Rewrite
徳島発、次世代ヒップホップシーンを牽引するラッパー T-STONE。1999年生まれの彼は、エッジーなハスキーボイスとスタイリッシュな佇まい、そしてユーモアを織り交ぜたリリックで独自の存在感を放つ。MCバトル「UMB徳島予選」3連覇を皮切りに、『フリースタイルダンジョン』出演で全国区へと躍進。以降、2018年にリリースしたミックステープ『PURPLE GARDEN』、2019年にリリースしたEP『APOSTROPHE』、そして2021年の全国ツアー『INDEPENDENT』など、ストリートとリアルを結ぶキャリアを積み重ねてきた。1stフルアルバム『Type 1 Diabetes』では、自身が抱える1型糖尿病をタイトルに掲げ、痛みと希望を音に昇華。また2024年には徳島の藍染文化にインスパイアされた最新作『藍』をリリースし、ロックとヒップホップを横断するサウンドで新たな表現を切り開いた。魂を揺さぶるライブパフォーマンスと、真摯なメッセージを携えた楽曲で、T-STONEは今も日本のヒップホップの最前線を突き進んでいる。
そんな彼が、『Hypebeast(ハイプビースト)』の展開する音楽ディストリビューション・レーベルブランド「Hypetrak(ハイプトラック)」から、10月22日(水)に韓国のラッパー NSW yoon(エヌエスダブリュー ユーン)がフィーチャリングで参加した楽曲『Travel』をリリースした。日本語・韓国語・英語が自在に交差し、言葉や文化の境界を軽やかに飛び越える。T-STONEの最新曲は、「今すぐ行こう」という衝動をそのまま音にしたような1曲だ。空港から街へ、国境を越えて景色が切り替わる瞬間の高揚感を、リズムとメロディに詰め込む。異なる言語が響き合い、互いのバイブスで通じ合う、そのグルーヴがこの時代のリアルなつながりを映し出している。
今回『Hypebeast』では、T-STONEに独占インタビューを実施。彼のルーツから、NSW yoonとの関係性、そして今後の展望までを紐解く。若きアーティストが切り拓く新たな可能性を探る。
ヒップホップは音楽ではなく、生き方であり“人生”そのものになりました
Hypebeast:『Hypebeast』読者に向けて自己紹介をお願いいたします
T-STONE:四国・徳島の加茂名出身のラッパー T-STONEです。
ご自身の音楽的ルーツについて教えてください。最初にラップやヒップホップに触れたきっかけは何だったのでしょうか?
僕は生まれたときから母子家庭でした。でも小学校4年生の頃、離婚していた父が突然会いに来てくれて、それ以来、母と3人でご飯を食べたり旅行に行ったり、実家に泊まりに来たりするようになったんです。多分、一人息子の僕の顔が見たくなったんだと思います。母の影響で、当時はJ-POPばかり聴いていました。そんな僕を見た父が、「そんな音楽は聴くな。男ならこういう音楽を聴け」と言って、ZEEBRAさんのアルバム『BASED ON A TRUE STORY』を聴かせてくれたんです。それが僕の人生で初めてヒップホップに触れた瞬間でした。中学生のときは、他校に通うヒップホップ好きの友達 マッチとYouTubeで見つけたインストにリリックを書いたり、地元の友達に下手くそなラップを披露したりして遊んでいました。あれが僕の人生で初めてラップをした瞬間ですね。高校生になると、僕は人生を懸けてラグビーに打ち込んでいました。ところが1年の冬、左膝の前十字靭帯を断裂。全治1年の大怪我でした。学校に行く気も失せて、リハビリを中途半端にしながらフリースタイルラップにのめり込むようになりました。そして高校2年の冬、ようやく練習に復帰したタイミングで今度は右膝の前十字靭帯を断裂(笑)。さすがに「もうやってらんねぇ」となって、学校を辞め、地元・徳島のヒップホップシーンに深く関わるようになりました。それが、僕が「ヒップホップに人生をかけよう」と心に決めた瞬間です。
幼少期や学生時代に特に影響を受けたアーティストやカルチャーはありますか?
幼少期に一番影響を受けたのはSMAP、特にキムタクさんです。あの時代のキムタクさんって、男が憧れるカッコいいの象徴でした。僕は母親の影響でJ-POPを聴いていたので、自然とSMAPもよく聴いていましたね。学生時代は、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)と、同じ四国出身のラッパー・Disryさんの存在が大きかったです。ケンドリックは、メッセージ性のあるリリックとストーリーテリングの深さに衝撃を受けましたし、Disryさんは、同じ地方出身者としてリアルに活動している姿に勇気をもらいました。彼の存在があったからこそ、「自分も地元から本気でやれる」と思えたんです。カルチャー面で影響を受けたのは、MCバトルやサイファーですね。地元の仲間たちと集まって、夜な夜なリリックをぶつけ合う時間が自分を大きく成長させてくれたと思います。そして、徳島の先輩方が主催していたヒップホップやレゲエのパーティー。あの現場の熱気や、生で感じるバイブスは今でも忘れられません。あと少し意外かもしれませんが、僕は小学1年から高校1年まで少林寺拳法をやっていました。精神面の強さや、身体的なバランス感覚は今のパフォーマンスにも通じていると思います。ヒップホップも格闘技も、“自分を信じて表現する”という点で、どこか似ているんですよね。
ラッパーとしてのスタイルを確立するうえで、意識的に取り入れてきた要素と、自然に身についていったものを分けるとすると?
まず、意識的に取り入れてきた要素としては、生まれ育った街・日本 四国 徳島の加茂名の代表で居続けることですね。どれだけ活動の幅が広がっても、自分のルーツを忘れたくないという想いがあります。あとは、喜怒哀楽をそのまま音楽に落とし込むこと。良く見せようとするよりも、自分の感情をリアルに表現することを大事にしています。人の気持ちが分からないようなダサい大人にはなりたくないし、子供のような純粋さも失いたくない。感謝の気持ちを忘れず、違う世界にも興味を持ち続ける。そして、“好きなことを好きであり続けること”。これは僕の軸ですね。環境を整えることや身体を大切にすることも、パフォーマンスを続ける上で欠かせない要素だと思っています。一方で、自然に身についていったのは、自分の“吸収力”かもしれません。僕はよく「スポンジ人間」って言うんですけど(笑)、その時代その時代の環境で、良いことも悪いことも全部吸収してしまうタイプなんです。たくさんの人にお世話になって、いろんな経験を積ませてもらったおかげで、“自分が今どんな環境にいるか”の大切さを実感できるようになりました。今が人生で一番いい環境だと胸を張って言えますし、だからこそ、もっと整えていきたい。「自分の身近な人たちと一緒に、T-STONEというスタイルを確立している」と本気で思っています。
音楽活動を始める前と後で、ヒップホップに対する捉え方や自分自身の立ち位置はどのように変わりましたか?
音楽活動を始めてから、まるでドラクエみたいなゲームが始まった感覚がありました。自分が主人公で、仲間を集めながら一つひとつの壁を攻略していく。そんな冒険のような人生に変わったんです。もちろん、一緒に戦ってくれている仲間も、それぞれの物語の主人公です。活動を始める前は、「ヒップホップ=音楽ジャンルのひとつ」という認識でした。でも今は違います。ヒップホップは音楽ではなく、生き方であり“人生”そのものになりました。リリックを書くことも、ステージに立つことも、仲間と語り合う時間も、全部がヒップホップ。気づけば、僕の毎日の選択や考え方のすべてが、このカルチャーとともにある。そうやって、“ヒップホップという人生”を生きている実感があります。
地元である徳島との関係性は、作品やライフスタイルにどのように影響していますか?
地元とはしがらみではなく、一心同体の関係です。僕の中で徳島という場所は、切っても切れない存在。生まれ育ったこの土地があったからこそ、今の自分があると思っています。その想いを形にしたのが、徳島の夏の風物詩「阿波踊り」とコラボレーションして制作した楽曲『騒 ~ZOMEKI~』です。あの曲には、「もっと日本、四国、徳島を世界中の人たちに知ってほしい」という願いを込めました。地元の伝統とヒップホップを融合させることで、新しい表現が生まれることを実感しています。また、徳島には昔から藍染の文化が根付いていて、僕自身も普段から藍で染めたアイテムをよく身に着けています。ファッションでも、自分のルーツを自然に表現できることが嬉しいですね。音楽でもライフスタイルでも、地元・徳島の息づかいを感じながら生きている、それがT-STONEの原点であり、今も変わらない核です。
ライティングする際、リリックはどんなプロセスで生まれることが多いですか?
まず最初に考えるのは、「何を伝えたいのか」ということです。そこが明確になっていないと、どれだけ言葉を並べても芯の通ったリリックにはならない。テーマやメッセージが定まった瞬間に、自然とことばが流れ出していく感覚があります。そのあとは、もうセンスの世界ですね。
フローや言葉の選び方で特に意識していることは?
一番大切にしているのは、周りの意見をしっかり聞くことです。楽曲を一緒に作っているプロデューサーやラッパー、そして身近にいる仲間たちの言葉には、いつも新しい気づきがあります。自分ひとりの感覚だけで完結させず、信頼できる仲間の意見を取り入れることで、より深みのある表現が生まれると思っています。あとは、やっぱりセンスですね。でもセンスって、スタジオの中だけで磨かれるものじゃない。だからこそ、音楽を作っていない時間をどう過ごすかを意識しています。普段の会話や景色、出会う人や体験、そういう日常の中にこそ、言葉やフローのヒントが隠れているんです。
ビートに自分を合わせるのか、自分のスタイルにビートを引き寄せるのか、どちらを優先することが多いですか?
感覚的には半々くらいですね。ビートメーカーの方からたくさんのビートを送ってもらい、その中から自分のフィーリングに合うものを選んでスタートすることもあれば、逆に、先に「こういうことを伝えたい」「こういう情景を描きたい」というイメージが頭に浮かんでいて、それをビートメーカーに具現化してもらうこともあります。どちらのアプローチでも共通しているのは、“ビートと自分が共鳴しているかどうか”ということ。ビートに引っ張られるのでも、自分が引っ張るのでもなく、最終的に“音と自分が一体になる瞬間”を大切にしています。
アーティストとして活動を続ける上で大切にしている哲学やマインドセットはありますか?
「アーティストの前に、人として」ですね。どんなに評価されても、どんなにステージが大きくなっても、まずは“人としてどうあるか”を大切にしています。自分の直感に素直でいること。僕を支えてくれている仲間やファンの方々への感謝を忘れないこと。そして、裏方で支えてくれている人たちをリスペクトし続けること。アーティストという肩書きは、その上にある“人間”としての姿勢の延長にあるものだと思っています。
ファッションについてお聞きしたいです。好きなブランドなどはありますか?
SEVESKIGは大好きです。それ以外だと、やっぱりadidasですね。adidasが関係しているブランドは無条件に好きです。YZYも好きだし、SUSSも好き。NO MASS PROD.もチェックしています。あとはブランドではないけれど、藍染も僕にとって特別な存在です。地元・徳島に根付いた文化として、自分のファッションにも自然と取り入れています。
ヒップホップというカルチャーを通じて国境を超えて心で繋がり合い、全世界に平和を
今回、NSW yoonさんと制作することになった経緯を教えてください
きっかけは、四国・愛媛出身のラッパーDiva WisteriaがNSW yoonを紹介してくれたことでした。その後、yoonが日本に来ているタイミングで、僕が韓国に遊びに行く約束をしたんです。実は、それが僕にとって人生で初めてのひとり海外。正直、めちゃくちゃドキドキしてました(笑)。でも韓国に着くと、yoonがホテルまで車で迎えに来てくれて、「Tさん、今から何したいですか?」って聞いてくれたんです。僕はすぐに、「yoonのスタジオに行って、一緒に曲を作りたいです」と伝えました。その瞬間に生まれたのが『Travel feat. NSW yoon』です。
タイトルを『Travel』にした理由はなんでしょうか?
上記で答えた内容の続きになりますが、NSW yoonが「Tさん、どんなテーマで曲を作りたいですか?」と聞いてくれたので、僕は「阿波踊り空港から今yoonのスタジオに来るまでの事を歌いたい」と伝えて。僕は韓国語は喋れませんし英語もカタコトなので、言葉よりも心でコミュニケーションを取っていました。テーマを伝える為に僕の口から絞りでたワードが“Travel”だったので、タイトルが『Travel』になりました。
制作の中でお互いの強みをどう活かし合ったと感じていますか?
僕は低い声で、NSW yoonは高い声でアプローチしました。声質のコントラストが絶妙で、互いの存在を引き立て合うようなバランスになったと思います。yoonが僕の声を聴いて、「今は亡きPop Smokeみたい!」って言ってくれて、すごく気に入ってくれたのが嬉しかったですね。NSW yoonは本当に多才で、日本語を覚えるスピードが尋常じゃなく早いんです。しかも、自分でビートを作れるし、ミキシングまでこなす。間違いなく天才だと思います。制作中も、お互いのアイデアを否定から入らず、肯定的に受け止める姿勢を貫けたのが大きかったです。
レコーディングやビート選びの際に特に印象に残っているエピソードはありますか?
レコーディングには、Logic Pro Xを使用しました。僕自身も日本で同じソフトを使っているので、環境の違いを感じることもなく、スムーズに進めることができました。ビート選びのときは、まずお互いが持っているビートのストックを聴かせ合うところから始めました。その中で、僕の同郷・徳島のビートメーカー Tj.Robから受け取っていたビートに、2人ともビビッときたんです。Tj.Robとはもう6年以上の付き合いがあって、まさに“Brother”のような存在。彼のビートには、ずっと“世界に通用する何か”があると感じていました。だから今回、NSW yoonとのセッションで、そのビートを使って“feel”できたのが本当に嬉しかったですね。
NSW yoonさんとの掛け合いやバース分けは、どのように決めていきましたか? また、この曲を通してリスナーに届けたいことは?
掛け合いやバース分けは、完全にお互いのセンスですね。どっちが先とか後とか、そういうルールは一切なくて、ただクオリティの良いものを作るという1点だけを共有していました。感覚を信じ合って進めたからこそ、自然な流れの中で最高の形に仕上がったと思います。この曲を通して伝えたいのは、「言葉が通じなくても、心でコミュニケーションは取れる」ということです。国も言語も違っても、心がまっすぐであれば表情や行動にそれが表れて、ちゃんと相手に伝わる。心がちゃんとしていれば、表情や行動も自ずと良くなると信じています。
『Travel』のMVについて、映像のコンセプトや撮影時のこだわりを教えてください。
映像のコンセプトはズバリ“旅”です。韓国の仁川と、日本の徳島の両方で撮影を行いました。お互いの地元を舞台に、遊びながらラフに撮影するスタイルで進めたんです。旅といえば移動。だから、飛行機・車・船など、移動のシーンを多く取り入れました。実際に移動しながら撮ることで、リアルな空気感やテンションを映像の中に閉じ込められたと思います。また、VHSカメラを使って撮影したことで、旅の思い出をそのまま記録するような質感になりました。
MVのビジュアル面で、自身のスタイルや世界観をどのように表現しましたか?
“ラフさ”を表現しました。トラベルといえばサングラス!ということで、CAZALの858と$ole onlyのアイウェアを着用しています。1着目は、SUSSのグレーのタンクトップにTEEN BOOPのグレーのスウェットパンツ、足元はadidasの白いスーパースター。首元には、蕎麦屋の大将から狩猟で使い終わった薬莢をいただき、D.O.Dのデザイナーに特注で仕上げてもらったネックレスを合わせました。2着目は、HAIGHTのピンクのシャツにWACKO MARIAの白のワークパンツ。足元はMaison MIHARA YASUHIROのPETERSON 23 スタッズ スニーカー。3着目は、4THCOAST WORLDWIDEの黒のTシャツにY-3の黒のハーフパンツ。全体を通して気取らない旅のスタイルを意識しつつ、自分らしいバランス感でファッションを楽しみました。
『Travel』という作品を通して、リスナーにどんな感情や景色を届けたいと考えていますか?
日本と韓国は悲惨な歴史が有ります。昔、日本が韓国を植民地にし韓国の人達に酷い扱いをしたから現在でも“反日”という概念が残っています。僕は日本人代表としてNSW yoonに先ず謝りました。我々の過去は変えられませんが、未来は作る事が出来ます。ヒップホップというカルチャーを通じて国境を超えて心で繋がり合い、全世界に平和を。睨み合うより力を合わせている姿を届けたいです。
今後のビジョンやリスナーに楽しみにしてほしいプロジェクトがあれば教えてください。
サプライズにしたいので、細かいことはまだ言えません(笑)。ただ、人としてもアーティストとしても、ようやく“スタートラインに立てた”という実感があります。それは、僕の音楽を聴いてくれているリスナーや、日々支えてくれている仲間たちのおかげです。来年でラップを始めて十周年を迎えます。「十」──つまり「T」です(笑)。僕は流行りを追うのではなく、“日本人として、日本国旗の下で、日本武道館のステージに立つ”という夢を掲げています。その景色を誰と共有するのかが、一番大切。僕一人の夢ではなく、仲間やファンと共に見るその瞬間こそが、今後のビジョンであり、楽しみにしてほしいプロジェクトです。
アーティスト:T-STONE
タイトル:『Travel』
配信日:10月22日(水)
配信リンク
in HTML format, including tags, to make it appealing and easy to read for Japanese-speaking readers aged 20 to 40 interested in fashion. Organize the content with appropriate headings and subheadings (h1, h2, h3, h4, h5, h6), translating all text, including headings, into Japanese. Retain any existing
tags from
徳島発、次世代ヒップホップシーンを牽引するラッパー T-STONE。1999年生まれの彼は、エッジーなハスキーボイスとスタイリッシュな佇まい、そしてユーモアを織り交ぜたリリックで独自の存在感を放つ。MCバトル「UMB徳島予選」3連覇を皮切りに、『フリースタイルダンジョン』出演で全国区へと躍進。以降、2018年にリリースしたミックステープ『PURPLE GARDEN』、2019年にリリースしたEP『APOSTROPHE』、そして2021年の全国ツアー『INDEPENDENT』など、ストリートとリアルを結ぶキャリアを積み重ねてきた。1stフルアルバム『Type 1 Diabetes』では、自身が抱える1型糖尿病をタイトルに掲げ、痛みと希望を音に昇華。また2024年には徳島の藍染文化にインスパイアされた最新作『藍』をリリースし、ロックとヒップホップを横断するサウンドで新たな表現を切り開いた。魂を揺さぶるライブパフォーマンスと、真摯なメッセージを携えた楽曲で、T-STONEは今も日本のヒップホップの最前線を突き進んでいる。
そんな彼が、『Hypebeast(ハイプビースト)』の展開する音楽ディストリビューション・レーベルブランド「Hypetrak(ハイプトラック)」から、10月22日(水)に韓国のラッパー NSW yoon(エヌエスダブリュー ユーン)がフィーチャリングで参加した楽曲『Travel』をリリースした。日本語・韓国語・英語が自在に交差し、言葉や文化の境界を軽やかに飛び越える。T-STONEの最新曲は、「今すぐ行こう」という衝動をそのまま音にしたような1曲だ。空港から街へ、国境を越えて景色が切り替わる瞬間の高揚感を、リズムとメロディに詰め込む。異なる言語が響き合い、互いのバイブスで通じ合う、そのグルーヴがこの時代のリアルなつながりを映し出している。
今回『Hypebeast』では、T-STONEに独占インタビューを実施。彼のルーツから、NSW yoonとの関係性、そして今後の展望までを紐解く。若きアーティストが切り拓く新たな可能性を探る。
ヒップホップは音楽ではなく、生き方であり“人生”そのものになりました
Hypebeast:『Hypebeast』読者に向けて自己紹介をお願いいたします
T-STONE:四国・徳島の加茂名出身のラッパー T-STONEです。
ご自身の音楽的ルーツについて教えてください。最初にラップやヒップホップに触れたきっかけは何だったのでしょうか?
僕は生まれたときから母子家庭でした。でも小学校4年生の頃、離婚していた父が突然会いに来てくれて、それ以来、母と3人でご飯を食べたり旅行に行ったり、実家に泊まりに来たりするようになったんです。多分、一人息子の僕の顔が見たくなったんだと思います。母の影響で、当時はJ-POPばかり聴いていました。そんな僕を見た父が、「そんな音楽は聴くな。男ならこういう音楽を聴け」と言って、ZEEBRAさんのアルバム『BASED ON A TRUE STORY』を聴かせてくれたんです。それが僕の人生で初めてヒップホップに触れた瞬間でした。中学生のときは、他校に通うヒップホップ好きの友達 マッチとYouTubeで見つけたインストにリリックを書いたり、地元の友達に下手くそなラップを披露したりして遊んでいました。あれが僕の人生で初めてラップをした瞬間ですね。高校生になると、僕は人生を懸けてラグビーに打ち込んでいました。ところが1年の冬、左膝の前十字靭帯を断裂。全治1年の大怪我でした。学校に行く気も失せて、リハビリを中途半端にしながらフリースタイルラップにのめり込むようになりました。そして高校2年の冬、ようやく練習に復帰したタイミングで今度は右膝の前十字靭帯を断裂(笑)。さすがに「もうやってらんねぇ」となって、学校を辞め、地元・徳島のヒップホップシーンに深く関わるようになりました。それが、僕が「ヒップホップに人生をかけよう」と心に決めた瞬間です。
幼少期や学生時代に特に影響を受けたアーティストやカルチャーはありますか?
幼少期に一番影響を受けたのはSMAP、特にキムタクさんです。あの時代のキムタクさんって、男が憧れるカッコいいの象徴でした。僕は母親の影響でJ-POPを聴いていたので、自然とSMAPもよく聴いていましたね。学生時代は、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)と、同じ四国出身のラッパー・Disryさんの存在が大きかったです。ケンドリックは、メッセージ性のあるリリックとストーリーテリングの深さに衝撃を受けましたし、Disryさんは、同じ地方出身者としてリアルに活動している姿に勇気をもらいました。彼の存在があったからこそ、「自分も地元から本気でやれる」と思えたんです。カルチャー面で影響を受けたのは、MCバトルやサイファーですね。地元の仲間たちと集まって、夜な夜なリリックをぶつけ合う時間が自分を大きく成長させてくれたと思います。そして、徳島の先輩方が主催していたヒップホップやレゲエのパーティー。あの現場の熱気や、生で感じるバイブスは今でも忘れられません。あと少し意外かもしれませんが、僕は小学1年から高校1年まで少林寺拳法をやっていました。精神面の強さや、身体的なバランス感覚は今のパフォーマンスにも通じていると思います。ヒップホップも格闘技も、“自分を信じて表現する”という点で、どこか似ているんですよね。
ラッパーとしてのスタイルを確立するうえで、意識的に取り入れてきた要素と、自然に身についていったものを分けるとすると?
まず、意識的に取り入れてきた要素としては、生まれ育った街・日本 四国 徳島の加茂名の代表で居続けることですね。どれだけ活動の幅が広がっても、自分のルーツを忘れたくないという想いがあります。あとは、喜怒哀楽をそのまま音楽に落とし込むこと。良く見せようとするよりも、自分の感情をリアルに表現することを大事にしています。人の気持ちが分からないようなダサい大人にはなりたくないし、子供のような純粋さも失いたくない。感謝の気持ちを忘れず、違う世界にも興味を持ち続ける。そして、“好きなことを好きであり続けること”。これは僕の軸ですね。環境を整えることや身体を大切にすることも、パフォーマンスを続ける上で欠かせない要素だと思っています。一方で、自然に身についていったのは、自分の“吸収力”かもしれません。僕はよく「スポンジ人間」って言うんですけど(笑)、その時代その時代の環境で、良いことも悪いことも全部吸収してしまうタイプなんです。たくさんの人にお世話になって、いろんな経験を積ませてもらったおかげで、“自分が今どんな環境にいるか”の大切さを実感できるようになりました。今が人生で一番いい環境だと胸を張って言えますし、だからこそ、もっと整えていきたい。「自分の身近な人たちと一緒に、T-STONEというスタイルを確立している」と本気で思っています。
音楽活動を始める前と後で、ヒップホップに対する捉え方や自分自身の立ち位置はどのように変わりましたか?
音楽活動を始めてから、まるでドラクエみたいなゲームが始まった感覚がありました。自分が主人公で、仲間を集めながら一つひとつの壁を攻略していく。そんな冒険のような人生に変わったんです。もちろん、一緒に戦ってくれている仲間も、それぞれの物語の主人公です。活動を始める前は、「ヒップホップ=音楽ジャンルのひとつ」という認識でした。でも今は違います。ヒップホップは音楽ではなく、生き方であり“人生”そのものになりました。リリックを書くことも、ステージに立つことも、仲間と語り合う時間も、全部がヒップホップ。気づけば、僕の毎日の選択や考え方のすべてが、このカルチャーとともにある。そうやって、“ヒップホップという人生”を生きている実感があります。
地元である徳島との関係性は、作品やライフスタイルにどのように影響していますか?
地元とはしがらみではなく、一心同体の関係です。僕の中で徳島という場所は、切っても切れない存在。生まれ育ったこの土地があったからこそ、今の自分があると思っています。その想いを形にしたのが、徳島の夏の風物詩「阿波踊り」とコラボレーションして制作した楽曲『騒 ~ZOMEKI~』です。あの曲には、「もっと日本、四国、徳島を世界中の人たちに知ってほしい」という願いを込めました。地元の伝統とヒップホップを融合させることで、新しい表現が生まれることを実感しています。また、徳島には昔から藍染の文化が根付いていて、僕自身も普段から藍で染めたアイテムをよく身に着けています。ファッションでも、自分のルーツを自然に表現できることが嬉しいですね。音楽でもライフスタイルでも、地元・徳島の息づかいを感じながら生きている、それがT-STONEの原点であり、今も変わらない核です。
ライティングする際、リリックはどんなプロセスで生まれることが多いですか?
まず最初に考えるのは、「何を伝えたいのか」ということです。そこが明確になっていないと、どれだけ言葉を並べても芯の通ったリリックにはならない。テーマやメッセージが定まった瞬間に、自然とことばが流れ出していく感覚があります。そのあとは、もうセンスの世界ですね。
フローや言葉の選び方で特に意識していることは?
一番大切にしているのは、周りの意見をしっかり聞くことです。楽曲を一緒に作っているプロデューサーやラッパー、そして身近にいる仲間たちの言葉には、いつも新しい気づきがあります。自分ひとりの感覚だけで完結させず、信頼できる仲間の意見を取り入れることで、より深みのある表現が生まれると思っています。あとは、やっぱりセンスですね。でもセンスって、スタジオの中だけで磨かれるものじゃない。だからこそ、音楽を作っていない時間をどう過ごすかを意識しています。普段の会話や景色、出会う人や体験、そういう日常の中にこそ、言葉やフローのヒントが隠れているんです。
ビートに自分を合わせるのか、自分のスタイルにビートを引き寄せるのか、どちらを優先することが多いですか?
感覚的には半々くらいですね。ビートメーカーの方からたくさんのビートを送ってもらい、その中から自分のフィーリングに合うものを選んでスタートすることもあれば、逆に、先に「こういうことを伝えたい」「こういう情景を描きたい」というイメージが頭に浮かんでいて、それをビートメーカーに具現化してもらうこともあります。どちらのアプローチでも共通しているのは、“ビートと自分が共鳴しているかどうか”ということ。ビートに引っ張られるのでも、自分が引っ張るのでもなく、最終的に“音と自分が一体になる瞬間”を大切にしています。
アーティストとして活動を続ける上で大切にしている哲学やマインドセットはありますか?
「アーティストの前に、人として」ですね。どんなに評価されても、どんなにステージが大きくなっても、まずは“人としてどうあるか”を大切にしています。自分の直感に素直でいること。僕を支えてくれている仲間やファンの方々への感謝を忘れないこと。そして、裏方で支えてくれている人たちをリスペクトし続けること。アーティストという肩書きは、その上にある“人間”としての姿勢の延長にあるものだと思っています。
ファッションについてお聞きしたいです。好きなブランドなどはありますか?
SEVESKIGは大好きです。それ以外だと、やっぱりadidasですね。adidasが関係しているブランドは無条件に好きです。YZYも好きだし、SUSSも好き。NO MASS PROD.もチェックしています。あとはブランドではないけれど、藍染も僕にとって特別な存在です。地元・徳島に根付いた文化として、自分のファッションにも自然と取り入れています。
ヒップホップというカルチャーを通じて国境を超えて心で繋がり合い、全世界に平和を
今回、NSW yoonさんと制作することになった経緯を教えてください
きっかけは、四国・愛媛出身のラッパーDiva WisteriaがNSW yoonを紹介してくれたことでした。その後、yoonが日本に来ているタイミングで、僕が韓国に遊びに行く約束をしたんです。実は、それが僕にとって人生で初めてのひとり海外。正直、めちゃくちゃドキドキしてました(笑)。でも韓国に着くと、yoonがホテルまで車で迎えに来てくれて、「Tさん、今から何したいですか?」って聞いてくれたんです。僕はすぐに、「yoonのスタジオに行って、一緒に曲を作りたいです」と伝えました。その瞬間に生まれたのが『Travel feat. NSW yoon』です。
タイトルを『Travel』にした理由はなんでしょうか?
上記で答えた内容の続きになりますが、NSW yoonが「Tさん、どんなテーマで曲を作りたいですか?」と聞いてくれたので、僕は「阿波踊り空港から今yoonのスタジオに来るまでの事を歌いたい」と伝えて。僕は韓国語は喋れませんし英語もカタコトなので、言葉よりも心でコミュニケーションを取っていました。テーマを伝える為に僕の口から絞りでたワードが“Travel”だったので、タイトルが『Travel』になりました。
制作の中でお互いの強みをどう活かし合ったと感じていますか?
僕は低い声で、NSW yoonは高い声でアプローチしました。声質のコントラストが絶妙で、互いの存在を引き立て合うようなバランスになったと思います。yoonが僕の声を聴いて、「今は亡きPop Smokeみたい!」って言ってくれて、すごく気に入ってくれたのが嬉しかったですね。NSW yoonは本当に多才で、日本語を覚えるスピードが尋常じゃなく早いんです。しかも、自分でビートを作れるし、ミキシングまでこなす。間違いなく天才だと思います。制作中も、お互いのアイデアを否定から入らず、肯定的に受け止める姿勢を貫けたのが大きかったです。
レコーディングやビート選びの際に特に印象に残っているエピソードはありますか?
レコーディングには、Logic Pro Xを使用しました。僕自身も日本で同じソフトを使っているので、環境の違いを感じることもなく、スムーズに進めることができました。ビート選びのときは、まずお互いが持っているビートのストックを聴かせ合うところから始めました。その中で、僕の同郷・徳島のビートメーカー Tj.Robから受け取っていたビートに、2人ともビビッときたんです。Tj.Robとはもう6年以上の付き合いがあって、まさに“Brother”のような存在。彼のビートには、ずっと“世界に通用する何か”があると感じていました。だから今回、NSW yoonとのセッションで、そのビートを使って“feel”できたのが本当に嬉しかったですね。
NSW yoonさんとの掛け合いやバース分けは、どのように決めていきましたか? また、この曲を通してリスナーに届けたいことは?
掛け合いやバース分けは、完全にお互いのセンスですね。どっちが先とか後とか、そういうルールは一切なくて、ただクオリティの良いものを作るという1点だけを共有していました。感覚を信じ合って進めたからこそ、自然な流れの中で最高の形に仕上がったと思います。この曲を通して伝えたいのは、「言葉が通じなくても、心でコミュニケーションは取れる」ということです。国も言語も違っても、心がまっすぐであれば表情や行動にそれが表れて、ちゃんと相手に伝わる。心がちゃんとしていれば、表情や行動も自ずと良くなると信じています。
『Travel』のMVについて、映像のコンセプトや撮影時のこだわりを教えてください。
映像のコンセプトはズバリ“旅”です。韓国の仁川と、日本の徳島の両方で撮影を行いました。お互いの地元を舞台に、遊びながらラフに撮影するスタイルで進めたんです。旅といえば移動。だから、飛行機・車・船など、移動のシーンを多く取り入れました。実際に移動しながら撮ることで、リアルな空気感やテンションを映像の中に閉じ込められたと思います。また、VHSカメラを使って撮影したことで、旅の思い出をそのまま記録するような質感になりました。
MVのビジュアル面で、自身のスタイルや世界観をどのように表現しましたか?
“ラフさ”を表現しました。トラベルといえばサングラス!ということで、CAZALの858と$ole onlyのアイウェアを着用しています。1着目は、SUSSのグレーのタンクトップにTEEN BOOPのグレーのスウェットパンツ、足元はadidasの白いスーパースター。首元には、蕎麦屋の大将から狩猟で使い終わった薬莢をいただき、D.O.Dのデザイナーに特注で仕上げてもらったネックレスを合わせました。2着目は、HAIGHTのピンクのシャツにWACKO MARIAの白のワークパンツ。足元はMaison MIHARA YASUHIROのPETERSON 23 スタッズ スニーカー。3着目は、4THCOAST WORLDWIDEの黒のTシャツにY-3の黒のハーフパンツ。全体を通して気取らない旅のスタイルを意識しつつ、自分らしいバランス感でファッションを楽しみました。
『Travel』という作品を通して、リスナーにどんな感情や景色を届けたいと考えていますか?
日本と韓国は悲惨な歴史が有ります。昔、日本が韓国を植民地にし韓国の人達に酷い扱いをしたから現在でも“反日”という概念が残っています。僕は日本人代表としてNSW yoonに先ず謝りました。我々の過去は変えられませんが、未来は作る事が出来ます。ヒップホップというカルチャーを通じて国境を超えて心で繋がり合い、全世界に平和を。睨み合うより力を合わせている姿を届けたいです。
今後のビジョンやリスナーに楽しみにしてほしいプロジェクトがあれば教えてください。
サプライズにしたいので、細かいことはまだ言えません(笑)。ただ、人としてもアーティストとしても、ようやく“スタートラインに立てた”という実感があります。それは、僕の音楽を聴いてくれているリスナーや、日々支えてくれている仲間たちのおかげです。来年でラップを始めて十周年を迎えます。「十」──つまり「T」です(笑)。僕は流行りを追うのではなく、“日本人として、日本国旗の下で、日本武道館のステージに立つ”という夢を掲げています。その景色を誰と共有するのかが、一番大切。僕一人の夢ではなく、仲間やファンと共に見るその瞬間こそが、今後のビジョンであり、楽しみにしてほしいプロジェクトです。
アーティスト:T-STONE
タイトル:『Travel』
配信日:10月22日(水)
配信リンク
and integrate them seamlessly into the new content without adding new tags. Ensure the new content is fashion-related, written entirely in Japanese, and approximately 1500 words. Conclude with a “結論” section and a well-formatted “よくある質問” section. Avoid including an introduction or a note explaining the process.







