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【FOCUS IT.】すぐ撮らないと、なくなっちゃうから。19歳の写真家・石田真澄が捉える「光」。

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石田真澄という、19歳の写真家がいます。自身の高校生活をフィルムカメラで捉えた写真には、等身大の目線と美しさを捉える意志が同居しています。ファンタジーとノンフィクションの境。それが彼女の写真にゆるされた特別な居場所なのかもしれません。

生活の積み重ねの中で発露した石田の表現に対する意志に、出版レーベル「TISSUE PAPERS.」の安東嵩史が補助線を足して制作された写真集『light years-光年-』が、2月3日(土)に発売になります。この写真集について、両者にインタビューを行いました。

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ー写真集刊行おめでとうございます。今年、石田さんは19歳。これまで「現役の女子高校生が撮った写真」という文脈で取り上げられることも少なくなかったと思いますが、最初に写真を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。

石田:意図的に撮り出したきっかけは、中学一年生のときにガラケーを買ってもらったことです。中学二年生で女子向けのデジタル一眼レフを手に入れて、学校で携帯電話を出していると怒られちゃうんですけど、カメラだったら怒られないので持って行ってました。

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ー学校で撮ることからはじまったんですね。

石田:最初は文化祭や体育祭、記念のときに撮っていたんですけど、だんだん記録する感覚で日常を撮るように。そのあと高校一年生のときに海外研修に行く機会があったんですけど、デジタルだけじゃなくてフィルムのインスタントカメラを持って行ったんです。それがフィルムカメラを使い始めるきっかけでした。

ー通っていた学校について教えてください。

石田:中高一貫の女子校で、6年間クラス替えがありませんでした。学校自体が小さくて先生の目が届きやすいから仲がよかったです。先生が写真を撮ってくれる習慣があったからみんな撮られ慣れていたし、私が撮ったデータを先生にあげたりもしました。

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ー6年間ずっと同じメンバーで、揉め事なんかもあったのでは。

石田:そういうこともありました(笑)。でも、誰かが嫌いということもなくて、こういうところもあるんだって受け入れていました。この環境とメンバーはずっと変わらないからって、みんながそれに気付いていましたね。

ーそんな中で石田さんの写真はどんな役割を担っていたのでしょう。

石田:デジタルカメラの写真は、みんなのために撮っていました。集合写真とか顔がきちんと写っているものは、その日の夜にすぐ送ったりして。フィルムは自分寄りの写真で、みんなの顔が写ってなくてもいいし、ものだけでもいい。デジタルのほうが可愛くきれいに写るから、みんなフィルムに対してはあまり興味なかったんじゃないかなーと思います。

ーフィルムで自分用の写真を撮るとき、どういう部分に美しさを見出していましたか。

石田:そうですね…あ、これ撮ってもいいですか?すごい、めっちゃ寄っちゃってる。

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石田がインタビュー中に撮影した写真

石田:ごめんなさい、美しさの話。撮っているときは、単純に、「あ!きれい!」って思っています。たとえば、花とか植物そのものではなくて、植物にあたっている光を美しいと感じますね。水面に映る光、階段に当たる光、光自体がすごく好きです。見る角度によって変わっちゃうんですよ。水面に映る光も、立つ位置によって全く見えなかったりする。私の角度からはすっごくきれいなのに、あっちに立つ人からは全く見えていない。太陽や雲の具合ですぐに消える。あ、今撮らないと!って思います。すぐ撮らないとなくなっちゃうから。

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ー刹那的なものに心を惹かれるんですね。

石田:そうですね。私は人と話して、「あ、そうだったんだ」というようなことを再確認することが多いです。高校卒業した直後はなぜ撮っているのかってよくわかっていなくて。なくなってしまうから、卒業があるから、というぼんやりとした気持ちだけ。安東さんと話す中でわかってきた部分が少なからずあります。

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安東:石田さんの写真を見ると、キラキラしている中にもなんとも言えないメロウさがあるんですよ。初めて会うときには、「個展も開いたしこれから大学生だし、無敵!」みたいな人が来るか、そうでない人が来るか、どちらでもおかしくないと思っていました。
結果、最もそうではない人が来た(笑)。「以前の写真はもう見返したくない」なんて話していて、高校生活が終わってしまった痛みに苛まれていました。それが寂しさとかノスタルジーでもなく、「もう終わった。19歳、これから先はない」みたいなことなんですよ。写真集をつくろうと言うために会いに行ったのに、どうしようかと思って(笑)。

石田:あのときは、一番気分が落ちていた時期だったのかもしれません(笑)。なんででしょうね。そういう考え方なんですよね。あとどのくらいで終わってしまうのか、ということをよく想像します。

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安東:終わりを想像してしまう気持ちはよくわかるし、実際、終わりとは痛みも伴うものだと思います。その一方で、終わりは何かのはじまりと重なっている。あるところで起こった物事が、別の何かに作用して、さらに別の何かが生まれて、最終的に川のように交わっていく。石田さんよりちょっとだけ長く生きてる者として、そういうことを写真集の中にも込めたいと思いました。

ーそれは、大人になるなかでわかっていくことなのかもしれませんね。

安東:光が刻々と移り変わっていくようなもので、全ての物事は見る角度によって意味が変わってくるんですよね。写真もそれと同じで、今見るのと10年後に見るのでは全く意味が異なる。見るタイミングや状況によって別物になる。他人が撮った写真であってもそうで、それを見たときの自分が、そこに写っている、または写っていない状況や感情に自分の中の何かを重ね合わせてそれぞれの意味をつけていくものだと思います。

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ー写真集のリリースには、失ってしまう悲しみだけではなくて、前を向いていく感覚があると思いましたが、石田さんはいまどう考えていますか?

石田:未来への期待は、もともとあまり感じない性格なんですね。高校を卒業したから、ということでもなくて。高校生って肩書きや所属からはもともと抜け出したかったです。6年間は長かったし、新しいものや人の中に入っていきたい気持ちがありました。現在から未来へという希望ではなくて、今のこの場所から外へ向かう希望はあったんです。こうやって写真を通じて新しく人と出会えたり、いろんなところに行ったり、大変だけどそれ以上の楽しさを感じています。ただ、10年後は今より絶対楽しいとか、1年後は今よりもっとよくなっているとか、そういう気持ちは全く持てないんですね。これ、伝えるのが難しくて…。

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ー石田さんの写真からはやっぱりポジティブな力を感じるから、そのギャップがおもしろいですね。

石田:この前、私のことを一番最初に取り上げてくれた人が、「じめっぽさが全くない、からっとしているよね」って話してくれました。「写真って残すものだからこそ、ノスタルジーとか、後ろめたさもあるけれど、それがあまり強く出ていないよね」って。

ー世の中に放たれたら、その写真はある意味で自分だけのものではなくなる。さまざまな解釈が生まれるのも写真ならではの特性だと思います。

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安東:世に出して一人歩きした結果、自分の全然知らないところに連れていってくれるということも。

石田:わかります。それは発見でした。考えてから作り込むタイプじゃないから、人に言われて初めてわかること、知れることがたくさんありました。

安東:撮ったときの感情や関係が消えてしまっても写真は残って、世の中を漂っていくんですよね。そういう意味では、写真が死ぬってことは絶対にない。外国の蚤の市なんかで150年前の家族写真を見つけたとして、そこに写ってる人たちはもう死んでるとしても、彼らがその写真を撮ったときの思いや願いみたいなものを、現代の我々は想像することができる。その瞬間だけ、彼らはイマジネーションの中で蘇ったりする。石田さんの作品もそれに近くて、いわば「写真」という行為のベーシックな部分があるんじゃないかな…という話は、僕からはしたりしました。

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ー紙で写真集を出す理由も、そういった残して広げていく、ということが関わってくるのでしょうか。

安東:ひとつのかたまりとして存在できるのは、写真にとっては大事なことで、展示で見るのとは全然違うんですよね。本には制約があって、意図した流れがあって、色の出方も違う。個人的に、モノとして買えるってことがいいと思います。写真にお金を払うっていう体験には意味がありますよね。実際につくるのはすごく面倒だけど(笑)。

石田:私は紙の本が好きです。デジタルだとボタンを押して消去すればなくなっちゃうけど、本の場合は簡単に消せないですよね。焼くとかブックオフに売るとか、物質を消すのはけっこう大きな作業だし、心も痛みます。その重さがぜんぜん違うと思うんですよ。買うときも、おこづかいを貯めないといけないし。紙のほうが、そこにまつわる気持ちが大きいですよね。だから写真集として出せるのは嬉しいなって。

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ー最後に、写真集の内容について教えてください。

安東:全部で144ページ。ほとんど石田さんが高校時点で撮った写真をまとめています。新たに撮りおろしたりしたものもあるけど、結局収録はしませんでした。時間のまとまりとして整合性が出るということを意識していますね。あとは、装丁をお願いした米山菜津子さんと一緒に、何パターンか「光」の移り変わりについて考えてもらえるような小さな仕掛けをしています。現物なしで説明するのは難しいので、見てのお楽しみという感じですけど。これから撮る写真もやっぱり時間とともに変わっていくと思うので、基本的には一番ベーシックな部分を素直にまとめたという感じですね。迷ったらいつでもここに帰ってくればいいもの、というか。

石田:変わるんですかね…。わたし、変わるのが嫌なんですよね。あの頃の写真と変わったねって言われると、心がズタボロに…(笑)。あの頃よりよくなっているのかなって、不安になります。変化することが怖いんです。

安東:いや、生きていれば勝手に変わっていくから(笑)。いい悪いの意味も今と5年後じゃ全く違うと思うので、気楽にやりましょう。

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最後に、『lightyears-光年-』の刊行に際して安東嵩史が綴ったステートメントを引用します。ぜひご一読ください。

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1977年にフロリダから打ち上げられた宇宙探査機ボイジャー1号は、40年経った2017年現在、地球から約209億kmの地点を太陽との相対速度・秒速約17.027kmで飛行中であり、今のところ地球から最も遠くにある人工物として、観測データをNASAに送信し続けている。

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この探査機には、『The Sounds of Earth』と題した1枚のレコードが積み込まれた。もしかしたら存在するかもしれない地球外の知的生命体に私たちの文化を伝えるため、地球人の男女のシルエットを含む115枚の画像と波、風、雷、鳥や鯨の鳴き声など多くの自然音、さらに様々な文化や時代の音楽、55種類の言語によるあいさつが収録されている。

当時のアメリカ大統領ジミー・カーターは、収録されたあいさつでこのように述べた。

“これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、私たちの音・科学・画像・音楽・考え・感じ方を表したものです。私たちの死後も、この記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです。”

随分と楽天的な試みにも見えるが、東西冷戦の真っ只中でいつ破局が訪れてもおかしくはなかった世界においては、実は切実なる願いの賜物であったのかもしれない。収録内容にはソビエトのコーラス、中国語のあいさつなど、対立陣営の文化も含まれていた。誰かの想像力によって、いつか私たちが等しくよみがえる未来、への信頼。

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1990年、ボイジャー1号は60億kmの彼方から、そのカメラが最後に地球の姿を捉えたセンチメンタルな写真を送ってきた。と言っても、この写真が「the Pale Blue Dot」と名付けられたように、写し出されたあまりに広大な空間の中で、地球は0.12ピクセルのドットでしかなかったが。そして、この撮影を最後にカメラは機能を停止し、もはや私たちにその後の彼が見たものを知るすべはない。

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現在、ボイジャー1号は原子力電池の出力低下に伴って少しでも残りの稼働時間を長くするため、徐々に観測機能を停止している。2030年頃には全ての機能を停止し、いつ誰に届くともしれない親愛のメッセージを乗せて果てしない時間を旅する沈黙の船となる。太陽系から最も近い恒星に到達するには、あと4万年を要するという。

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二度と戻らない時間、言葉、光景。飛び去るように過ぎた今でも、記憶の中で眩しく輝く瞬間が誰にもある。私たちは常に、もう絶対に触れることも、抱きしめることもできない地点からその光を見ている。それは甘くきらめくばかりではなく、ときに小さな棘となって私たちを刺しもする。簡単に白黒と割り切ることなどできないまま、スペクトルのようにその色は移り変わる。もう手の届かない、夜空の果てのような場所で。

それでも、
今はもう消え去った星の何億年も前に放った光が長い旅の果てに私たちに届くように、私やあなたが見て、笑って、言葉を交わして、そのとき確かにそうしていたことの光が、いつかどこかで私たち自身や、見知らぬ誰かの夜を照らすかもしれないとしたら。
どこにたどり着こうとも、そのときの私やあなたが想像力の中でよみがえりうるのだとしたら。

その未来、への信頼。
言うなれば、それは写真というものの根源的な願いでもある。

Interview&Text_Taiyo Nagashima


light years -光年-
定価:¥4,000+TAX
発行:TISSUE Inc.
A5判並製/144P
装丁:米山菜津子
編集:安東嵩史
tissuepapers.stores.jp/items/59eeaa4b428f2d4e7800069a

写真展
日時:〜2月4日(日)
会場:gallery QUIET NOISE
住所:東京都世田谷区代沢2丁目45−2 1F
レセプション:1月27日(土)17:00~
クロージングトーク&ブックサイニング:2月3日(土)16:00~
「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS」、「QUIET NOISE」、「TISSUE PAPERS online store」で1月中に予約すると、特典として2枚組ポストカードをプレゼント。
masumi-ishida.com
www.quietnoise.jp
tissuepapers.stores.jp

Source: フィナム

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