜここまでクリエイティブそのものに強いこだわりを持つのか。今回『Hypebeast Japan』では、『KAKKO』の制作背景と、そのクリエイティブが生まれる現場にフォーカス。彼らが日々向き合う古着や、その根底にある思想を手がかりに、『KAKKO』の現在地を紐解いていく。

その思想を言葉だけでなく、ひとつのアウトプットとして提示するため、今回は『KAKKO』の世界観を起点に、本企画のためのオリジナルビジュアルも制作。アイテムのセレクトからスタイリング、構図、余白に至るまで、彼らが普段の制作で大切にしている感覚を撮影というフォーマットへと落とし込んだ。

さらに、ディレクターのKoki MiyoとアートディレクターのEve Lantana(イブ・ランタナ)を迎え、『KAKKO』という場所を形作る思想、古着との向き合い方を紐解く。言葉とビジュアル、その両面から、“古着屋”という枠組みを問い直しながら、『KAKKO』が独自に築き上げてきたスタイルを辿る。


今の世の中で語られている“古着屋”というものに対して、常に疑問を持っているからこそ、KAKKOをやっている部分はある

Hypebeast:KAKKOを一言で説明することは難しいと思います。あえて聞くなら、KAKKOをどういった“場所”として捉えていますか?

Koki(以下K):僕個人の感覚で言うなら、開かれたアトリエスペースに近いですね。何かができていくまでの過程も含めて、ある程度自分たちの手の内を見せられる。それ自体を一つの表現として外に出していく場所、という捉え方をしています。だから、ファブリックアトリエのような感覚で扱っている部分はあるかもしれないです。

Eve Lantana(以下E):そうだね。僕は“半屋外”という感覚が近いかもしれない。多様な人が、それぞれの趣味嗜好を持ち込める場所でありながら、僕らのジャンルレスなセレクトも含めて、いろいろなものが自然と混ざり合っている。ラフに楽しむこともできるし、何かについてじっくり考えながら過ごすこともできる。そういうふうに、それぞれの距離感で楽しめる空間ですね。

半屋外?

E:完全に閉じた屋内という感じでもないし、かといって誰でも自由に通り抜けられるようなオープンな場所というほどラフでもない。あくまで空間のあり方というより、ニュアンスとして“半屋外”という感覚です。一度立ち止まって休んだり、遊んだり、話したりできる。そうやって、それぞれが自分の時間を過ごせるような余白のある空間なのかなと思います。

目的を持って訪れる売り手や買い手にとって、KAKKOは単に服を買う場所ではなく、何かを求めて訪れる場所でもあると思います。そうした価値観や空気感を共有することと、リテーラーとして服を届けること。その2つのバランスについては、どのように考えていますか?

K:そもそもバランスという捉え方ではないかもしれないですね。僕もEveも、服である必要が必ずしもなかった中で服を選んでいる人間だと思うので、二項対立として考えているわけではないです。ベースにあるのは、自分たちの価値観や空気感を、服というものを通してどう伝えていくかということだと思います。あとは、もともと興味の範囲が広いからこそ、その中で服というメディアがすごくフィットしたという感覚もあって。だから、割合を決めてバランスを取るというより、すでに近いところでリンクしている2つのものをセットで捉えている感じですね。結果として服を届けること自体が、その価値観を届けることにもなっているので、僕らの中ではその2つは切り離せないものなんです。

E:僕らも店を持つことで、お客さんから得るものはもちろんあります。ファッションや時代感に限らず、いろいろなところからインスピレーションを受ける中で、自分たちが面白いと思ったことや興味を持ったことを、この空間を通してお客さんと共有できることが面白いと思っていて。一方的にこちらから何かを提示するというより、お客さんからのフィードバックも含めて、そこで得たものをまた共有していく。その循環自体が、KAKKOにとって面白いことなのかなと思います。Kokiが言ったように、いろいろな表現の媒体がある中で、服はより馴染みのあるスケール感で表現できるし、実際に日常の中で身にまとうこともできる。そういう意味でも、僕らが感じていることや興味のあるものを伝えていく媒体として、服はすごくフィットしているんだと思います。

お2人の話を聞いていると、いわゆる古着屋という枠だけでは捉えきれない、KAKKOならではの存在感があるように感じます。そうした中で、KAKKOはどのような存在でありたいと考えていますか?

K:僕ら自身は、あくまで古着屋だと思っています。ただ、今世の中で語られている“古着屋”というイメージにはずっと疑問を持っていて、それがKAKKOをやる理由でもあります。僕の中では、本来の古着屋って、物事をもう一度編集し直す仕事なんです。その背景や文脈を踏まえた上で、「なぜ今これを扱うのか」を、空間やビジュアル、言葉を通して提示していく。そこまで含めて古着屋だと思っています。だから、古着屋じゃない何かを目指しているわけではありません。ただ、ステレオタイプな「古着屋」というイメージには縛られたくない。むしろ、過去のものを今の文脈に置き換えることで、新しい見え方や面白さをつくっていきたいんです。そのために、店の空間やスタッフの知識、僕ら自身の感覚も含めて、いろいろな価値観を受け止められる場所でありたい。そういう意味で、自分たちなりの古着屋を実現できていたらいいなと思っています。

E:良い服をセレクトすることはもちろん大前提としてある。でも、それをただ写真に撮って、見たら分かる情報を書いて終わりにしてしまうのは、少しもったいないんじゃないかと思っていて。だからこそ、僕らが実際にその服をどう感じて、どういう理由でセレクトして、どういう見え方で店頭に並べているのか。そこまで含めて、ビジュアルやラインナップを考えるようにしています。多分、そこが他の店との違いの一つなのかなと思います。いろいろな文脈や、人とのコミュニケーションから得たインプットがあって、その上で自分たちがその服にどういう印象を持ったのか。その感覚まで含めて、お客さんと共有していく。そういうところは、KAKKOとして特に意識している部分ですね。

店側が提案したいスタイルと、お客さん自身が求めているものが異なることもあると思います。例えば、パンクを取り入れたいけれど、同時にトラッドにも惹かれているような場合です。そうした異なるスタイルや価値観に対して、KAKKOとしてはどのように向き合っていますか?

K:そもそも、僕らが「こういうスタイルになってほしい」と強制したいものはないんですよね。むしろ、どんなスタイルの人でも受け止められるくらいの広さは、常に意識しています。もちろん、お客さんが求めているものと、僕らが提案したいスタイルが重ならないこともあると思う。でも、KAKKOは扱っているもののレンジが広いからこそ、その間を繋げられると思っていて。例えば、ルックを作るときも言葉としては“トラッド”だったり“パンク”だったり、ある程度のキーワードが出てくることはあるけど、それを一本の柱にしてしまわないようにしています。スタイルを一つの言葉で言い切らないというのは、特に意識しているところですね。今はいろいろなものが飽和していて、選択肢もたくさんある。そんな時代だからこそできることや、扱えるものがあると思います。既存のスタイルに無理に逆らう必要もないし、その間から新しい組み合わせや見え方を見つけることもできる。

E:そもそもスタッフ全員が同じスタイルというわけではないし、むしろ、それぞれの違いを尊重していること自体が僕らのスタイルになっている。そう考えると、お客さんが求めているものと僕らの感覚が異なるのは、むしろ当然のことだと思います。だからといって、こちらから何かを操作しようとは思っていなくて。お客さんが今持っているテンションやスタイルを踏まえた上で、僕らが持っているムードとそれが交差したときに、どういうものが生まれるのか。そこを一緒に楽しんでもらえたら嬉しいし、僕ら自身もそこを見据えながらセレクトしています。

今のファッションって、音楽やカルチャーも含めて本当に多様化していて、ある意味では何でも“トレンド”として括れてしまうような状況もあると思います。そうした中で、お客さんが求めているものを聞き出すとき、例えば音楽のような別の入り口から、その人自身のスタイルを掘っていくこともありますか?

E:そうだね。服だけを見て「こういうスタイルが好きなんだ」と判断するというより、例えば普段どういう音楽を聴いているのかとか、生活とか、そういうところから聞いていくことはあります。結局、今のトレンドだけではなくて、その人がどういうものに惹かれているのかを知ることで、見えてない部分が見えてくることがある。そういうところまで含めて、一緒に遊んでいけたらいいなと思います。

一般的な古着屋と比べたとき、KAKKOはどのような違和感や不足感から生まれたのでしょうか?

E:まず、感覚的な話になってしまうけど、良いものを買い付けてくることは、古着屋である以上当然だと思っていて。それをただ写真に撮って、並べて販売するだけで完結してしまうことに、僕自身は以前から少し疑問があったんです。だからこそ、それを自分たちはどういう見方で集めて、どういう見せ方をしたいのか。さらに、今の時代に対して「こういうアプローチも」と、もともとある価値を押し上げたり、別の角度から捉え直したりすることも、古着屋だからこそできることなんじゃないかと思っています。ただ、そうやってKokiが言っていたような“編集”をする上で、その服が生まれた時代の文脈や、デザイナーが込めた意思に対しては、すごくリスペクトを持っていたい。そこをないがしろにしてしまうのも違うと思うんです。そのバランスをどう取るのかを模索すること自体が、僕にとって古着屋の意義なのかもしれない。過去にあるものを尊重しながら、今の自分たちの視点を通してもう一度提示する。その行為やムードそのものが、KAKKOの存在意義につながっていると思います。だからこそ、元々そこにある文脈や、作り手の意思はすごく尊重したいです。

時代も背景も異なるアイテムが並びながら、KAKKOの中では不思議と一つのムードとして成立しているように感じます。セレクトや見せ方において、意識していることはありますか?

K:そこは意識的にルールを作っているというより、僕とEveの服の見方そのものなんだと思います。時代やブランド、デザイナーが誰かということはもちろん大事なんですけど、僕らが最初に反応するのは、その服自体の佇まいなんですよね。もちろん、それだけで選んでいるわけではありません。その服が生まれた背景や、作り手が込めた意思、どういう文脈の中にあるものなのかということにも、同じくらい強く惹かれています。ただ、その順番としては、まず感覚があって、そのあとに文脈へ入っていく感覚に近いです。僕らの中には、まだ言語化しきれていない感覚があって、「なんか良い」という反応がまずある。その感覚をあとから文脈と照らし合わせながら、自分たちなりに理解していく。だから選ぶ基準も、何か一つのルールがあるというより、その両方を行き来している感じなんです。だから、見せ方を考えるときも、その服がもともと持っている背景や作り手へのリスペクトは絶対に失いたくない。そのうえで、僕らが惹かれた魅力が一番伝わる空間や並び方を考えています。「この年代だから並べる」とか、「このブランドだから並べる」という考え方はあまりありません。それぞれが持っている見た目と文脈、その両方が一番気持ちよく伝わる状態を考えた結果として、一つの空間になっているだけなんです。だから異なる時代やブランドの服を並べても、僕らの中ではそこに大きな違和感はありません。何か特別なルールを設けて統一しているというより、僕ら自身がそういう見方で服を見ているから、その感覚がそのまま店にも表れているんだと思います。

結局、長年の積み重ねによって培われた感覚というか、もはや明確に言語化するものではないのかもしれませんね。

E:そうですね。“美意識”と言ってしまうと少し大げさな気もするけど、個人的には、そこに対してノイズになるような操作をしないことは意識しています。コンセプトのある小さな古着屋の中に、それとまったく異なるものが入っていたら、そこには違和感が生まれると思うんです。でも、僕らはそういうことを極力しないようにしている。というより、そもそも空間やラインアップ自体を、もっと大きくて抽象的な“箱”として提案しているつもりです。いろいろなものを受け入れられる余白を最初から持たせているからこそ、異なる時代や文脈のものが並んでいても、変な違和感が生まれにくい。そういう意味では、何かを無理に馴染ませているというより、最初からそれぞれのものが成立できるくらいの広さをつくっている、という感覚に近いかもしれないですね。

K:服単体で勝負しようとしていない、というのも大きいと思います。服だけではなく、空間も含めて全部で成立させたいという感覚があるので、何か一つだけが目立ったり、特定のものが軸になったりすることもないんですよね。全部が主役でもあり、同時に脇役でもある。そういうイメージに近いと思います。

客観的に見ても、「服が主役ではない」というのは、かなり的を射ているように感じます。

E:全部を均等に見せるという感覚に近いです。古着屋でよくある、例えば天吊りのような見せ方も、今の僕からすると一種の“ノイズ”なんですよね。そういう上下をあえてつけないことが、結果的に違和感をなくすという意味では、かなり意識している部分だと思います。

これまでの話を踏まえると、入店した瞬間に「これを集めています」と明確に打ち出すような店というより、通い続ける中で、さまざまな本や知識、リファレンスを蓄えていくことで、少しずつ見えてくる面白さがあるように感じます。そうした場所として、KAKKOでお客さんにはどのような時間を過ごしてほしいですか?

K:僕らがよく使う言葉でいうと、「うちで遊んで」という感じですね。もちろん、僕らも本気でやっているし、人によっては入ること自体に少しハードルを感じるかもしれない。でも、そういう空気も含めてあまり固定的なものにはしたくないんです。むしろ、その印象を少し裏切るくらいの自由さがあってもいいと思っていて。だから店の中では、何か正解を探すというより、自分なりに自由に服を見たり、手に取ったりしてほしい。それが僕らの言う「遊ぶ」ということなんです。その遊び方をしてくれる人を見ると、すごく嬉しいんですよね。自分なりの解釈を持って店と関わってくれる人を見ると、「ちゃんとこの空間であそんでくれているな」と感じます。そもそも、そのためにあの空間をつくっています。僕らから「これが正解です」と提示したいわけではないし、「今日はこれを買って帰ってほしい」という気持ちもあまりありません。僕らの中では服も本も雑貨も、全部同じ熱量で見ています。どれか一つが主役という感覚ではなくて、全部が誰かの興味や発見につながればいい。だから、目的がなくてもふらっと来て、何かを見つけてくれたら嬉しい。おもちゃ箱を開けるような感覚で店を使ってもらえたら、それが僕らにとって一番うれしい時間の過ごし方ですね。

E:僕ら自身、リファレンスや服を見る時間はもちろん多いし、それに対して勉強する時間もかなりある。でも、あれだけの物量をフラットに見ている以上、その遊び方は本当に無限にあると思うんです。正直、僕ら自身もまだ全部を遊びきれていないと思う。だからこそ、お客さんがお客さんなりの遊び方を純粋にしてくれたとき、それが僕らの想像していたものと違っていても面白いんですよね。その瞬間に、僕らとお客さんの間で何かを共有できる。それこそが、あれだけの物量をフラットに置いている意味でもあると思います。唯一こうしてほしいということがあるとすれば、僕らから教わるというより、その人にはその人なりの遊び方があって当然だと思っているので、それをもって自由に楽しんでほしい。そして、その遊び方を僕らとも共有してもらえたら嬉しいですね。

確かに、人はどうしてもすでにスタイルを確立している人をリファレンスにしがちですよね。

K:そういう意味では、僕らから「こうなって来てほしい」というのは本当にないですね。どんなスタイルの人でも嬉しいというか、自分自身で楽しめている人が来てくれると、すごく嬉しい。

E:本当にそうだと思う。だからこそ、さっきトレンドの話をしたのも、その人自身の意思がないまま、誰かの言動やスタイルだけを自分の軸として持ってきてしまうことに対しては、少し危うさを感じるんですよね。そういう状態だと、KAKKOで本来できるはずの遊び方ができなくなってしまうと思う。

K:それはセレクトの話にもつながってくるんだけど、僕らは遊び道具をめちゃくちゃ用意している、という感覚なんです。だから、その遊び方はどんなものでもいい。服というより、楽しむための道具があれだけの数、あれだけの種類で用意されている。あとは、それをどう遊ぶかは、それぞれで考えてほしいんですよね。その中で、お客さんが僕らの想像していなかった遊び方をしていて、それが面白かったら、今度は僕らも「それやってみたいな」と思える。そういう循環があると面白いと思う。僕ら自身も、あくまで一つの遊び方を提示しているに過ぎないんです。毎回Instagramでやっていることも、結局はその一例でしかなくて。そこから先は、それぞれのやり方で自由に遊んでもらえたらいいなと思っています。

KAKKOにとって大事なのは、完成形をつくることではなく、常にその途中にある余白や可能性を残し続けることなんだと思います

古着屋やセレクトショップでは、一般的にバイヤーという存在に注目が集まりやすいと思います。一方で、KAKKOにはクリエイティブディレクターという役割があります。そもそも、KAKKOにおけるクリエイティブディレクターとは、どのような役割なのでしょうか?

K:僕は、KAKKOのクリエイティブ面を底上げして、全体のクオリティを上げていくために入っています。ただ、ここでいうクリエイティブは、ビジュアルだけを指しているわけではない。KAKKOから漂う空気感そのものを、ちゃんとクリエイティブとして成立させていくことだと思っています。ファッションも一つのクリエイティブのジャンルだけど、その背景には必ず音楽やアート、映画、スポーツなど、いろいろなカルチャーがある。そういった異なる文化や領域が交わることで、ファッション自体も広がっていく。僕自身、そういうカルチャー全体がすごく好きだから、そこまで含めてKAKKOのクオリティを上げていくことが、自分の役割の一つだと思っています。だから、僕らが言うディレクターというのは、すごくシンプルに言えば“ムードを決める人”なんだと思う。KAKKOとしてどんなムードを出したいのか、どういう遊び方をしてほしいのか。それを言葉だけではなく、非言語的な手段を使って、お客さんを含めた外の世界に伝えていく。実際の現場で何かを制作するといったこと以上に、KAKKOとしてどういうムードをつくるのか、どう見せるのか、どう編集するのか。そういう部分が、僕やEveが担っている仕事なんだと思います。

バイイングからビジュアル、SNSの投稿までを一つのムードとして設計していく中で、最初にどこからアイデアを立ち上げるのでしょうか。本や映画など、さまざまなリファレンスがあると思いますが、クリエイティブの出発点はどこにありますか?

K:僕とEveに限って言えば、意外と仕事とは関係のないいち友達としての会話がスタートになることが多いですね。「最近こういうの面白くない?」とか、「これいいんだよね」とか。本当にそういう何気ない会話から始まることが多い。お互いが普段何を見ているのか、最近どんなものに惹かれているのかということは、友達として日常的に共有しているので、そこが自然と起点になっているんだと思います。2人がそれぞれ見ているものの中で、円が重なるように「じゃあ、ここじゃない?」という部分が出てくる。その重なりが、KAKKOとして何かをつくるときのスタートになることが多いですね。だから、二人で改めて「リファレンスを探そう」とか、そういう堅苦しいことをしているわけではなくて。お互いが見たい映画を見て、読みたい本を読んで、好きなものをそれぞれの視点で見ている。もちろん、僕とEveでは見ているものも違うし、そこに対する見方も違うと思う。でも、なぜか重なる部分が結構多いんですよね。その重なった部分を、普段の会話の中でどういうふうにビジュアルに落とし込んでいくか。そこから具体的な表現に変換していく、という感じだと思います。

E:基本的なスタンスとして、世の中が今こうだから、こうあるべきだというところから何かを始めることは、あまりないですね。あくまで僕ら自身が「今こういうのが面白いよね」と自然に感じたものが出てきて、それを今の自分たちのリソースを使ってどう形にしていくか、という流れが多い。もちろん、今であればコレクションを見たりもするし、学生の頃から学術書や本を読んだり、いろいろなリファレンスを蓄積してきた。でも、それを直接的に引用して、そのまま表現し直そうという発想ではなくて。そういうものも含めて、これまで自分たちの中に蓄積されてきたものがあって、それが自然と今の自分たちの感覚として出てくる。それを、その時々のKAKKOの文脈と照らし合わせながら形にしていく、という感覚に近いですね。

そうした会話は、普段から常にしているんですか?

K:そうですね。最近見たもので良かったものの話もするし、逆に、あまり良くなかったものについても「なぜ良くなかったんだろう」という話をすることが多い。友達同士でも、そういう話をする頻度はかなり多い方だと思います。そこから出てきた感覚を、その時々に店にあるものや、最近話していたことと照らし合わせながら、具体的な形にしていくことが多いですね。例えば、「この服だったら、こないだ話していたあのノリとすごく合うんじゃないか」と考えたり、逆に「最近こういうムードをずっと話しているから、こういう服が欲しいよね」となって、それをバイヤーに伝えたり。そうやって、普段の会話の中で生まれた「今、このムードがいいよね」という感覚が、実際のセレクトや見せ方に少しずつ繋がっていく。そういう流れが多いと思います。

Kokiさんは、フォトグラファー、DJ、グラフィックデザイナーという3つの活動を軸にしてきた中で、現在はクリエイティブディレクターとして活動されています。近いようでいて、実際には視点や考え方が大きく異なる仕事だと思いますが、今のポジションに至るまで、どのような選択を積み重ねてきたのでしょうか?

K:「一つひとつの選択をしてきた」ということはあまりないですね。むしろ、日々の意識に近い。毎回を何か大きな決断として捉えるというより、流れるようにではないけど、その時々で考えながら進んできた感じです。その中でも、なるべく思考の抽象度を高く持つことは意識していたと思う。ディレクターとして全体像を把握することはもちろんだけど、それはこれまでもずっと考えてきたことなんですよね。例えばDJをやっているときも、自分のプレイを良くすることは当然。でも、それだけじゃなくて、そのパーティーの中で自分がどういう役割を果たすのか、何をしたらその場全体がもっと良くなるのか、ということまで考えるようにしていた。デザイナーとして仕事をするときも同じで、自分が手を動かしている作業だけを見るのではなくて、その企画全体の中で自分がどこにいるのか、自分の仕事が全体にどう作用するのかを考える。そういうふうに、手元を動かす仕事をしながらも、常に全体のことを考えていたことが、今につながっているんだと思います。今のディレクターという仕事は、どちらかというと全体から考えていくことが多い。もちろん今でも自分で手を動かすことは多いし、それも好きなんだけど、これまでやってきたこととはプロセスが逆。そう考えると、これまでの活動の中で「自分が何をするか」だけじゃなく、「自分の動きが全体にどう作用するのか」を常に考えてきたことが、今ディレクターをやっている理由の一つなのかなと思います。だから、何か特別な選択をしてきたというよりは、何のために自分が動いていて、その動きが全体にどう作用するのか。そこはずっと考えながら行動してきました。

なるほど。

K:あとは、行動という意味では、実際にディレクターとして活躍している人たちと会える場所には、なるべく遊びに行くようにしていました。そういう人たちがいる環境に身を置くことも、自分にとっては一つの選択だったと思います。また、自分の専門領域ではないところも、必要になると思ったものはちゃんと知っておくようにしていた。自分がもともと興味を持っていることだけじゃなくて、ディレクターとしてやっていく上で必要になりそうなものなら、興味があるかどうかに関係なく調べてみる。僕は、一度知るとそこから興味が広がっていくタイプなんですよね。まず知ってみることで、結果的に自分の興味へと近づいてくることも多い。だから、そういう環境に自分から出ていくことや、自分の専門外のことを学んでおくことも含めて、振り返れば一つひとつの選択だったのかもしれないですね。

そうした経験を重ねてきた中で、なぜKAKKOという場所とご自身の感覚がマッチしたのでしょうか?

K:どうしてもニュアンスの話になってしまうけど、お客さんとして通っていた頃から、KAKKOにはもちろん一つのコンセプトのようなものは感じていました。ただ、その「コンセプト」という言葉自体が生まれるよりも前の段階というか。誰かが言葉にして定義する以前の感覚が、KAKKOにはずっとあるように感じていたんです。「こういうコンセプトでやっています」と明確に打ち出す場所は今すごく多いけど、KAKKOはそういうことをあえて言う必要がない。むしろ、そういう言葉になる前のものが、そのままムードとして滲み出ている。それを見たときに、「こういうものが今、東京にはあまりないけど、必要なんじゃないか」と感じたんですよね。自分自身も、これまで制作をしていく中で、既にある言葉や概念に対して「本当にそうなのか?」と一度疑ってみる姿勢をずっと持ってきた。だから、KAKKOが持っている、コンセプトや言葉そのものをまず疑ってみるようなアティチュードに、すごく惹かれたんだと思います。何かを前提として、それをそのまま受け入れて進んでいくのではなくて、その前提自体を一度立ち止まって考えてみる。その姿勢そのものが、自分とKAKKOの間で重なっていた。だから、単純に「コンセプトが好きだった」というより、前提を前提のまま通り抜けない姿勢に惹かれた、という感覚が一番近いのかもしれないですね。

コンセプトや言葉、それらをアウトプットしていくことに対してどのように向き合っていますか?

E:僕はそもそも、コンセプトを体系化していく途中の段階をすごく大事にしています。一度コンセプトとして完成してしまうと、どうしてもその言葉に縛られてしまう。何かが定義された瞬間、その言葉を前提に考えたり、解釈したりするようになる。一つひとつの言葉には含みがあるし、その含みを大切にしながら形にしていくことは重要で、僕自身が惹かれるのは、そこへ至るまでのプロセスなんです。例えば、草案やドラフトをつくって、それをブラッシュアップしながら完成に近づけていく。でも最後に振り返ると、「最初の草案が一番良かった」と感じることがある。その瞬間がすごく面白いんです。最初に生まれたものには、余計な装飾や説明がなくて、一番ミニマルな魅力がある。KAKKOでも、最初に出てきたアイデアが、そのまま一番良い形だったという瞬間がよくあります。だから僕は、完成したコンセプトそのものよりも、プロセスやドラフトのような、まだ体系化される前の状態を大切にしています。KAKKOにとって大事なのは、完成形をつくることではなく、常にその途中にある余白や可能性を残し続けることなんだと思います。

K:僕はそこに関しては、結構真逆かもしれない。僕の場合は、すごく大きな言葉や概念があることを前提に、その大きさをどうやって一度ぐるっと反転させられるか、みたいな感覚がある。音って、小さすぎると聞こえないけど、だからといって大きすぎても何を聞いているのか分からなくなるじゃないですか。そういう、ちょうど「グリッチが効く」瞬間みたいなものが、僕は結構好きなんですよね。だから、何かをゼロからつくっていくというより、既にある言葉や前提に対して少し懐疑的な視点を持つ。そういう言葉や概念に対するアティチュードは、自分の制作の中でもずっとあると思います。もう一つ大きいのが、一つのメディアに頼らないこと。服なら服、音楽なら音楽という、一つの領域だけに依存しないということですね。音楽をやっていたときから、技術だけを磨いてもダメだと思っていた。美大にいたときもそうで、アートだけを知ろうとして、その場所にずっと居続けると、視野が狭くなることがある。もちろん、そこで経験や知識は得られるし、知り合いも増える。でも、それだけだと、ある意味では安易なアングラや、内輪のノリにもなり得ると思っていて。だから僕は、KAKKOに対して「アングラとインディペンデントの違いをちゃんと分かっている」という感覚がすごくあるんですよね。

アングラとインディペンデントは、似ているようでいて、Kokiさんの中では明確に違うものなんですね。

K:そうですね。少なくとも今自分が見ている“アングラ”に対しては、少し懐疑的なところがあります。本当にかっこいいと思っているなら、その面白さをもっと外に伝えようとしてもいいんじゃないかと思うんです。もちろん、すべてがそうではないけれど、閉じていること自体が価値になってしまったり、独りよがりになってしまったりする場面が多いように感じています。その一方で、既存のシステムや社会に対する批判は強い。社会や既存の価値観を批評すること自体はすごく大事だと思っています。でも、本当に何かを変えたいと思うなら、その考えが外に届くことも同じくらい大事なんじゃないかと思うんです。閉じたコミュニティの中だけで共有される批評には、少し物足りなさを感じることがあります。僕にとってインディペンデントというのは、「人目につかない」とか「メジャーじゃない」ということではありません。自分たちなりの判断基準を持っていて、既存の価値観やシステムにそのまま乗るのではなく、「自分たちはどう考えるのか」を、自分たちの意思で決めていく姿勢、その上で外へ開いていくことだと思っています。既存の価値観にただ反発するのではなく、自分たちなりの価値をつくって、それを社会に提示していく。その姿勢が、僕にとってのインディペンデントなんです。KAKKOにも、その二つをちゃんと区別している感覚があるんです。閉じた場所であることや、分かりにくいこと自体を価値にするのではなく、自分たちの視点で選び、その扱い方さえもを、できるだけ開いた形で外へ届けようとしている。その姿勢に、僕はすごく痺れました。僕の中では、アングラとインディペンデントは重なる部分もあるけれど、決定的に違うものなんです。

知識や経験がある人が多いなかで、最終的には「どうアウトプットするか」という部分も重要になってくると思います。

K:そうですね。知識も経験も何かを作る上での土台としてなくてはならないと思いますが、それだけではあまり意味がないとも思っています。知識や経験は、ある程度は努力すれば誰でも身につくものだと思うんです。でも、その知識や経験をどう扱うかは人によって全然違う。僕は、アウトプットって「知っていることを見せる」ためのものじゃなく、自分の視点を提示することだと思っています。自分が何に違和感を持って、何を面白いと思って、それをどう扱って最後に形として出すか。その一連のプロセスに、その人らしさが一番出る。だからいつも僕は、その方法に注目して見ています。同じものを見ていても、人によって全然違うアウトプットになる。その違いがクリエイティブの面白さなんじゃないかなと思っています。

制作における出発点は、今も変わっていないのでしょうか?そこから、どの媒体や手法を選んでアウトプットしていくのか、そのプロセスについても聞かせてください。

K:そこは一つも変わってないですね。日常の中で感じる違和感だったり、そこから拾ってきたものだったり。もちろん、それ自体は多くのクリエイターと大きく変わらないと思うんですけど、僕はどの媒体を使って表現するかは後から選ぶようにしていて。スタート地点は常に同じで、自分が持った興味や疑問に対して、どの手法が一番合うのか、何が一番伝わるのかを考えて、その都度選んでいる感じです。だから、出発点自体はこれからも変わらないと思います。あと僕の制作のベースって、意外と社会と結びついているんですよね。だから僕は、自分のためだけに作品をつくるという感覚があまりないんです。自分の中の違和感を出発点にはしているけど、その違和感って結局は社会と繋がっているものだから。制作はすごく個人的な行為だけど、同時に社会に向けた行為でもあると思っています。

そこから実際にビジュアルや空間、音楽などのアウトプットを完成させていくまでの時間軸は、どのように考えていますか?

K:僕は結構、短期集中型ですね。自分の制作物を作る時は、基本的に月をまたぐことがないです。意識的にそうしているわけではないんですけど、昔から、一日の中で「ここ2時間だけ集中してやる」と決めて、ダメだったらすぐやめる、みたいなことを繰り返していて。それを一週間くらい、その作品のことだけ考えて作り切る。乗っている時は無理に止めたりはしないけど、基本的な作業時間は1つのものに対して1日MAX5時間くらいで、1週間で完成させるというのが自分のベースにあります。グラフィックもディレクションも、DJも基本的にはそうですね。ただ、写真だけは全然違って。写真はフィルムカメラで撮っているんですけど、36枚撮り切るのに2〜3ヶ月くらいかかります。自分の制作で写真を撮る時は、シャッターを切ることへの責任感がすごく強くて。自分の作品として撮る時は、1枚を撮ることに対してすごく慎重になる。だから、36枚のフィルムを撮り終えるだけで3ヶ月かかることも全然あります。現像とか、その後の作業自体は早いんですけどね。自分にとっては、シャッターを切る瞬間そのものに一番時間がかかっているのかもしれないです。

先ほどおっしゃっていた制作期間の違いも含めて、写真と音楽やグラフィックでは、そもそもの捉え方が違うということでしょうか?

K:全然違いますね。そこは意識的に分けています。音楽やグラフィックをやっている時って、まず頭の中にイメージがあって、それを外に出していく感覚なんです。自分の中にあるものを、ビジュアルや音に変換していく。いわば「脳内から外へ」という工程です。でも写真は逆なんです。すでに外側に存在しているものを、一度自分の中に取り込んで、そこからもう一度外へ出していく。「外から脳内を通って、また外へ」という感覚に近い。その過程では、被写体とは関係のない自分のエゴや欲、センスも必ず入り込んでしまいます。だから写真って、一見事実を写しているようでいて、実際には自分を通して再編集されたイメージなんですよね。その自覚があるからこそ、写真に対してはすごく責任を感じます。だから僕は、写真だけは時間がかかるんです。ただ綺麗に撮ることよりも、解釈や視点について何度も考えてしまう。その工程自体が、自分にとっては写真という表現なんだと思っています。

被写体を自分の視点で切り取ること自体に、強い責任を感じているんですね。

そうですね。僕は写真を撮るって、ある意味では「息の根を止める」ような行為に近いと思っているんです。例えば、今そこにある葉っぱを撮ったとします。その写真の中では葉っぱはずっと青々としていて、生き生きしているかもしれない。でも現実の葉っぱは、その瞬間から枯れていく。写真って、本来流れ続けている時間を一瞬で止めてしまうメディアなんです。その瞬間から、その写真だけが独立した時間を生き始める。だから、写っているのは事実そのものというより、一度固定され、自分の解釈を通した時間なんですよね。だから僕は、写真って少し”死化粧”に近いと思っています。もうそこでは息をしていない。でも、その存在を一番美しく見せることはできる。だからこそ、シャッターを切ることには責任があります。その人や物が持っていた時間を、自分がどう固定してしまうのか。その責任は、音楽やグラフィックとは少し種類が違うものだと感じています。

ちなみに、スタイリングを組む時はいかがですか? これまでお話しいただいた制作プロセスと共通する部分もあるのでしょうか?

E:自分がスタイリングをひとつの制作としてやるのであれば、基本的にはさっきの話と似ていると思います。何かを作る直前に、わざわざインスピレーションを探しにいくということはあまりなくて。普段から何かを見る時に、意識的に覚えていることが結構あるんですよね。例えば、形のバランスだったり、色の比率だったり。「これ、めっちゃいいな」と思ったものは頭の中に残っていて、いざ自分が手を動かすとなった時に、それまで蓄積してきたものが自然と参考として出てくる感覚があります。そこから、それをどの媒体で表現するかを考える。例えば、よりナチュラルな動きが見える立体物が際立つのであれば、自然とスタイリングという形になっていく。そういうプロセスですね。時間軸でいうと、イメージ自体はその場でパッと浮かぶことが多いです。そこから実際に手元にあるリソースを集めて、もう一度組み直していく。でも、その段階で「これが正解」というものを最初から決めているわけではなくて。実際に手を動かしながら、自分の中で正解を見つけていく。そういう作り方が、スタイリングに関しても自分の中では自然なのかなと思います。

お二人が作るビジュアルには、いわゆる“引き算”の美学があるように感じています。見せたい本質を浮かび上がらせるために、何を残して何を削るのか。その判断基準について、答えられる範囲で教えてください。

E:僕の場合は、むしろ「削ぎ落とされているように見える状態」そのものを大事にしているのかもしれない。ちょっとニュアンスの話になっちゃうんですけど、例えばドラフトとかプロセスみたいなものに、僕は「抽象」や「ミニマル」という言葉に近い感覚を持っていて。その段階こそ、自分が本当にやりたいことが一番出ている瞬間だと思うんです。例えば、原稿でも何でもいいんですけど、まずドラフトの段階まで作る。そこにクライアントがいて、「ここをこうしてください」と言われたら、そこからはいくらでも操作できる状態にある。それって、言葉でいうと「抽象」にかなり近いと思っていて。つまり、ドラフトの段階にはまだすごく大きな可能性が残っている。だから、完成物に対して「何を残して、何を削るか」というより、そもそも他の人からすると完成に至る一つ手前の段階を、自分はあえて提示することが多いのかもしれない。質問に対してはちょっと答えづらいんですけど、そこは結構一貫していると思います。

Kokiさん的にはいかがですか?

K:意外と、自分では「引き算をしている」という感覚はないんですよね。そう見えるのもすごく分かるんですけど、僕の表現に対する意識としては、何かを演出するというより、そのもの自体から滲み出たり、香ったりするものがあれば、それで十分だと思っていて。だから、思考のプロセスとしては確かにミニマルだし、ノイズを消していくという意味では“引き算”に近い。でも、最初から一つのもの、一つの質感、一つのオブジェクトみたいに、まずは大きな要素を置いて、それだけでどこまで魅力や伝えたいことを表現できるかを考えるんです。それでもまだ弱いと思ったら、何かを足していく。ただ、その「足すもの」が新しい要素や装飾というより、僕の場合は余白だったりする。

例えば今回のKAKKOの周年のフライヤーも、最初は自分で描いた絵を大きく配置していたんですけど、途中で余白を増やした。自分の中では、それを「絵を削った」というより「余白を足した」という感覚なんですよね。Eveとやり取りしている時も、二人で「余白をデザインしている」みたいな感覚が結構あって。周りから見ればすごく引き算的な行為だと思うけど、自分の意識としては、何かを引くというより、何もない空間を足している。だから、僕にとって余白は「引くことじゃなくて、「足すこと」なんだと思います。

ビジュアルを作る上で、Kokiさんが最も大きな満足感を得るのはどんな瞬間ですか? 自分自身が納得できた時なのか、それとも、それを見た人から何かしらの反応が返ってきた時なのか。

K:もちろん、自分が「これ、すごくいいな」と思えるものを作れた時の高揚感はあります。でも、それだけでは終わらないんですよね。そこにさらに大きな喜びを与えてくれるのは、言葉を介さずに誰かと繋がれた瞬間です。Eveとも、最初にそういう感覚があったから今も一緒にやっているんだと思います。僕は、作ることと同じくらい、人と繋がりたいという気持ちが強いんです。表現って、そのための手段でもある。自分にとって本当に大事なものって、意外と言葉では説明しきれないじゃないですか。僕自身、言葉だけで伝えるのはあまり得意ではないので、自分の中にある言語化できない部分をビジュアルとして出している感覚なんです。だから、その作品を見た誰かが、言葉で説明していないはずの部分まで受け取ってくれた時は、本当に嬉しい。「ここ、拘ってるんだろうな」とか、「ここだけは譲れなかったんだろうな」っていう、自分のエゴみたいな部分まで感じ取ってもらえた時は、「ちゃんと届いたんだな」と思える。たぶん、そういう瞬間が一番昂るんですよね。

Eveさんはいかがですか?ビジュアルを作る上で、個人的に「これは良かった」と感じる瞬間や、評価する基準はありますか?

E:さっきの話にもあった通り、僕は一度できたものですら、次に何かを作る時の参考になったり、別の媒体として使えたりするような余地が残っているものに、すごく可能性を感じるんですよね。もちろん、その作品単体としてどう評価できるかも大事なんですけど、そこからさらに転用できる可能性が残っているかどうかが、僕にとっては結構大きな評価軸です。例えば、コンセプトやコンテクストを保ったまま、別の作品へ変容させることができる。そうやって元の作品が別の形で花開いた瞬間に、「あの最初の作品って面白かったんだな」と、逆算して評価できることもある。だから、完成されたものそのものというより、その一歩手前にある状態。まだ別の形へ変わっていける余白が残っているものに、一番ワクワクするんだと思います。

KAKKOとして、活動を続けるなかで軸は変わらず、よりクオリティを高めながら変化していくこともあると思います。その一方で、どれだけ変化しても「ここだけは変えたくない」と思う部分はありますか?

K:むしろ、「これだけは絶対に変えない」という何か一つに固執しないことかもしれないですね。僕らは、常に視野を広く持って、新しい価値観や可能性を受け入れ続けたいです。意固地にはなりたくないですね。

E:今できることを、もっと広げていきたいという気持ちはもちろんあるけど、自分たちから無理に広げようとはあまり考えていなくて。自然と広がっていくものでもあると思うので。

K:そう。意識的に広げよう、という感じではないんですよね。モチベーションのベースにあるのは、あくまで「これが好き」「これが面白いと思う」という感覚。それが時代とマッチするかどうかは、その後の話だと思っています。もちろん、時代や社会の変化を完全に無視したいわけではないです。そこをちゃんと見ながら、自分たちが「好き」「いい」と思っているものを、どうやってみんなと共有できるか、どうやって今の時代に持っていけるかを考えていく。僕が言っている「意固地にならない」というのは、そういうことなのかなと思います。

最後に今後の展望について教えて下さい。

E:正直、これからこうしたいという明確なものがあるわけではないんですよね。別に考えていないという意味でもなくて。「ファッションはこうあるべき」とか、「世の中を変えたい」ということを掲げているわけでもない。ただ、自分たちが自然に面白いと思ったものを集めて、それを自分たちなりに表現していく。その延長線上にあるものを、これからも続けていきたいです。

K:僕は、“新しいポップネス”をつくりたいと思っています。ポップって、分かりやすいことでも、消費されやすいことでもない。肩肘張らずに、その価値がちゃんと伝わり、ごく自然に人の生活へ入り込んでいく状態なんだと思うんです。僕らは、ものの新しい扱い方を提示している感覚に近い。服も、本も、音楽も、空間も、それぞれを切り離して考えているわけではありません。一つの視点として提示しているだけなんです。だから、僕らがやっている方法論が、一つの態度として純度高く確立されて残っていけばいい。いつか誰かが同じようなことを当たり前にやっていて、その人自身の表現になっている。そんな楽しみ方を少しでも更新できるなら、それが僕にとって一番面白い未来だと思っています。

Koki Miyo
東京を拠点に活動するディレクター/ビジュアルデザイナー/DJ。写真、グラフィック、映像、音楽など複数の領域を横断しながら、都市や時代に潜む質感や時間の痕跡を手がかりに制作を続ける。現在はKAKKOのクリエイティブをはじめ、ブランドやイベントのビジュアルデザイン、ディレクションを手がけている。

eve lantana
ディレクター/スタイリスト。建築を学んだ後、現在はファッションを主なメディアとして活動する。衣服、身体、空間という異なるスケールのあいだに生じる関係性や、それらが構成される過程、変化や解釈の余地に目を向けながら制作を行う。現在はKAKKOのディレクションを中心に、スタイリング、ビジュアル、空間など、店舗を構成するさまざまな要素に携わっている。

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近年、古着を取り巻く環境は大きく変化した。市場は拡大を続け、ヴィンテージを扱うショップやディーラーが増加する一方、SNSの普及によって、アイテムの見せ方や届け方もかつてないほど多様化している。より希少なアイテムを、より良いコンディションで、より魅力的に見せる。そんな競争が加速するなかで、セレクトやスタイリング、ビジュアルを含めた“差別化”は、以前にも増して難しくなっている。

もともと日本は、世界的に見てもヴィンテージカルチャーへの造詣が深い国のひとつだ。年代やディテール、ブランドの背景、コンディションといった細かな要素に価値を見出し、時に数十万、数百万という価格で取引されるアイテムも少なくない。“ヴィンテージコレクター”という言葉が定着していることからも、その市場が単なるファッションの領域に留まらず、膨大なアーカイブと歴史の上に成立していることが分かる。

一方で、SNSを通して膨大なアーカイブやリファレンスにアクセスできる現在、消費者の価値基準もまた細分化している。過去の資料を紐解き、年代や背景まで理解した上で1着を選ぶ者がいる一方、理屈よりも先にデザインやシルエット、直感的な魅力に反応してアイテムを手に取る者もいる。情報が開かれ、選択肢が無限に増えたからこそ、「何を売るか」だけでなく、「どのような視点で見せるか」がショップそのものの個性を左右する時代になった。

そんな現在の古着市場において、ひときわ独自の存在感を放っているのが、東京・下北沢に店舗を構える古着ショップ『KAKKO(カッコ)』だ。20代を中心としたメンバーによって運営される同ショップは、いわゆるヴィンテージショップの文脈だけでは捉えきれない。店内の空気感からアイテムのセレクト、ビジュアル、グラフィック、そしてそれらを発信する際のコミュニケーションに至るまで、一見すると異なる要素が並んでいるにもかかわらず、そこには確かな一貫性がある。

特に興味深いのは、彼らが「古着をどう見せるか」という問いに対して、既存のセオリーに寄りかからず、自分たちの感覚を起点に独自の表現を組み立てていることだ。希少性や年代といったヴィンテージ本来の価値だけを前面に押し出すのではなく、アイテムそのものが持つ佇まいや質感、そこから生まれるムードを、写真やグラフィック、空間を通して拡張していく。それは、情報が過剰な現代において、あえて説明しすぎないことでもある。何を選び、何を残し、どこまで見せるのか。その判断の積み重ねが、『KAKKO』にしかない独特のスタイルを形作っている。

では、彼らはなぜそのような表現に辿り着いたのか。そして、古着を扱うショップでありながら、なぜここまでクリエイティブそのものに強いこだわりを持つのか。今回『Hypebeast Japan』では、『KAKKO』の制作背景と、そのクリエイティブが生まれる現場にフォーカス。彼らが日々向き合う古着や、その根底にある思想を手がかりに、『KAKKO』の現在地を紐解いていく。

その思想を言葉だけでなく、ひとつのアウトプットとして提示するため、今回は『KAKKO』の世界観を起点に、本企画のためのオリジナルビジュアルも制作。アイテムのセレクトからスタイリング、構図、余白に至るまで、彼らが普段の制作で大切にしている感覚を撮影というフォーマットへと落とし込んだ。

さらに、ディレクターのKoki MiyoとアートディレクターのEve Lantana(イブ・ランタナ)を迎え、『KAKKO』という場所を形作る思想、古着との向き合い方を紐解く。言葉とビジュアル、その両面から、“古着屋”という枠組みを問い直しながら、『KAKKO』が独自に築き上げてきたスタイルを辿る。


今の世の中で語られている“古着屋”というものに対して、常に疑問を持っているからこそ、KAKKOをやっている部分はある

Hypebeast:KAKKOを一言で説明することは難しいと思います。あえて聞くなら、KAKKOをどういった“場所”として捉えていますか?

Koki(以下K):僕個人の感覚で言うなら、開かれたアトリエスペースに近いですね。何かができていくまでの過程も含めて、ある程度自分たちの手の内を見せられる。それ自体を一つの表現として外に出していく場所、という捉え方をしています。だから、ファブリックアトリエのような感覚で扱っている部分はあるかもしれないです。

Eve Lantana(以下E):そうだね。僕は“半屋外”という感覚が近いかもしれない。多様な人が、それぞれの趣味嗜好を持ち込める場所でありながら、僕らのジャンルレスなセレクトも含めて、いろいろなものが自然と混ざり合っている。ラフに楽しむこともできるし、何かについてじっくり考えながら過ごすこともできる。そういうふうに、それぞれの距離感で楽しめる空間ですね。

半屋外?

E:完全に閉じた屋内という感じでもないし、かといって誰でも自由に通り抜けられるようなオープンな場所というほどラフでもない。あくまで空間のあり方というより、ニュアンスとして“半屋外”という感覚です。一度立ち止まって休んだり、遊んだり、話したりできる。そうやって、それぞれが自分の時間を過ごせるような余白のある空間なのかなと思います。

目的を持って訪れる売り手や買い手にとって、KAKKOは単に服を買う場所ではなく、何かを求めて訪れる場所でもあると思います。そうした価値観や空気感を共有することと、リテーラーとして服を届けること。その2つのバランスについては、どのように考えていますか?

K:そもそもバランスという捉え方ではないかもしれないですね。僕もEveも、服である必要が必ずしもなかった中で服を選んでいる人間だと思うので、二項対立として考えているわけではないです。ベースにあるのは、自分たちの価値観や空気感を、服というものを通してどう伝えていくかということだと思います。あとは、もともと興味の範囲が広いからこそ、その中で服というメディアがすごくフィットしたという感覚もあって。だから、割合を決めてバランスを取るというより、すでに近いところでリンクしている2つのものをセットで捉えている感じですね。結果として服を届けること自体が、その価値観を届けることにもなっているので、僕らの中ではその2つは切り離せないものなんです。

E:僕らも店を持つことで、お客さんから得るものはもちろんあります。ファッションや時代感に限らず、いろいろなところからインスピレーションを受ける中で、自分たちが面白いと思ったことや興味を持ったことを、この空間を通してお客さんと共有できることが面白いと思っていて。一方的にこちらから何かを提示するというより、お客さんからのフィードバックも含めて、そこで得たものをまた共有していく。その循環自体が、KAKKOにとって面白いことなのかなと思います。Kokiが言ったように、いろいろな表現の媒体がある中で、服はより馴染みのあるスケール感で表現できるし、実際に日常の中で身にまとうこともできる。そういう意味でも、僕らが感じていることや興味のあるものを伝えていく媒体として、服はすごくフィットしているんだと思います。

お2人の話を聞いていると、いわゆる古着屋という枠だけでは捉えきれない、KAKKOならではの存在感があるように感じます。そうした中で、KAKKOはどのような存在でありたいと考えていますか?

K:僕ら自身は、あくまで古着屋だと思っています。ただ、今世の中で語られている“古着屋”というイメージにはずっと疑問を持っていて、それがKAKKOをやる理由でもあります。僕の中では、本来の古着屋って、物事をもう一度編集し直す仕事なんです。その背景や文脈を踏まえた上で、「なぜ今これを扱うのか」を、空間やビジュアル、言葉を通して提示していく。そこまで含めて古着屋だと思っています。だから、古着屋じゃない何かを目指しているわけではありません。ただ、ステレオタイプな「古着屋」というイメージには縛られたくない。むしろ、過去のものを今の文脈に置き換えることで、新しい見え方や面白さをつくっていきたいんです。そのために、店の空間やスタッフの知識、僕ら自身の感覚も含めて、いろいろな価値観を受け止められる場所でありたい。そういう意味で、自分たちなりの古着屋を実現できていたらいいなと思っています。

E:良い服をセレクトすることはもちろん大前提としてある。でも、それをただ写真に撮って、見たら分かる情報を書いて終わりにしてしまうのは、少しもったいないんじゃないかと思っていて。だからこそ、僕らが実際にその服をどう感じて、どういう理由でセレクトして、どういう見え方で店頭に並べているのか。そこまで含めて、ビジュアルやラインナップを考えるようにしています。多分、そこが他の店との違いの一つなのかなと思います。いろいろな文脈や、人とのコミュニケーションから得たインプットがあって、その上で自分たちがその服にどういう印象を持ったのか。その感覚まで含めて、お客さんと共有していく。そういうところは、KAKKOとして特に意識している部分ですね。

店側が提案したいスタイルと、お客さん自身が求めているものが異なることもあると思います。例えば、パンクを取り入れたいけれど、同時にトラッドにも惹かれているような場合です。そうした異なるスタイルや価値観に対して、KAKKOとしてはどのように向き合っていますか?

K:そもそも、僕らが「こういうスタイルになってほしい」と強制したいものはないんですよね。むしろ、どんなスタイルの人でも受け止められるくらいの広さは、常に意識しています。もちろん、お客さんが求めているものと、僕らが提案したいスタイルが重ならないこともあると思う。でも、KAKKOは扱っているもののレンジが広いからこそ、その間を繋げられると思っていて。例えば、ルックを作るときも言葉としては“トラッド”だったり“パンク”だったり、ある程度のキーワードが出てくることはあるけど、それを一本の柱にしてしまわないようにしています。スタイルを一つの言葉で言い切らないというのは、特に意識しているところですね。今はいろいろなものが飽和していて、選択肢もたくさんある。そんな時代だからこそできることや、扱えるものがあると思います。既存のスタイルに無理に逆らう必要もないし、その間から新しい組み合わせや見え方を見つけることもできる。

E:そもそもスタッフ全員が同じスタイルというわけではないし、むしろ、それぞれの違いを尊重していること自体が僕らのスタイルになっている。そう考えると、お客さんが求めているものと僕らの感覚が異なるのは、むしろ当然のことだと思います。だからといって、こちらから何かを操作しようとは思っていなくて。お客さんが今持っているテンションやスタイルを踏まえた上で、僕らが持っているムードとそれが交差したときに、どういうものが生まれるのか。そこを一緒に楽しんでもらえたら嬉しいし、僕ら自身もそこを見据えながらセレクトしています。

今のファッションって、音楽やカルチャーも含めて本当に多様化していて、ある意味では何でも“トレンド”として括れてしまうような状況もあると思います。そうした中で、お客さんが求めているものを聞き出すとき、例えば音楽のような別の入り口から、その人自身のスタイルを掘っていくこともありますか?

E:そうだね。服だけを見て「こういうスタイルが好きなんだ」と判断するというより、例えば普段どういう音楽を聴いているのかとか、生活とか、そういうところから聞いていくことはあります。結局、今のトレンドだけではなくて、その人がどういうものに惹かれているのかを知ることで、見えてない部分が見えてくることがある。そういうところまで含めて、一緒に遊んでいけたらいいなと思います。

一般的な古着屋と比べたとき、KAKKOはどのような違和感や不足感から生まれたのでしょうか?

E:まず、感覚的な話になってしまうけど、良いものを買い付けてくることは、古着屋である以上当然だと思っていて。それをただ写真に撮って、並べて販売するだけで完結してしまうことに、僕自身は以前から少し疑問があったんです。だからこそ、それを自分たちはどういう見方で集めて、どういう見せ方をしたいのか。さらに、今の時代に対して「こういうアプローチも」と、もともとある価値を押し上げたり、別の角度から捉え直したりすることも、古着屋だからこそできることなんじゃないかと思っています。ただ、そうやってKokiが言っていたような“編集”をする上で、その服が生まれた時代の文脈や、デザイナーが込めた意思に対しては、すごくリスペクトを持っていたい。そこをないがしろにしてしまうのも違うと思うんです。そのバランスをどう取るのかを模索すること自体が、僕にとって古着屋の意義なのかもしれない。過去にあるものを尊重しながら、今の自分たちの視点を通してもう一度提示する。その行為やムードそのものが、KAKKOの存在意義につながっていると思います。だからこそ、元々そこにある文脈や、作り手の意思はすごく尊重したいです。

時代も背景も異なるアイテムが並びながら、KAKKOの中では不思議と一つのムードとして成立しているように感じます。セレクトや見せ方において、意識していることはありますか?

K:そこは意識的にルールを作っているというより、僕とEveの服の見方そのものなんだと思います。時代やブランド、デザイナーが誰かということはもちろん大事なんですけど、僕らが最初に反応するのは、その服自体の佇まいなんですよね。もちろん、それだけで選んでいるわけではありません。その服が生まれた背景や、作り手が込めた意思、どういう文脈の中にあるものなのかということにも、同じくらい強く惹かれています。ただ、その順番としては、まず感覚があって、そのあとに文脈へ入っていく感覚に近いです。僕らの中には、まだ言語化しきれていない感覚があって、「なんか良い」という反応がまずある。その感覚をあとから文脈と照らし合わせながら、自分たちなりに理解していく。だから選ぶ基準も、何か一つのルールがあるというより、その両方を行き来している感じなんです。だから、見せ方を考えるときも、その服がもともと持っている背景や作り手へのリスペクトは絶対に失いたくない。そのうえで、僕らが惹かれた魅力が一番伝わる空間や並び方を考えています。「この年代だから並べる」とか、「このブランドだから並べる」という考え方はあまりありません。それぞれが持っている見た目と文脈、その両方が一番気持ちよく伝わる状態を考えた結果として、一つの空間になっているだけなんです。だから異なる時代やブランドの服を並べても、僕らの中ではそこに大きな違和感はありません。何か特別なルールを設けて統一しているというより、僕ら自身がそういう見方で服を見ているから、その感覚がそのまま店にも表れているんだと思います。

結局、長年の積み重ねによって培われた感覚というか、もはや明確に言語化するものではないのかもしれませんね。

E:そうですね。“美意識”と言ってしまうと少し大げさな気もするけど、個人的には、そこに対してノイズになるような操作をしないことは意識しています。コンセプトのある小さな古着屋の中に、それとまったく異なるものが入っていたら、そこには違和感が生まれると思うんです。でも、僕らはそういうことを極力しないようにしている。というより、そもそも空間やラインアップ自体を、もっと大きくて抽象的な“箱”として提案しているつもりです。いろいろなものを受け入れられる余白を最初から持たせているからこそ、異なる時代や文脈のものが並んでいても、変な違和感が生まれにくい。そういう意味では、何かを無理に馴染ませているというより、最初からそれぞれのものが成立できるくらいの広さをつくっている、という感覚に近いかもしれないですね。

K:服単体で勝負しようとしていない、というのも大きいと思います。服だけではなく、空間も含めて全部で成立させたいという感覚があるので、何か一つだけが目立ったり、特定のものが軸になったりすることもないんですよね。全部が主役でもあり、同時に脇役でもある。そういうイメージに近いと思います。

客観的に見ても、「服が主役ではない」というのは、かなり的を射ているように感じます。

E:全部を均等に見せるという感覚に近いです。古着屋でよくある、例えば天吊りのような見せ方も、今の僕からすると一種の“ノイズ”なんですよね。そういう上下をあえてつけないことが、結果的に違和感をなくすという意味では、かなり意識している部分だと思います。

これまでの話を踏まえると、入店した瞬間に「これを集めています」と明確に打ち出すような店というより、通い続ける中で、さまざまな本や知識、リファレンスを蓄えていくことで、少しずつ見えてくる面白さがあるように感じます。そうした場所として、KAKKOでお客さんにはどのような時間を過ごしてほしいですか?

K:僕らがよく使う言葉でいうと、「うちで遊んで」という感じですね。もちろん、僕らも本気でやっているし、人によっては入ること自体に少しハードルを感じるかもしれない。でも、そういう空気も含めてあまり固定的なものにはしたくないんです。むしろ、その印象を少し裏切るくらいの自由さがあってもいいと思っていて。だから店の中では、何か正解を探すというより、自分なりに自由に服を見たり、手に取ったりしてほしい。それが僕らの言う「遊ぶ」ということなんです。その遊び方をしてくれる人を見ると、すごく嬉しいんですよね。自分なりの解釈を持って店と関わってくれる人を見ると、「ちゃんとこの空間であそんでくれているな」と感じます。そもそも、そのためにあの空間をつくっています。僕らから「これが正解です」と提示したいわけではないし、「今日はこれを買って帰ってほしい」という気持ちもあまりありません。僕らの中では服も本も雑貨も、全部同じ熱量で見ています。どれか一つが主役という感覚ではなくて、全部が誰かの興味や発見につながればいい。だから、目的がなくてもふらっと来て、何かを見つけてくれたら嬉しい。おもちゃ箱を開けるような感覚で店を使ってもらえたら、それが僕らにとって一番うれしい時間の過ごし方ですね。

E:僕ら自身、リファレンスや服を見る時間はもちろん多いし、それに対して勉強する時間もかなりある。でも、あれだけの物量をフラットに見ている以上、その遊び方は本当に無限にあると思うんです。正直、僕ら自身もまだ全部を遊びきれていないと思う。だからこそ、お客さんがお客さんなりの遊び方を純粋にしてくれたとき、それが僕らの想像していたものと違っていても面白いんですよね。その瞬間に、僕らとお客さんの間で何かを共有できる。それこそが、あれだけの物量をフラットに置いている意味でもあると思います。唯一こうしてほしいということがあるとすれば、僕らから教わるというより、その人にはその人なりの遊び方があって当然だと思っているので、それをもって自由に楽しんでほしい。そして、その遊び方を僕らとも共有してもらえたら嬉しいですね。

確かに、人はどうしてもすでにスタイルを確立している人をリファレンスにしがちですよね。

K:そういう意味では、僕らから「こうなって来てほしい」というのは本当にないですね。どんなスタイルの人でも嬉しいというか、自分自身で楽しめている人が来てくれると、すごく嬉しい。

E:本当にそうだと思う。だからこそ、さっきトレンドの話をしたのも、その人自身の意思がないまま、誰かの言動やスタイルだけを自分の軸として持ってきてしまうことに対しては、少し危うさを感じるんですよね。そういう状態だと、KAKKOで本来できるはずの遊び方ができなくなってしまうと思う。

K:それはセレクトの話にもつながってくるんだけど、僕らは遊び道具をめちゃくちゃ用意している、という感覚なんです。だから、その遊び方はどんなものでもいい。服というより、楽しむための道具があれだけの数、あれだけの種類で用意されている。あとは、それをどう遊ぶかは、それぞれで考えてほしいんですよね。その中で、お客さんが僕らの想像していなかった遊び方をしていて、それが面白かったら、今度は僕らも「それやってみたいな」と思える。そういう循環があると面白いと思う。僕ら自身も、あくまで一つの遊び方を提示しているに過ぎないんです。毎回Instagramでやっていることも、結局はその一例でしかなくて。そこから先は、それぞれのやり方で自由に遊んでもらえたらいいなと思っています。

KAKKOにとって大事なのは、完成形をつくることではなく、常にその途中にある余白や可能性を残し続けることなんだと思います

古着屋やセレクトショップでは、一般的にバイヤーという存在に注目が集まりやすいと思います。一方で、KAKKOにはクリエイティブディレクターという役割があります。そもそも、KAKKOにおけるクリエイティブディレクターとは、どのような役割なのでしょうか?

K:僕は、KAKKOのクリエイティブ面を底上げして、全体のクオリティを上げていくために入っています。ただ、ここでいうクリエイティブは、ビジュアルだけを指しているわけではない。KAKKOから漂う空気感そのものを、ちゃんとクリエイティブとして成立させていくことだと思っています。ファッションも一つのクリエイティブのジャンルだけど、その背景には必ず音楽やアート、映画、スポーツなど、いろいろなカルチャーがある。そういった異なる文化や領域が交わることで、ファッション自体も広がっていく。僕自身、そういうカルチャー全体がすごく好きだから、そこまで含めてKAKKOのクオリティを上げていくことが、自分の役割の一つだと思っています。だから、僕らが言うディレクターというのは、すごくシンプルに言えば“ムードを決める人”なんだと思う。KAKKOとしてどんなムードを出したいのか、どういう遊び方をしてほしいのか。それを言葉だけではなく、非言語的な手段を使って、お客さんを含めた外の世界に伝えていく。実際の現場で何かを制作するといったこと以上に、KAKKOとしてどういうムードをつくるのか、どう見せるのか、どう編集するのか。そういう部分が、僕やEveが担っている仕事なんだと思います。

バイイングからビジュアル、SNSの投稿までを一つのムードとして設計していく中で、最初にどこからアイデアを立ち上げるのでしょうか。本や映画など、さまざまなリファレンスがあると思いますが、クリエイティブの出発点はどこにありますか?

K:僕とEveに限って言えば、意外と仕事とは関係のないいち友達としての会話がスタートになることが多いですね。「最近こういうの面白くない?」とか、「これいいんだよね」とか。本当にそういう何気ない会話から始まることが多い。お互いが普段何を見ているのか、最近どんなものに惹かれているのかということは、友達として日常的に共有しているので、そこが自然と起点になっているんだと思います。2人がそれぞれ見ているものの中で、円が重なるように「じゃあ、ここじゃない?」という部分が出てくる。その重なりが、KAKKOとして何かをつくるときのスタートになることが多いですね。だから、二人で改めて「リファレンスを探そう」とか、そういう堅苦しいことをしているわけではなくて。お互いが見たい映画を見て、読みたい本を読んで、好きなものをそれぞれの視点で見ている。もちろん、僕とEveでは見ているものも違うし、そこに対する見方も違うと思う。でも、なぜか重なる部分が結構多いんですよね。その重なった部分を、普段の会話の中でどういうふうにビジュアルに落とし込んでいくか。そこから具体的な表現に変換していく、という感じだと思います。

E:基本的なスタンスとして、世の中が今こうだから、こうあるべきだというところから何かを始めることは、あまりないですね。あくまで僕ら自身が「今こういうのが面白いよね」と自然に感じたものが出てきて、それを今の自分たちのリソースを使ってどう形にしていくか、という流れが多い。もちろん、今であればコレクションを見たりもするし、学生の頃から学術書や本を読んだり、いろいろなリファレンスを蓄積してきた。でも、それを直接的に引用して、そのまま表現し直そうという発想ではなくて。そういうものも含めて、これまで自分たちの中に蓄積されてきたものがあって、それが自然と今の自分たちの感覚として出てくる。それを、その時々のKAKKOの文脈と照らし合わせながら形にしていく、という感覚に近いですね。

そうした会話は、普段から常にしているんですか?

K:そうですね。最近見たもので良かったものの話もするし、逆に、あまり良くなかったものについても「なぜ良くなかったんだろう」という話をすることが多い。友達同士でも、そういう話をする頻度はかなり多い方だと思います。そこから出てきた感覚を、その時々に店にあるものや、最近話していたことと照らし合わせながら、具体的な形にしていくことが多いですね。例えば、「この服だったら、こないだ話していたあのノリとすごく合うんじゃないか」と考えたり、逆に「最近こういうムードをずっと話しているから、こういう服が欲しいよね」となって、それをバイヤーに伝えたり。そうやって、普段の会話の中で生まれた「今、このムードがいいよね」という感覚が、実際のセレクトや見せ方に少しずつ繋がっていく。そういう流れが多いと思います。

Kokiさんは、フォトグラファー、DJ、グラフィックデザイナーという3つの活動を軸にしてきた中で、現在はクリエイティブディレクターとして活動されています。近いようでいて、実際には視点や考え方が大きく異なる仕事だと思いますが、今のポジションに至るまで、どのような選択を積み重ねてきたのでしょうか?

K:「一つひとつの選択をしてきた」ということはあまりないですね。むしろ、日々の意識に近い。毎回を何か大きな決断として捉えるというより、流れるようにではないけど、その時々で考えながら進んできた感じです。その中でも、なるべく思考の抽象度を高く持つことは意識していたと思う。ディレクターとして全体像を把握することはもちろんだけど、それはこれまでもずっと考えてきたことなんですよね。例えばDJをやっているときも、自分のプレイを良くすることは当然。でも、それだけじゃなくて、そのパーティーの中で自分がどういう役割を果たすのか、何をしたらその場全体がもっと良くなるのか、ということまで考えるようにしていた。デザイナーとして仕事をするときも同じで、自分が手を動かしている作業だけを見るのではなくて、その企画全体の中で自分がどこにいるのか、自分の仕事が全体にどう作用するのかを考える。そういうふうに、手元を動かす仕事をしながらも、常に全体のことを考えていたことが、今につながっているんだと思います。今のディレクターという仕事は、どちらかというと全体から考えていくことが多い。もちろん今でも自分で手を動かすことは多いし、それも好きなんだけど、これまでやってきたこととはプロセスが逆。そう考えると、これまでの活動の中で「自分が何をするか」だけじゃなく、「自分の動きが全体にどう作用するのか」を常に考えてきたことが、今ディレクターをやっている理由の一つなのかなと思います。だから、何か特別な選択をしてきたというよりは、何のために自分が動いていて、その動きが全体にどう作用するのか。そこはずっと考えながら行動してきました。

なるほど。

K:あとは、行動という意味では、実際にディレクターとして活躍している人たちと会える場所には、なるべく遊びに行くようにしていました。そういう人たちがいる環境に身を置くことも、自分にとっては一つの選択だったと思います。また、自分の専門領域ではないところも、必要になると思ったものはちゃんと知っておくようにしていた。自分がもともと興味を持っていることだけじゃなくて、ディレクターとしてやっていく上で必要になりそうなものなら、興味があるかどうかに関係なく調べてみる。僕は、一度知るとそこから興味が広がっていくタイプなんですよね。まず知ってみることで、結果的に自分の興味へと近づいてくることも多い。だから、そういう環境に自分から出ていくことや、自分の専門外のことを学んでおくことも含めて、振り返れば一つひとつの選択だったのかもしれないですね。

そうした経験を重ねてきた中で、なぜKAKKOという場所とご自身の感覚がマッチしたのでしょうか?

K:どうしてもニュアンスの話になってしまうけど、お客さんとして通っていた頃から、KAKKOにはもちろん一つのコンセプトのようなものは感じていました。ただ、その「コンセプト」という言葉自体が生まれるよりも前の段階というか。誰かが言葉にして定義する以前の感覚が、KAKKOにはずっとあるように感じていたんです。「こういうコンセプトでやっています」と明確に打ち出す場所は今すごく多いけど、KAKKOはそういうことをあえて言う必要がない。むしろ、そういう言葉になる前のものが、そのままムードとして滲み出ている。それを見たときに、「こういうものが今、東京にはあまりないけど、必要なんじゃないか」と感じたんですよね。自分自身も、これまで制作をしていく中で、既にある言葉や概念に対して「本当にそうなのか?」と一度疑ってみる姿勢をずっと持ってきた。だから、KAKKOが持っている、コンセプトや言葉そのものをまず疑ってみるようなアティチュードに、すごく惹かれたんだと思います。何かを前提として、それをそのまま受け入れて進んでいくのではなくて、その前提自体を一度立ち止まって考えてみる。その姿勢そのものが、自分とKAKKOの間で重なっていた。だから、単純に「コンセプトが好きだった」というより、前提を前提のまま通り抜けない姿勢に惹かれた、という感覚が一番近いのかもしれないですね。

コンセプトや言葉、それらをアウトプットしていくことに対してどのように向き合っていますか?

E:僕はそもそも、コンセプトを体系化していく途中の段階をすごく大事にしています。一度コンセプトとして完成してしまうと、どうしてもその言葉に縛られてしまう。何かが定義された瞬間、その言葉を前提に考えたり、解釈したりするようになる。一つひとつの言葉には含みがあるし、その含みを大切にしながら形にしていくことは重要で、僕自身が惹かれるのは、そこへ至るまでのプロセスなんです。例えば、草案やドラフトをつくって、それをブラッシュアップしながら完成に近づけていく。でも最後に振り返ると、「最初の草案が一番良かった」と感じることがある。その瞬間がすごく面白いんです。最初に生まれたものには、余計な装飾や説明がなくて、一番ミニマルな魅力がある。KAKKOでも、最初に出てきたアイデアが、そのまま一番良い形だったという瞬間がよくあります。だから僕は、完成したコンセプトそのものよりも、プロセスやドラフトのような、まだ体系化される前の状態を大切にしています。KAKKOにとって大事なのは、完成形をつくることではなく、常にその途中にある余白や可能性を残し続けることなんだと思います。

K:僕はそこに関しては、結構真逆かもしれない。僕の場合は、すごく大きな言葉や概念があることを前提に、その大きさをどうやって一度ぐるっと反転させられるか、みたいな感覚がある。音って、小さすぎると聞こえないけど、だからといって大きすぎても何を聞いているのか分からなくなるじゃないですか。そういう、ちょうど「グリッチが効く」瞬間みたいなものが、僕は結構好きなんですよね。だから、何かをゼロからつくっていくというより、既にある言葉や前提に対して少し懐疑的な視点を持つ。そういう言葉や概念に対するアティチュードは、自分の制作の中でもずっとあると思います。もう一つ大きいのが、一つのメディアに頼らないこと。服なら服、音楽なら音楽という、一つの領域だけに依存しないということですね。音楽をやっていたときから、技術だけを磨いてもダメだと思っていた。美大にいたときもそうで、アートだけを知ろうとして、その場所にずっと居続けると、視野が狭くなることがある。もちろん、そこで経験や知識は得られるし、知り合いも増える。でも、それだけだと、ある意味では安易なアングラや、内輪のノリにもなり得ると思っていて。だから僕は、KAKKOに対して「アングラとインディペンデントの違いをちゃんと分かっている」という感覚がすごくあるんですよね。

アングラとインディペンデントは、似ているようでいて、Kokiさんの中では明確に違うものなんですね。

K:そうですね。少なくとも今自分が見ている“アングラ”に対しては、少し懐疑的なところがあります。本当にかっこいいと思っているなら、その面白さをもっと外に伝えようとしてもいいんじゃないかと思うんです。もちろん、すべてがそうではないけれど、閉じていること自体が価値になってしまったり、独りよがりになってしまったりする場面が多いように感じています。その一方で、既存のシステムや社会に対する批判は強い。社会や既存の価値観を批評すること自体はすごく大事だと思っています。でも、本当に何かを変えたいと思うなら、その考えが外に届くことも同じくらい大事なんじゃないかと思うんです。閉じたコミュニティの中だけで共有される批評には、少し物足りなさを感じることがあります。僕にとってインディペンデントというのは、「人目につかない」とか「メジャーじゃない」ということではありません。自分たちなりの判断基準を持っていて、既存の価値観やシステムにそのまま乗るのではなく、「自分たちはどう考えるのか」を、自分たちの意思で決めていく姿勢、その上で外へ開いていくことだと思っています。既存の価値観にただ反発するのではなく、自分たちなりの価値をつくって、それを社会に提示していく。その姿勢が、僕にとってのインディペンデントなんです。KAKKOにも、その二つをちゃんと区別している感覚があるんです。閉じた場所であることや、分かりにくいこと自体を価値にするのではなく、自分たちの視点で選び、その扱い方さえもを、できるだけ開いた形で外へ届けようとしている。その姿勢に、僕はすごく痺れました。僕の中では、アングラとインディペンデントは重なる部分もあるけれど、決定的に違うものなんです。

知識や経験がある人が多いなかで、最終的には「どうアウトプットするか」という部分も重要になってくると思います。

K:そうですね。知識も経験も何かを作る上での土台としてなくてはならないと思いますが、それだけではあまり意味がないとも思っています。知識や経験は、ある程度は努力すれば誰でも身につくものだと思うんです。でも、その知識や経験をどう扱うかは人によって全然違う。僕は、アウトプットって「知っていることを見せる」ためのものじゃなく、自分の視点を提示することだと思っています。自分が何に違和感を持って、何を面白いと思って、それをどう扱って最後に形として出すか。その一連のプロセスに、その人らしさが一番出る。だからいつも僕は、その方法に注目して見ています。同じものを見ていても、人によって全然違うアウトプットになる。その違いがクリエイティブの面白さなんじゃないかなと思っています。

制作における出発点は、今も変わっていないのでしょうか?そこから、どの媒体や手法を選んでアウトプットしていくのか、そのプロセスについても聞かせてください。

K:そこは一つも変わってないですね。日常の中で感じる違和感だったり、そこから拾ってきたものだったり。もちろん、それ自体は多くのクリエイターと大きく変わらないと思うんですけど、僕はどの媒体を使って表現するかは後から選ぶようにしていて。スタート地点は常に同じで、自分が持った興味や疑問に対して、どの手法が一番合うのか、何が一番伝わるのかを考えて、その都度選んでいる感じです。だから、出発点自体はこれからも変わらないと思います。あと僕の制作のベースって、意外と社会と結びついているんですよね。だから僕は、自分のためだけに作品をつくるという感覚があまりないんです。自分の中の違和感を出発点にはしているけど、その違和感って結局は社会と繋がっているものだから。制作はすごく個人的な行為だけど、同時に社会に向けた行為でもあると思っています。

そこから実際にビジュアルや空間、音楽などのアウトプットを完成させていくまでの時間軸は、どのように考えていますか?

K:僕は結構、短期集中型ですね。自分の制作物を作る時は、基本的に月をまたぐことがないです。意識的にそうしているわけではないんですけど、昔から、一日の中で「ここ2時間だけ集中してやる」と決めて、ダメだったらすぐやめる、みたいなことを繰り返していて。それを一週間くらい、その作品のことだけ考えて作り切る。乗っている時は無理に止めたりはしないけど、基本的な作業時間は1つのものに対して1日MAX5時間くらいで、1週間で完成させるというのが自分のベースにあります。グラフィックもディレクションも、DJも基本的にはそうですね。ただ、写真だけは全然違って。写真はフィルムカメラで撮っているんですけど、36枚撮り切るのに2〜3ヶ月くらいかかります。自分の制作で写真を撮る時は、シャッターを切ることへの責任感がすごく強くて。自分の作品として撮る時は、1枚を撮ることに対してすごく慎重になる。だから、36枚のフィルムを撮り終えるだけで3ヶ月かかることも全然あります。現像とか、その後の作業自体は早いんですけどね。自分にとっては、シャッターを切る瞬間そのものに一番時間がかかっているのかもしれないです。

先ほどおっしゃっていた制作期間の違いも含めて、写真と音楽やグラフィックでは、そもそもの捉え方が違うということでしょうか?

K:全然違いますね。そこは意識的に分けています。音楽やグラフィックをやっている時って、まず頭の中にイメージがあって、それを外に出していく感覚なんです。自分の中にあるものを、ビジュアルや音に変換していく。いわば「脳内から外へ」という工程です。でも写真は逆なんです。すでに外側に存在しているものを、一度自分の中に取り込んで、そこからもう一度外へ出していく。「外から脳内を通って、また外へ」という感覚に近い。その過程では、被写体とは関係のない自分のエゴや欲、センスも必ず入り込んでしまいます。だから写真って、一見事実を写しているようでいて、実際には自分を通して再編集されたイメージなんですよね。その自覚があるからこそ、写真に対してはすごく責任を感じます。だから僕は、写真だけは時間がかかるんです。ただ綺麗に撮ることよりも、解釈や視点について何度も考えてしまう。その工程自体が、自分にとっては写真という表現なんだと思っています。

被写体を自分の視点で切り取ること自体に、強い責任を感じているんですね。

そうですね。僕は写真を撮るって、ある意味では「息の根を止める」ような行為に近いと思っているんです。例えば、今そこにある葉っぱを撮ったとします。その写真の中では葉っぱはずっと青々としていて、生き生きしているかもしれない。でも現実の葉っぱは、その瞬間から枯れていく。写真って、本来流れ続けている時間を一瞬で止めてしまうメディアなんです。その瞬間から、その写真だけが独立した時間を生き始める。だから、写っているのは事実そのものというより、一度固定され、自分の解釈を通した時間なんですよね。だから僕は、写真って少し”死化粧”に近いと思っています。もうそこでは息をしていない。でも、その存在を一番美しく見せることはできる。だからこそ、シャッターを切ることには責任があります。その人や物が持っていた時間を、自分がどう固定してしまうのか。その責任は、音楽やグラフィックとは少し種類が違うものだと感じています。

ちなみに、スタイリングを組む時はいかがですか? これまでお話しいただいた制作プロセスと共通する部分もあるのでしょうか?

E:自分がスタイリングをひとつの制作としてやるのであれば、基本的にはさっきの話と似ていると思います。何かを作る直前に、わざわざインスピレーションを探しにいくということはあまりなくて。普段から何かを見る時に、意識的に覚えていることが結構あるんですよね。例えば、形のバランスだったり、色の比率だったり。「これ、めっちゃいいな」と思ったものは頭の中に残っていて、いざ自分が手を動かすとなった時に、それまで蓄積してきたものが自然と参考として出てくる感覚があります。そこから、それをどの媒体で表現するかを考える。例えば、よりナチュラルな動きが見える立体物が際立つのであれば、自然とスタイリングという形になっていく。そういうプロセスですね。時間軸でいうと、イメージ自体はその場でパッと浮かぶことが多いです。そこから実際に手元にあるリソースを集めて、もう一度組み直していく。でも、その段階で「これが正解」というものを最初から決めているわけではなくて。実際に手を動かしながら、自分の中で正解を見つけていく。そういう作り方が、スタイリングに関しても自分の中では自然なのかなと思います。

お二人が作るビジュアルには、いわゆる“引き算”の美学があるように感じています。見せたい本質を浮かび上がらせるために、何を残して何を削るのか。その判断基準について、答えられる範囲で教えてください。

E:僕の場合は、むしろ「削ぎ落とされているように見える状態」そのものを大事にしているのかもしれない。ちょっとニュアンスの話になっちゃうんですけど、例えばドラフトとかプロセスみたいなものに、僕は「抽象」や「ミニマル」という言葉に近い感覚を持っていて。その段階こそ、自分が本当にやりたいことが一番出ている瞬間だと思うんです。例えば、原稿でも何でもいいんですけど、まずドラフトの段階まで作る。そこにクライアントがいて、「ここをこうしてください」と言われたら、そこからはいくらでも操作できる状態にある。それって、言葉でいうと「抽象」にかなり近いと思っていて。つまり、ドラフトの段階にはまだすごく大きな可能性が残っている。だから、完成物に対して「何を残して、何を削るか」というより、そもそも他の人からすると完成に至る一つ手前の段階を、自分はあえて提示することが多いのかもしれない。質問に対してはちょっと答えづらいんですけど、そこは結構一貫していると思います。

Kokiさん的にはいかがですか?

K:意外と、自分では「引き算をしている」という感覚はないんですよね。そう見えるのもすごく分かるんですけど、僕の表現に対する意識としては、何かを演出するというより、そのもの自体から滲み出たり、香ったりするものがあれば、それで十分だと思っていて。だから、思考のプロセスとしては確かにミニマルだし、ノイズを消していくという意味では“引き算”に近い。でも、最初から一つのもの、一つの質感、一つのオブジェクトみたいに、まずは大きな要素を置いて、それだけでどこまで魅力や伝えたいことを表現できるかを考えるんです。それでもまだ弱いと思ったら、何かを足していく。ただ、その「足すもの」が新しい要素や装飾というより、僕の場合は余白だったりする。

例えば今回のKAKKOの周年のフライヤーも、最初は自分で描いた絵を大きく配置していたんですけど、途中で余白を増やした。自分の中では、それを「絵を削った」というより「余白を足した」という感覚なんですよね。Eveとやり取りしている時も、二人で「余白をデザインしている」みたいな感覚が結構あって。周りから見ればすごく引き算的な行為だと思うけど、自分の意識としては、何かを引くというより、何もない空間を足している。だから、僕にとって余白は「引くことじゃなくて、「足すこと」なんだと思います。

ビジュアルを作る上で、Kokiさんが最も大きな満足感を得るのはどんな瞬間ですか? 自分自身が納得できた時なのか、それとも、それを見た人から何かしらの反応が返ってきた時なのか。

K:もちろん、自分が「これ、すごくいいな」と思えるものを作れた時の高揚感はあります。でも、それだけでは終わらないんですよね。そこにさらに大きな喜びを与えてくれるのは、言葉を介さずに誰かと繋がれた瞬間です。Eveとも、最初にそういう感覚があったから今も一緒にやっているんだと思います。僕は、作ることと同じくらい、人と繋がりたいという気持ちが強いんです。表現って、そのための手段でもある。自分にとって本当に大事なものって、意外と言葉では説明しきれないじゃないですか。僕自身、言葉だけで伝えるのはあまり得意ではないので、自分の中にある言語化できない部分をビジュアルとして出している感覚なんです。だから、その作品を見た誰かが、言葉で説明していないはずの部分まで受け取ってくれた時は、本当に嬉しい。「ここ、拘ってるんだろうな」とか、「ここだけは譲れなかったんだろうな」っていう、自分のエゴみたいな部分まで感じ取ってもらえた時は、「ちゃんと届いたんだな」と思える。たぶん、そういう瞬間が一番昂るんですよね。

Eveさんはいかがですか?ビジュアルを作る上で、個人的に「これは良かった」と感じる瞬間や、評価する基準はありますか?

E:さっきの話にもあった通り、僕は一度できたものですら、次に何かを作る時の参考になったり、別の媒体として使えたりするような余地が残っているものに、すごく可能性を感じるんですよね。もちろん、その作品単体としてどう評価できるかも大事なんですけど、そこからさらに転用できる可能性が残っているかどうかが、僕にとっては結構大きな評価軸です。例えば、コンセプトやコンテクストを保ったまま、別の作品へ変容させることができる。そうやって元の作品が別の形で花開いた瞬間に、「あの最初の作品って面白かったんだな」と、逆算して評価できることもある。だから、完成されたものそのものというより、その一歩手前にある状態。まだ別の形へ変わっていける余白が残っているものに、一番ワクワクするんだと思います。

KAKKOとして、活動を続けるなかで軸は変わらず、よりクオリティを高めながら変化していくこともあると思います。その一方で、どれだけ変化しても「ここだけは変えたくない」と思う部分はありますか?

K:むしろ、「これだけは絶対に変えない」という何か一つに固執しないことかもしれないですね。僕らは、常に視野を広く持って、新しい価値観や可能性を受け入れ続けたいです。意固地にはなりたくないですね。

E:今できることを、もっと広げていきたいという気持ちはもちろんあるけど、自分たちから無理に広げようとはあまり考えていなくて。自然と広がっていくものでもあると思うので。

K:そう。意識的に広げよう、という感じではないんですよね。モチベーションのベースにあるのは、あくまで「これが好き」「これが面白いと思う」という感覚。それが時代とマッチするかどうかは、その後の話だと思っています。もちろん、時代や社会の変化を完全に無視したいわけではないです。そこをちゃんと見ながら、自分たちが「好き」「いい」と思っているものを、どうやってみんなと共有できるか、どうやって今の時代に持っていけるかを考えていく。僕が言っている「意固地にならない」というのは、そういうことなのかなと思います。

最後に今後の展望について教えて下さい。

E:正直、これからこうしたいという明確なものがあるわけではないんですよね。別に考えていないという意味でもなくて。「ファッションはこうあるべき」とか、「世の中を変えたい」ということを掲げているわけでもない。ただ、自分たちが自然に面白いと思ったものを集めて、それを自分たちなりに表現していく。その延長線上にあるものを、これからも続けていきたいです。

K:僕は、“新しいポップネス”をつくりたいと思っています。ポップって、分かりやすいことでも、消費されやすいことでもない。肩肘張らずに、その価値がちゃんと伝わり、ごく自然に人の生活へ入り込んでいく状態なんだと思うんです。僕らは、ものの新しい扱い方を提示している感覚に近い。服も、本も、音楽も、空間も、それぞれを切り離して考えているわけではありません。一つの視点として提示しているだけなんです。だから、僕らがやっている方法論が、一つの態度として純度高く確立されて残っていけばいい。いつか誰かが同じようなことを当たり前にやっていて、その人自身の表現になっている。そんな楽しみ方を少しでも更新できるなら、それが僕にとって一番面白い未来だと思っています。

Koki Miyo
東京を拠点に活動するディレクター/ビジュアルデザイナー/DJ。写真、グラフィック、映像、音楽など複数の領域を横断しながら、都市や時代に潜む質感や時間の痕跡を手がかりに制作を続ける。現在はKAKKOのクリエイティブをはじめ、ブランドやイベントのビジュアルデザイン、ディレクションを手がけている。

eve lantana
ディレクター/スタイリスト。建築を学んだ後、現在はファッションを主なメディアとして活動する。衣服、身体、空間という異なるスケールのあいだに生じる関係性や、それらが構成される過程、変化や解釈の余地に目を向けながら制作を行う。現在はKAKKOのディレクションを中心に、スタイリング、ビジュアル、空間など、店舗を構成するさまざまな要素に携わっている。

and integrate them seamlessly into the new content without adding new tags. Ensure the new content is fashion-related, written entirely in Japanese, and approximately 1500 words. Conclude with a “結論” section and a well-formatted “よくある質問” section. Avoid including an introduction or a note explaining the process.

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