
Rewrite
この連載の目論見は、モードの目的地を明らかにすることだ。
ファッションはどこかに向かおうとしている、と感じる。けれど、どこかに向かおうとしているか、そのどこかは誰も分かっていない。もちろんファッションデザイナーたちやファッションを楽しむ人たちが「ここに行くぞ」と目的地を決めていくようなものではない。 モードは様々な方向へと飛び出していく。そのモードの運動の総体を捉えるために、様々なモードそのものを分析すること。無数のモードのヴェクトルを足し合わせていくと、いったいどこに向かうことになるのか。まったくの無になってしまうのか、それとも、おおまかにせよ、モードは方向と大きさを持っているのか。
モードはどこに向かうのか。存在しない目的地を探す旅を始めよう。
生成AIはどんな道具なのだろうか?
AIに関する議論はいつでもなんだか過激である。ファッションデザインにおいてもそうだ。一方では、AIがまるですべてを解決するような言い方があり、他方でAIがすべての創造性を殺してしまうかのような言い方もある。AIはどこまで今までの道具と同じなのだろうか。ファッションデザイナーは、AIならではの固有性をどのように見出そうとしているのか。
ファッションデザインにとって生成AIはどんな立ち位置なのだろうか。まずは、全体像をおさえておこう。AIを用いたファッションデザイン研究の全体を見るために、「AI支援型ファッションデザイン:レビュー」という2023年のレビュー論文をチェックしたい。ここでは、AI支援型ファッションデザインを大きく3つに分けている。第1に、衣服や身体の部位、スタイル、柄、属性を画像から認識する「検出」がある。ネックライン、袖口、裾、肩、腰といった衣服や身体の特徴的な要素を検出する技術だったり、画像内のトップスやボトムスや肌や背景を分割するファッション・パージングや、類似アイテムを検索する作業のことだ。第2に、新しい衣服画像を生成したり、既存の衣服画像の形、色、柄、テクスチャを変換したりする「生成」がある。スケッチから衣服を生成したり、テキストによって衣服をエディットしたりしつつ、新しいイメージを生成する。第3に、ユーザーの嗜好、場面、所有アイテム、身体情報などに基づいて衣服やコーディネートを提案する「推薦」だ。ファッションにおけるAIは、服を見る、作る、選ぶといったプロセスを支援する技術でもある(Guo et al. 2023)。
では、実際は、こうした生成AIを用いたAI支援型ファッションはどれくらい実践されているものなのだろうか。2025年に発表された「ファッションデザインにおけるAI駆動型計算的創造性」のレビュー論文によれば、ファッション産業におけるAI利用は広がっている(Wu & Li 2025)。けれど、その多くは、販売予測、需要予測、レコメンド、バーチャル試着、顧客体験、サプライチェーン、生産管理といった領域に集中している。それゆえ、先ほどの分類でいえば「推薦」にまつわる場面だ。同論文が整理したAI支援型ファッションにまつわる文献の分布では、小売領域の研究は創造的デザイン領域の約三倍、生産領域の研究は5倍以上にのぼる。生成AIが話題になっているけれど、デザインの「生成」のプロセスに本格的に実装している企業やデザイナーはまだ限られている、というのが現状のようだ。
こうした現実は踏まえたうえで、今回は、生成AIを用いたデザインの可能性を探索してみたい。

「ACROSSの定点観測2026年6月の回を元に、2026年7月に流行しそうなスタイルを教えてください」とChatGPTに打ち込み、出力されたもの(2026年6月17日)。
生成AIというのが、どういうタイプの「道具」なのか。それは音楽における楽器と同じなのか。はたまた、写真におけるカメラと同じような道具なのだろうか。
参考になりそうな研究として、AIアーティストのマエデ・ノルージと哲学者のジェシー・プリンツは、「AIはメディウムか?」という論文を発表している(Norouzi&Prinz 2026)。ここでいうメディウムとは、作品に現れる線、形、質感、構図、イメージのあり方といった性質を支えるものだ。とりわけ、制作者が操作することによって、美的評価の対象となる表現を可能にする支えとなるものである。
具体例から考えよう。絵画であれば絵の具、写真であればカメラが可能にする画像生成のプロセスが、メディウムにあたる。絵画の絵の具は、イメージを支える。かつ、絵描きがそれを操作することで、美的評価の対象となる表現を可能にする。けれども、絵筆そのものは、ふつうはメディウムとは言えない。絵画をみているときに、絵筆そのものを私たちが鑑賞することは少ないからだ(もちろん、メディウムにすることもできる)。
一見難しいのは、カメラだ。カメラは、絵画における絵筆のようにみえる。けれど、写真を見るときには、私たちは、生成物としての写真をみながら、そこに現れているカメラの被写界深度やレンズの性質、現像の仕方も含めて味わっている。それゆえ、写真においては、カメラを用いた一連のプロセスがメディウムとなるのだ。伝統的な絵画における絵の具のメディウムに比較して、こうしたプロセスを「媒介されたメディウム」と彼らは呼ぶ。
生成AIをメディウムとして捉えると何が見えてくるだろうか。生成AIを用いる人は、画像を直接手で描くのではなく、プロンプトや学習済みのモデルを選択したり、パラメータを調整したり、何度も生成させて、それに注文をつけて……といった操作を通じて、画像の具体的な性質を間接的に作り出す。したがって、生成AIは、絵筆のような単純な道具というよりも、写真や映画に近い媒介されたメディウムだ。
けれども、例えば絵筆のようなメディウムとの大きな違いがある。それは、生成AIの内部では、制作者が直接見ることも完全に理解することもできない計算過程や潜在変数が蠢いているのだ。生成AIは、見えないプロセスを操作することによってイメージを生み出す「潜在的なメディウム」でもある。もちろん、彼らが言うように、写真もまた、カメラの中の機構を私たちは完全に理解しているわけではなく、とりわけ、近年のデジタルカメラでは、撮影した瞬間に内部で画像編集がすぐさま行われている点で、生成AIと同じ潜在的メディウムにあたる。
だが、私が考えるところ、生成AIというメディウムは、いっそう不定で、即興的だ。再現性はあまりなく、毎回の計算による出力という、偶然で、曖昧で、安定性のない潜在的メディウムなのである。つまり、AIはその中身が誰にもよく分からない不透明な道具だ。それゆえに、絵筆やカメラのように一定程度安定したメカニズムがあってこちらがその扱いに熟達していけるものというよりは、いつまで経ってもこちらの入力に、へんてこな出力を返してきたりする、その内部が透けて見えないような、よくわからないところがある道具だといえる。
では、生成AIというメディウムのより具体的な特徴はどこにあるのだろうか。ノルージとプリンツは5つ指摘している。
第1に、「統計的理想化」だ。「AIモデルは学習に使用された画像を平均化して処理するため、ステレオタイプ化されたり理想化されたりした出力を生成する傾向がある」。基本的には、この特徴はネガティブなものとして捉えられるだろう。いわゆる抽象画を描いてみて、と言って出力されるのは、紋切り型の抽象画だ。例えば、「抽象画を描いてみてください。」とChatGPT5.5に打ち込むと、次の生成物を提示される。抽象画ではあるような気がするが、すくなくとも、ジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソでもなく、マーク・ロスコ風のようだが、ホテルペインティングのなんとなく色合いが綺麗なよくわからない生成物だ。だが、おそらくは、多くの人々が思う偏見の中の抽象画としては上出来かもしれない。まさに紋切り型の抽象画である。とはいえ、あえてこうした統計的理想化を用いることで、その逆を行ってみたりすることもできるだろう。

「抽象画を描いてみてください。」とChatGPT5.5に打ち込み、出力されたもの(2026年6月11日)。
第2に、「デジタル異常」がある。「典型的な例は、余分な指や手足、あるいはその他の解剖学的異常である」。とくに初期のAI画像生成モデルによくみられたものだ。それゆえ、AIアーティストのヘレナ・サリンのように、あえて古いモデルを用いた、異常さを際立たせるAI作品を制作している者もいる。
第3に、「再結合」がある。これは「異質な視覚的要素を再結合して作品を制作」するものだ。生成AIは、ある作品や画像の全体を用いるのではなく、その画像の無数の情報(色などの情報の共起パターンなど)を集めて「画像や動画を生成する際、モデルはこれらの分布からサンプリングを行い、断片を記憶の想起としてではなく、確率的な刻印、すなわち分散した痕跡の統計的な再活性化として再結合する」。そのため、既存の情報の写しやコピーというよりも、「無数の先行するイメージの記憶をその内に宿しながらも、再結合による変形を通じてのみ顕現する」。つまり、私たちは、こうきたらこう、というカテゴリの認識を暗黙のうちに持っているけれど、生成AIは、そうしたカテゴリに基づいた記憶ではなく、無数の断片の集積に基づいた再結合を行うために、私たちのようなオマージュの仕方とは異なる仕方で新しいイメージを生成するということだ。これは、とくに、内部のメカニズムの特徴と言えるだろう。
第4に、「超記憶」である。「生成AIモデルは記憶の機械である。数千年にもわたる芸術作品、絵画、写真、映画、イラストレーションの膨大なアーカイブが、統計的にモデルの潜在空間に埋め込まれている」。それゆえ、生成AIモデルに学習させることで、私たちは、個人では記憶できない何かを思い出せるかもしれない。レフィーク・アナドールは、《Unsupervised》において、MoMAのコレクションのうち13万8151点のメタデータを自分が設計したAIモデル学習させ、動画イメージを生成したインスタレーションを発表している。ファッションデザイナーのノーマ・カマリは、「NK X AI Fashion Hallucinations」で、57年の活動のアーカイブのみを学習させたAIツールを共同開発した。そこでは、デジタル異常の魅力も併せて指摘されている。
彼女が最も気に入っている瞬間は、AIが「幻覚」を見て、奇妙な創造性が爆発するような風変わりな画像を生成する時だと言う。「生成される画像はいつも驚きです」と彼女は言う。「『この水着にフィッシュテールを付けて、スリーピングバッグコートと合わせたい』といったことを言うと、AIは暴走します。それは、アートテックやファッションの観点から見て、ただ美しいというレベルを超えています。」(Segran 2025)
第5に、「AIオートマティズム」だ。「プロンプト・エンジニアリング」を始め、生成AIを用いたプロセスに特有の技術的な工夫や手続きが生み出す表現のことを指している。例えば、絵画における重ね塗りや、写真におけるフォーカスや現像といった手続きの新しい形が生成AIにもある。 以上のような5つの特徴は、もちろんAIというメディウムの特徴のすべてではない。だが、こうした特徴を用いて、ファッションデザイナーがAIというメディウムを使ってファッションのデザインを行うこともできる。このように具体的に分析していくことの利点は、AIがファッションに与える影響というものを冷静に見つめることができるようになることだ。イメージの中でAIがものすごいものであると考えたり、あるいは、AIを過小評価してみたりする罠を避けることができる。
こうしたメディウムへの過度な期待やあるいは過度な落胆というものは、歴史のなかで何度も繰り返されてきたことだろう。例えば、映画が登場したときに、それが「現実のありのままを捉えることができる」と考えた哲学者は少なくなかった。けれども、映画もまた、一つの偏ったメディアだ。例えば、カラー映画フィルムが白人の肌色に合わせて化学的に調整されていたことが映画研究者によって指摘されている(Winston 1985)。とりわけ、コダックの研究所における「好ましい肌色」の基準は、実際には白人の肌を前提としていたのだ。フィルムという、ごく中立的にみえる要素でさえ、差別が入り込みうるのである。それゆえ、AIというメディウムもまた、人々が思うようには素晴らしいものでもなければ、まったく魅力がないものでもない。 以上では「画像生成」の話をメインで行ってきた。けれども、衣服は画像ではない。立体的な形をしていて、そのフォルムが重要になるし、どのようにそれが実際に裁断・縫製できるのか、どのように着ることができるのかが実際的な制約としてあるのは間違いない。それゆえ、確かに画像生成AIはファッションデザインに多くのヒントを与えるだろうけれど、それを実際に着られるものにするには人の手が必要だ。
AIというメディウムの特徴をどのようにファッションデザイナーたちは用いることができるのだろうか。
まず、画像生成AIをデジタルファッションへ接続した事例として「The Fabricant」がある。「The Fabricant」は仮想世界、アバター、画面上の身体のためにデジタル・クチュールを制作する、デジタル専業のファッションハウスである。共同創業者のアンバー・ジェイ・スルーテンは、このプロジェクトの2年前にパリ・ファッション・ウィークの写真をGANに学習させ、そこから得られたスタイル、形、色のヴァリエーションのピクセル出力をもとに、自身のコレクションを制作していた(Särmäkari & Vänskä 2022)。
さらに、物理的衣服の裁断や縫製まで考えることも必要だ。フィンランドのファッションデザイナーのマッティ・リーマタイネンによる「衣服の統語論(Syntax of Clothing)」プロジェクトがある(Särmäkari & Vänskä 2022)。リーマタイネンは、人間が一切関与せずに、そのまま衣服として生産・着用しうるプロダクトの生成を目指している。曰く「〔……〕システムが生成する必要があるのはたった一つの製品だけであり、それが即座に「正しい」ものとなる」のだという。そのためには、たんに画像生成をするだけではなく、衣服として作るための制約(人体、二次元の素材、パターン、西洋的な衣服の型)をクリアできるような生成物を出力できるようなシステムを作らなければならない。そのために、リーマタイネンは、暗黙知、あるいは、フィンランド語で「näppituntuma(「指の感覚」=直感)」と呼ばれるものを数値の形式に変換し、自律的で製造までが一直線に可能になるようなシステムの構築に取り組んでいる。リーマタイネンのこの情熱の源は、その有機体的なファッション観にあるようだ。「生成的なアルゴリズムデザインはランダムではなく文脈的であるべきであり、衣服の全体性から始まり、胚のように製品へと進化していくべきだ」と考えており(Särmäkari & Vänskä 2022)、それゆえ、一つの衣服になるまでの複数の制約をその都度、AIなりの仕方で、クリアしながら最終的に、人間が創造しうるものとは異なるタイプの衣服が生まれることに価値を置いている。
以上の議論は、きっとAIに慣れ親しんでいるクリエイターなら言葉にしなくても分かっていたこともあるだろう。けれど言葉にすることで整理して、言葉にできていないもっと大量の部分を見つけるのに役立ててもらえればうれしい。 次に、以上の議論を踏まえて、もっとへんなことを考えたい。考えたいのは、キュビズム、印象派、もの派に並び立つような、「AI派」あるいは、「AI様式」は可能なのか、という問いだ。つまり、「黒の衝撃」のような意味で、「AIの衝撃」は可能なのだろうか。
参考文献
Guo, Ziyue, et al. 2023. “AI assisted fashion design: A review.” IEEE access 11: 88403-88415.
Maedeh Norouzi, Jesse Prinz. 2026. Is AI a Medium?, The Journal of Aesthetics and Art Criticism, kpag028,https://doi.org/10.1093/jaac/kpag028
Särmäkari, Natalia, and Annamari Vänskä. 2022. “‘Just hit a button!’–fashion 4.0 designers as cyborgs, experimenting and designing with generative algorithms.” International Journal of Fashion Design, Technology and Education 15(2): 211-220.
Wu, Jennifer Xiaopei, and Li Li. 2025. “AI-driven computational creativity in fashion design: a review.” Textile Research Journal 95(5-6): 658-675.
Segran Elizabeth. 2025. Norma Kamali wants AI to keep hallucinating. https://www.fastcompany.com/91404562/norma-kamali-wants-ai-to-keep-hallucinating.
Winston, Brian. 1985. “A whole technology of dyeing: A note on ideology and the apparatus of the chromatic moving image.” Daedalus: 105-123.
【文:難波優輝】

Profiel:1994年生まれ。美学者、会社員。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、慶應義塾大学 サイエンスフィクション研究開発・実装センター 訪問研究員。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。近著に『批判的日常美学について』(晶文社、2026年)、『性的であるとはどのようなことか』(光文社、2025年)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)、『物語化批判の哲学』(講談社、2025年)。
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この連載の目論見は、モードの目的地を明らかにすることだ。
ファッションはどこかに向かおうとしている、と感じる。けれど、どこかに向かおうとしているか、そのどこかは誰も分かっていない。もちろんファッションデザイナーたちやファッションを楽しむ人たちが「ここに行くぞ」と目的地を決めていくようなものではない。 モードは様々な方向へと飛び出していく。そのモードの運動の総体を捉えるために、様々なモードそのものを分析すること。無数のモードのヴェクトルを足し合わせていくと、いったいどこに向かうことになるのか。まったくの無になってしまうのか、それとも、おおまかにせよ、モードは方向と大きさを持っているのか。
モードはどこに向かうのか。存在しない目的地を探す旅を始めよう。
生成AIはどんな道具なのだろうか?
AIに関する議論はいつでもなんだか過激である。ファッションデザインにおいてもそうだ。一方では、AIがまるですべてを解決するような言い方があり、他方でAIがすべての創造性を殺してしまうかのような言い方もある。AIはどこまで今までの道具と同じなのだろうか。ファッションデザイナーは、AIならではの固有性をどのように見出そうとしているのか。
ファッションデザインにとって生成AIはどんな立ち位置なのだろうか。まずは、全体像をおさえておこう。AIを用いたファッションデザイン研究の全体を見るために、「AI支援型ファッションデザイン:レビュー」という2023年のレビュー論文をチェックしたい。ここでは、AI支援型ファッションデザインを大きく3つに分けている。第1に、衣服や身体の部位、スタイル、柄、属性を画像から認識する「検出」がある。ネックライン、袖口、裾、肩、腰といった衣服や身体の特徴的な要素を検出する技術だったり、画像内のトップスやボトムスや肌や背景を分割するファッション・パージングや、類似アイテムを検索する作業のことだ。第2に、新しい衣服画像を生成したり、既存の衣服画像の形、色、柄、テクスチャを変換したりする「生成」がある。スケッチから衣服を生成したり、テキストによって衣服をエディットしたりしつつ、新しいイメージを生成する。第3に、ユーザーの嗜好、場面、所有アイテム、身体情報などに基づいて衣服やコーディネートを提案する「推薦」だ。ファッションにおけるAIは、服を見る、作る、選ぶといったプロセスを支援する技術でもある(Guo et al. 2023)。
では、実際は、こうした生成AIを用いたAI支援型ファッションはどれくらい実践されているものなのだろうか。2025年に発表された「ファッションデザインにおけるAI駆動型計算的創造性」のレビュー論文によれば、ファッション産業におけるAI利用は広がっている(Wu & Li 2025)。けれど、その多くは、販売予測、需要予測、レコメンド、バーチャル試着、顧客体験、サプライチェーン、生産管理といった領域に集中している。それゆえ、先ほどの分類でいえば「推薦」にまつわる場面だ。同論文が整理したAI支援型ファッションにまつわる文献の分布では、小売領域の研究は創造的デザイン領域の約三倍、生産領域の研究は5倍以上にのぼる。生成AIが話題になっているけれど、デザインの「生成」のプロセスに本格的に実装している企業やデザイナーはまだ限られている、というのが現状のようだ。
こうした現実は踏まえたうえで、今回は、生成AIを用いたデザインの可能性を探索してみたい。

「ACROSSの定点観測2026年6月の回を元に、2026年7月に流行しそうなスタイルを教えてください」とChatGPTに打ち込み、出力されたもの(2026年6月17日)。
生成AIというのが、どういうタイプの「道具」なのか。それは音楽における楽器と同じなのか。はたまた、写真におけるカメラと同じような道具なのだろうか。
参考になりそうな研究として、AIアーティストのマエデ・ノルージと哲学者のジェシー・プリンツは、「AIはメディウムか?」という論文を発表している(Norouzi&Prinz 2026)。ここでいうメディウムとは、作品に現れる線、形、質感、構図、イメージのあり方といった性質を支えるものだ。とりわけ、制作者が操作することによって、美的評価の対象となる表現を可能にする支えとなるものである。
具体例から考えよう。絵画であれば絵の具、写真であればカメラが可能にする画像生成のプロセスが、メディウムにあたる。絵画の絵の具は、イメージを支える。かつ、絵描きがそれを操作することで、美的評価の対象となる表現を可能にする。けれども、絵筆そのものは、ふつうはメディウムとは言えない。絵画をみているときに、絵筆そのものを私たちが鑑賞することは少ないからだ(もちろん、メディウムにすることもできる)。
一見難しいのは、カメラだ。カメラは、絵画における絵筆のようにみえる。けれど、写真を見るときには、私たちは、生成物としての写真をみながら、そこに現れているカメラの被写界深度やレンズの性質、現像の仕方も含めて味わっている。それゆえ、写真においては、カメラを用いた一連のプロセスがメディウムとなるのだ。伝統的な絵画における絵の具のメディウムに比較して、こうしたプロセスを「媒介されたメディウム」と彼らは呼ぶ。
生成AIをメディウムとして捉えると何が見えてくるだろうか。生成AIを用いる人は、画像を直接手で描くのではなく、プロンプトや学習済みのモデルを選択したり、パラメータを調整したり、何度も生成させて、それに注文をつけて……といった操作を通じて、画像の具体的な性質を間接的に作り出す。したがって、生成AIは、絵筆のような単純な道具というよりも、写真や映画に近い媒介されたメディウムだ。
けれども、例えば絵筆のようなメディウムとの大きな違いがある。それは、生成AIの内部では、制作者が直接見ることも完全に理解することもできない計算過程や潜在変数が蠢いているのだ。生成AIは、見えないプロセスを操作することによってイメージを生み出す「潜在的なメディウム」でもある。もちろん、彼らが言うように、写真もまた、カメラの中の機構を私たちは完全に理解しているわけではなく、とりわけ、近年のデジタルカメラでは、撮影した瞬間に内部で画像編集がすぐさま行われている点で、生成AIと同じ潜在的メディウムにあたる。
だが、私が考えるところ、生成AIというメディウムは、いっそう不定で、即興的だ。再現性はあまりなく、毎回の計算による出力という、偶然で、曖昧で、安定性のない潜在的メディウムなのである。つまり、AIはその中身が誰にもよく分からない不透明な道具だ。それゆえに、絵筆やカメラのように一定程度安定したメカニズムがあってこちらがその扱いに熟達していけるものというよりは、いつまで経ってもこちらの入力に、へんてこな出力を返してきたりする、その内部が透けて見えないような、よくわからないところがある道具だといえる。
では、生成AIというメディウムのより具体的な特徴はどこにあるのだろうか。ノルージとプリンツは5つ指摘している。
第1に、「統計的理想化」だ。「AIモデルは学習に使用された画像を平均化して処理するため、ステレオタイプ化されたり理想化されたりした出力を生成する傾向がある」。基本的には、この特徴はネガティブなものとして捉えられるだろう。いわゆる抽象画を描いてみて、と言って出力されるのは、紋切り型の抽象画だ。例えば、「抽象画を描いてみてください。」とChatGPT5.5に打ち込むと、次の生成物を提示される。抽象画ではあるような気がするが、すくなくとも、ジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソでもなく、マーク・ロスコ風のようだが、ホテルペインティングのなんとなく色合いが綺麗なよくわからない生成物だ。だが、おそらくは、多くの人々が思う偏見の中の抽象画としては上出来かもしれない。まさに紋切り型の抽象画である。とはいえ、あえてこうした統計的理想化を用いることで、その逆を行ってみたりすることもできるだろう。

「抽象画を描いてみてください。」とChatGPT5.5に打ち込み、出力されたもの(2026年6月11日)。
第2に、「デジタル異常」がある。「典型的な例は、余分な指や手足、あるいはその他の解剖学的異常である」。とくに初期のAI画像生成モデルによくみられたものだ。それゆえ、AIアーティストのヘレナ・サリンのように、あえて古いモデルを用いた、異常さを際立たせるAI作品を制作している者もいる。
第3に、「再結合」がある。これは「異質な視覚的要素を再結合して作品を制作」するものだ。生成AIは、ある作品や画像の全体を用いるのではなく、その画像の無数の情報(色などの情報の共起パターンなど)を集めて「画像や動画を生成する際、モデルはこれらの分布からサンプリングを行い、断片を記憶の想起としてではなく、確率的な刻印、すなわち分散した痕跡の統計的な再活性化として再結合する」。そのため、既存の情報の写しやコピーというよりも、「無数の先行するイメージの記憶をその内に宿しながらも、再結合による変形を通じてのみ顕現する」。つまり、私たちは、こうきたらこう、というカテゴリの認識を暗黙のうちに持っているけれど、生成AIは、そうしたカテゴリに基づいた記憶ではなく、無数の断片の集積に基づいた再結合を行うために、私たちのようなオマージュの仕方とは異なる仕方で新しいイメージを生成するということだ。これは、とくに、内部のメカニズムの特徴と言えるだろう。
第4に、「超記憶」である。「生成AIモデルは記憶の機械である。数千年にもわたる芸術作品、絵画、写真、映画、イラストレーションの膨大なアーカイブが、統計的にモデルの潜在空間に埋め込まれている」。それゆえ、生成AIモデルに学習させることで、私たちは、個人では記憶できない何かを思い出せるかもしれない。レフィーク・アナドールは、《Unsupervised》において、MoMAのコレクションのうち13万8151点のメタデータを自分が設計したAIモデル学習させ、動画イメージを生成したインスタレーションを発表している。ファッションデザイナーのノーマ・カマリは、「NK X AI Fashion Hallucinations」で、57年の活動のアーカイブのみを学習させたAIツールを共同開発した。そこでは、デジタル異常の魅力も併せて指摘されている。
彼女が最も気に入っている瞬間は、AIが「幻覚」を見て、奇妙な創造性が爆発するような風変わりな画像を生成する時だと言う。「生成される画像はいつも驚きです」と彼女は言う。「『この水着にフィッシュテールを付けて、スリーピングバッグコートと合わせたい』といったことを言うと、AIは暴走します。それは、アートテックやファッションの観点から見て、ただ美しいというレベルを超えています。」(Segran 2025)
第5に、「AIオートマティズム」だ。「プロンプト・エンジニアリング」を始め、生成AIを用いたプロセスに特有の技術的な工夫や手続きが生み出す表現のことを指している。例えば、絵画における重ね塗りや、写真におけるフォーカスや現像といった手続きの新しい形が生成AIにもある。 以上のような5つの特徴は、もちろんAIというメディウムの特徴のすべてではない。だが、こうした特徴を用いて、ファッションデザイナーがAIというメディウムを使ってファッションのデザインを行うこともできる。このように具体的に分析していくことの利点は、AIがファッションに与える影響というものを冷静に見つめることができるようになることだ。イメージの中でAIがものすごいものであると考えたり、あるいは、AIを過小評価してみたりする罠を避けることができる。
こうしたメディウムへの過度な期待やあるいは過度な落胆というものは、歴史のなかで何度も繰り返されてきたことだろう。例えば、映画が登場したときに、それが「現実のありのままを捉えることができる」と考えた哲学者は少なくなかった。けれども、映画もまた、一つの偏ったメディアだ。例えば、カラー映画フィルムが白人の肌色に合わせて化学的に調整されていたことが映画研究者によって指摘されている(Winston 1985)。とりわけ、コダックの研究所における「好ましい肌色」の基準は、実際には白人の肌を前提としていたのだ。フィルムという、ごく中立的にみえる要素でさえ、差別が入り込みうるのである。それゆえ、AIというメディウムもまた、人々が思うようには素晴らしいものでもなければ、まったく魅力がないものでもない。 以上では「画像生成」の話をメインで行ってきた。けれども、衣服は画像ではない。立体的な形をしていて、そのフォルムが重要になるし、どのようにそれが実際に裁断・縫製できるのか、どのように着ることができるのかが実際的な制約としてあるのは間違いない。それゆえ、確かに画像生成AIはファッションデザインに多くのヒントを与えるだろうけれど、それを実際に着られるものにするには人の手が必要だ。
AIというメディウムの特徴をどのようにファッションデザイナーたちは用いることができるのだろうか。
まず、画像生成AIをデジタルファッションへ接続した事例として「The Fabricant」がある。「The Fabricant」は仮想世界、アバター、画面上の身体のためにデジタル・クチュールを制作する、デジタル専業のファッションハウスである。共同創業者のアンバー・ジェイ・スルーテンは、このプロジェクトの2年前にパリ・ファッション・ウィークの写真をGANに学習させ、そこから得られたスタイル、形、色のヴァリエーションのピクセル出力をもとに、自身のコレクションを制作していた(Särmäkari & Vänskä 2022)。
さらに、物理的衣服の裁断や縫製まで考えることも必要だ。フィンランドのファッションデザイナーのマッティ・リーマタイネンによる「衣服の統語論(Syntax of Clothing)」プロジェクトがある(Särmäkari & Vänskä 2022)。リーマタイネンは、人間が一切関与せずに、そのまま衣服として生産・着用しうるプロダクトの生成を目指している。曰く「〔……〕システムが生成する必要があるのはたった一つの製品だけであり、それが即座に「正しい」ものとなる」のだという。そのためには、たんに画像生成をするだけではなく、衣服として作るための制約(人体、二次元の素材、パターン、西洋的な衣服の型)をクリアできるような生成物を出力できるようなシステムを作らなければならない。そのために、リーマタイネンは、暗黙知、あるいは、フィンランド語で「näppituntuma(「指の感覚」=直感)」と呼ばれるものを数値の形式に変換し、自律的で製造までが一直線に可能になるようなシステムの構築に取り組んでいる。リーマタイネンのこの情熱の源は、その有機体的なファッション観にあるようだ。「生成的なアルゴリズムデザインはランダムではなく文脈的であるべきであり、衣服の全体性から始まり、胚のように製品へと進化していくべきだ」と考えており(Särmäkari & Vänskä 2022)、それゆえ、一つの衣服になるまでの複数の制約をその都度、AIなりの仕方で、クリアしながら最終的に、人間が創造しうるものとは異なるタイプの衣服が生まれることに価値を置いている。
以上の議論は、きっとAIに慣れ親しんでいるクリエイターなら言葉にしなくても分かっていたこともあるだろう。けれど言葉にすることで整理して、言葉にできていないもっと大量の部分を見つけるのに役立ててもらえればうれしい。 次に、以上の議論を踏まえて、もっとへんなことを考えたい。考えたいのは、キュビズム、印象派、もの派に並び立つような、「AI派」あるいは、「AI様式」は可能なのか、という問いだ。つまり、「黒の衝撃」のような意味で、「AIの衝撃」は可能なのだろうか。
参考文献
Guo, Ziyue, et al. 2023. “AI assisted fashion design: A review.” IEEE access 11: 88403-88415.
Maedeh Norouzi, Jesse Prinz. 2026. Is AI a Medium?, The Journal of Aesthetics and Art Criticism, kpag028,https://doi.org/10.1093/jaac/kpag028
Särmäkari, Natalia, and Annamari Vänskä. 2022. “‘Just hit a button!’–fashion 4.0 designers as cyborgs, experimenting and designing with generative algorithms.” International Journal of Fashion Design, Technology and Education 15(2): 211-220.
Wu, Jennifer Xiaopei, and Li Li. 2025. “AI-driven computational creativity in fashion design: a review.” Textile Research Journal 95(5-6): 658-675.
Segran Elizabeth. 2025. Norma Kamali wants AI to keep hallucinating. https://www.fastcompany.com/91404562/norma-kamali-wants-ai-to-keep-hallucinating.
Winston, Brian. 1985. “A whole technology of dyeing: A note on ideology and the apparatus of the chromatic moving image.” Daedalus: 105-123.
【文:難波優輝】

Profiel:1994年生まれ。美学者、会社員。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、慶應義塾大学 サイエンスフィクション研究開発・実装センター 訪問研究員。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。近著に『批判的日常美学について』(晶文社、2026年)、『性的であるとはどのようなことか』(光文社、2025年)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)、『物語化批判の哲学』(講談社、2025年)。
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