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Interviews:倉石一樹の過去と現在と最新コレクション

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Sk8thingとともに〈A BATHING APE®️(ア ベイシング エイプ)〉でグラフィックデザインをする以前の倉石一樹は、マウンテンバイクと好奇心を携えて、コロラドの大地でのトレイリングに夢中になっていた。そしてコロラドでそんな時間を過ごすうちに倉石氏は、様々なマウンテンバイクのロゴたちに心を惹きつけられ、グラフィックによる表現と可能性に魅了されていったという。エンブレムのようなロゴに秘められたアイコンや色使いは、Tシャツのグラフィックという世界にも彼をいざない、結果、グラフィックデザインの勉強のため、彼の足をニューヨークへ運ばせることとなる。その後の倉石氏の活躍はみなさんもご存知の通りだ。

そしてここ最近の彼の服の雰囲気といえば、よりミニマルなデザインという印象があるが、それは細部まで考え抜かれた複雑な骨格をはらんでいる。かの iPhone のデザイン同様、“less is more(少ないことはより豊かなこと)”という哲学が倉石氏のデザインに於いても言えるだろう。

グラフィックアーティストとして、そしてファッションデザイナーとして知られる倉石氏。しかしコロラドにいた頃の彼は、The Stone Roses(ザ・ストーン・ローゼス)を熱心に聴き、学校ではサッカーボールを追いかける、実家を離れたばかりのティーンエイジャーだった。

ここではそんな倉石氏に、過去のエピソードやこれまでのキャリアを振り返りつつ、2018年秋冬にローンチとなる倉石一樹 x 〈Every Second Counts(エブリ セカンド カウンツ)〉のコラボレーションコレクションについて語ってもらった。




HYPEBEAST: どうして今世の中の人は、過去に憧れのような気持ちを抱くのでしょう? 人々は昔、未来にあるかもしれないアイディアを思いつくことに情熱を注いでいたと思うのですが、今は逆に多くの人が過去の事柄を参照・サンプリングすることに熱を上げているように感じます。

Kazuki Kuraishi: 僕は流行りを常に追いかけている人間じゃないから、2018年のトレンドについてとやかく言う立場ではないけど、確かにそういう現象は起きていますよね。ただそれって自然のサイクルのようなもので、物事や考え方は常にそういった行ったり来たりの繰り返しの中で進んでいっているんだと思います。

そういうファッションのトレンドサイクルについてはよく聞いていたけど、今のアシスタントが入るまで実感したことはなかったです。アシスタントの彼は今21歳なんですが、彼の服装は僕が高校生の時にしていた格好と全く一緒なんですよ。それで初めて、僕もファッションのトレンドサイクルの中に生きてそれを体験しているいるんだなぁと実感しました。本当に何の誇張もなく、彼の服装は僕の当時のそれと細部まで似ているんです。15年、20年前に僕が履いていたチャンキーなスニーカーがまた人気になっているのを見るのは楽しいですよ。


H: このサイクルはいいことだと思いますか?それともよくないと思いますか?

K: これは良し悪しの問題ではないと思いますね。どんな時代にもファッションはあるし、人はそれを消費していく。ただのサイクルです。大きな技術革新などが起きて進化していく自動車業界などとは違って、ファッションの革新ってごく小さなものですからね。


H: ソーラーパネルを使った服や、GORE-TEX®︎素材なども革新的ではありますが、これらが誕生したのもずいぶん前の話ですよね。

K: 進化と革新は常にどこにでもあって、単純にファッション業界に影響する技術革新が派手ではないというだけかと思います。たとえば、誰かが100%ナイロンのとても面白い服を作ったとして、それは一部の人にはすごく評価されることだけれど、一般消費者レベルであっと驚かれるほどかと言ったらそうじゃない。90%ナイロンで、10%エラスティックだから伸縮性があるという生地ではなく、100%ナイロンというのが新しいのだけど、生産者たち以外はそんなことに注目しないですからね。

“自分の持っているお気に入りのアイテムには実用性がなかったりするんですが、それでもなんと言うか……単純に好きなんですよ”

H: Every Second Countsとのスポーツウェアコレクションの構想は、ESCのチームとミーティングする前の早い段階から見えていたのですか?

K: 他のプロジェクトでもそうなのですが、今回もESCの過去のコレクションをおさらいすることはしなかったですね。ただ、スポーツウェアだというのはわかっていたので、持ち運びやすく着心地のいいものにしなくてはいけないと思っていました。と同時に僕は、すべてのものが理にかなうものじゃなくてもいい、っていう考えも持っているんですよね。自分の持っているお気に入りのアイテムには実用性がなかったりするんですが、それでもなんと言うか……単純に好きなんですよ。

H: Kazuki Kuraishi x Every Second Counts コレクションを見た時、ライフスタイルを連想させるコレクションだと感じました。

K: 本気のスポーツウェアであれば、コンマ1秒以下の戦いをサポートするアパレルが求められるんでしょうが、普段みんながジムに行くのは競争ではないですからね。競技用のものを作るメンタリティーはなかったです。その代わり、僕なりに何をインプットしたら面白いかというところで色々考えました。 街中でも着られるようなライフスタイルの要素を入れたのもひとつですね。

H: 形や機能性はどれほど重要ですか?

K:このコレクションに関して言えば、着心地が最優先です。服の機能を一番に据えることがこのコレクションの本来の目的なので。僕は基本的に、外部へのデザインをするときは余計なものを加えないようにしています。例えばゴワつく見た目のエルボーパッチとか。ただ、スポーツウェアの場合はまた違って、着る人の目的に合わせたディテールを必要とします。なので機能性はとても大切ですね。

最近は本格的なアウトドアウェアやアスレチックウェアを街で着ている人たちがたくさんいますよね。僕がこのコレクションで目指したのはそういったトランジションで、ストリートで着るものをスポーツジムにも、という発想です。ジムに行く習慣のある人が、既存のスポーツウェアではなくこのコレクションを着てくれたら嬉しいですね。






“機能性を感じるディテールを、ESCのロゴに共存させたかった”


H: このクレクションに施した個人的なエッセンスを教えて下さい。

K: 僕は機能性を感じるディテールを、ESCのロゴに共存させたかったんです。単にESCのロゴを服に乗せるというだけでなく、それぞれのロゴを意味のある場所に刺繍しました。もちろんボンデットシームのような機能面はありますが、この刺繍が引き立って見えるのが気に入っているポイントです。


H: ミューテッドカラー、アースカラーといった色使いにしたのはなぜですか?

K: はじめはもっと明るく鮮やかな色を考えていたんですが、Every Second Countsのショールームにいった時、そういった色使いが既にメインラインで展開されていたので、だったら違う印象のものを作ろうと思いました。なので明るい色はライニングに使っています。


H: コレクションのキーアイテムは何ですか?

K: Teflon Stand Collar Jacket はキーアイテムの一つかと思います。パッと見ただけではその機能性に気づきませんが、ベンチレーションが施されたアイテムで、ライニングには鮮やかなグリーンを使っています。ライニングに明るい色を使ったのは、腕や足を曲げるなど、エクササイズ中は裏地が見えやすい動きになるためです。


H: そこがコレクションで一番気に入っているディテールですか?

K:2.5L Jacket のディテールが一番好きかもしれません。3Dプリント技術を応用したレイヤーは、肌に触れる面積が少なく、汗をかいてもとても軽い着心地が持続するんです。


H:石倉さんのこれまでのバッグのデザインの中でも横にかかったバックルが特徴的ですが、こちらもご自身のデザインを象徴するものとしてバッグや小物に使ったのですか?

K: 元々は、2つのバッグを合わせて1つにするというアイディアから生まれたデザインなんです。今はその構造を成してはいませんが、新聞を挟んだりなど、別の機能を持たせられていると思います。

“ジムで体を鍛えることから、戦士が戦いに備えて鍛錬するというイメージを連想しました”


H:パフォーマンストップスには、紋章などに見られるシェブロンのようなパターンを使っていますが、これに関しては?

K:中世の鎧にインスパイアされたデザインです。ジムで体を鍛えることから、戦士が戦いに備えて鍛錬するというイメージを連想しました。また当時の鎧などをよく見ると、同じようなパターンが多用されていたりもするんですよ。

現代に生きていると、今のモノばかり見ていたいと思わないんです。何か参考になるものを探している時ではなくても、意識せずに現代のモノに影響されてしまっている気がするんです。だから過去のモノのほうを見たいと思うのかもしれませんね。


H: このコレクションのアスレチックウェアとしての面についても伺いたいのですが、石倉さんは昔からマウンテンバイクに造詣が深いと伺っています。今でもそこからインスピレーションを得たりするのですか?それとも別のスポーツからでしょうか?

K:スポーツの競技という側面からインスピレーションを受けることはほとんどありません。自分も今体を動かすためにしていることといえば、散歩をしたり、たまにスノーボードをしたりという程度です。そして、動くことって生きているからこそできることじゃないですか。なので自分が動き回るときには、人間の体のつくりや、どうやってファンクショナルな構造の服が作れるのかといったことを考えています。マウンテンバイクに関しても同様で、グラフィックやロゴからはインスパイアされますが、マウンテンバイクの競技、競争という要素から特別影響を受けているわけではないんですよ。





倉石一樹のデザインは、彼の幅広く重ねられたキャリア同様奥が深い。コロラドでマウンテンバイクに興じ、初めてインスピレーションを受けたティーンエイジャーの頃、 〈BAPEで〉の仕事、Stone RosesのフロントマンIan Brown(イアン・ブラウン)との出会い、藤原ヒロシとの交友、〈CASH CA(カシュカ)〉でのカットソー部門の担当など、あらゆるフェーズを通し、それらを経て進化してきたデザインが存在する。彼が過去に経験し、出会って来た人やモノたちがなければ、彼のデザインは今日のそれほど複雑かつ控えめではなかったかもしれない。そして今また、Kazuki Kuraishi x 〈Every Second Counts〉 2018年秋冬コレクションを通して、我々は倉石氏のデザインの新たな一面を目の当たりにしている。


ここからのインタビューでは石倉氏の過去のエピソードから、デザイナーとしてのキャリアを形づくったであろう瞬間をを振り返った。






“昔は憧れの人に会うことって夢のような話だったと思うんですが、今はDMやメールを送れば意外と簡単に繋がれるんですよね”


H: 石倉さんのこれまでの経歴を知らない読者に向けてご自身のキャリア包括するとしたら、特に印象的だった年や日付はありますか?

K: そういった質問の仕方は日本と他国の文化の違いなのでしょうね。僕ら日本人は思い出や記憶に関しての日付や年に割と無頓着だと思います。外国の方々が、何かが起こった年などを詳しく覚えているのって面白いですね。


H: それは考えもしませんでした。では、日付はともかく何か印象的な思い出はありますか?

K:高校3年の時、あんまりできのいい子じゃなかったんで留年しちゃったんですよ。で、親元を離れて青森に行くことになったんですが、少なくとも当時の日本では10代の子供は親と暮らすのが常識だったので、その頃に1人で生活していたっていうのは人生において重要な出来事だと思います。


H: ご両親は石倉さんが一人暮らしすることに関してすごく心配されたのではないですか?

K:そうでもないと思いますよ(笑)。一人っ子だったので寂しかったと思いますが、口に出して言っては来なかったですね。

青森の高校にいた頃は、部活でサッカーをして、UKロックをたくさん聞いていました。特にThe Stone Rosesですね。何年も後になって、A Bathing Apeで働いていた頃NIGOさんを通じてThe Stone RosesのIan Brownにも会うことができました。

僕の人生の節目節目を繋いでいるのはThe Stone Rosesだと思います。僕の時間軸のコアにはいつも彼らがいるんです。彼らの大ファンだったことからBAPEのキャリアにつながり、BAPEに入ったことでIanにも会えた。


H: ソーシャルメディアにはあまり触れていないと伺いましたが、日々のニュースをSNSから知る人も今ではたくさんいますよね。何かを見逃してしまっていると感じることはありませんか?

K:昔は今と違って、憧れの人に会ったり会話をすることって夢のような話だったと思うんですが、今はDMやメールを送れば意外と簡単に繋がれるんですよね。でも、ほぼ奇跡みたいにしてようやく会えたIanと今では一緒に仕事までしているって、SNSで繋がるよりももっと意味があるように思えるんです。会うのが難しかったぶん嬉しいし、感謝できるし、関係性を大切にできるというか。またThe Stone Rosesの話になったから、やっぱりこのバンドは僕の人生のいろんな場面に於いての共通項なのでしょうね。


H:ちなみにコロラドには今でも強い思い入れはありますか?それとも過去の経験値となっていますか?

K: コロラドでは間違いなく多くのことを学んだし影響を受けましたね。でも当時の孤独な生活は自分をまたコロラドに住みたいと思わせてはくれないですね。なので過去と言っていいかもしれません。東京以外のところに住むなら、コロラドより雪質の良い北海道がいいですね。夏も涼しいし。





“僕の人生に欠かせないのは出会って来た人たちですね”


H:A Bathing Apeに入ったのも簡単なことではなかったと思いますが、どうやってデザイナーのポジションを手に入れたのですか?

K:コロラドで過ごした後、ニューヨークに移ったんです。当時ニューヨークにはたくさんの日本人が訪れていたんですが、知人からの紹介で僕がNIGOさんを案内することになったんです。僕は、彼をお気に入りのおもちゃ屋やその他いろんな店に連れて行って、自然と仲良くなりした。なのでBAPEに入ったのもその自然な流れでした。


H: BAPEの後に、別のプロジェクトも展開するという流れになっていったのですか?

K: それは藤原ヒロシさんの影響も大きいですね。NIGOさんはPharrell Williams(ファレル・ウィリアムス)とも仲が良かったですし、ヒップホップに傾倒して行ったんですが、僕自身はもとからヒップホップにあまり興味がなくて。BAPEは今でも大好きですが、ある時期から自分であまりBAPEを着なくなったんです。その頃ヒロシさんと話す機会があって、結果ヒロシさんが紹介してくれた人たちが別の仕事を依頼してくれることになったんです。

それを考えると、僕の人生に欠かせないのは出会って来た人たちですね。The Stone Rosesも大好きだし、滝沢伸介さんにも影響を受けています。そしてNIGOさんとの出会いがあり、ヒロシさんの存在もあり、今はまたIanと仕事ができたり。さらにBAPEではスケシンさんからもたくさんのことを学びました。


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Source: HYPE BEAST

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