Rewrite

裏原──。かつて原宿の裏通り周辺には、『goro’s』と、ヴィンテージショップの『バナナボート』くらいしか、ファッションに関わる店はなかったと聞いたことがある。その空気が大きく変わったのが、1993年4月1日。高橋盾(JONIO)とNIGO ®が手がけたショップ『NOWHERE』がこのエリアにオープンしたことが、“裏原”カルチャーの始まりだったと考えられる。
1990年代半ば以降、明治通りの裏側は、世界的にも稀なカルチャー密集地へと変貌していく。入店するために若者たちが長い列を作る光景は、その象徴的な風景だった。1997年から2000年頃にかけては、そうした熱狂が社会現象レベルにまで拡大し、2001年以降は成熟と飽和のフェーズへ。やがて“裏原”という言葉は、ひとつのカルチャーとして定義され、当時の熱量を知る世界のトップデザイナーたちによって参照・研究される存在となった。
それ以前、日本のファッションの中心はDCブランドやコレクションにあった。しかし、“裏原”は、グラフィックが強く効いたTシャツに「Mercedes-Benz(メルセデス・ベンツ)」のGクラスに乗るというような価値観を、ストリートの側から自然に成立させてみせた。
目次
不透明さが価値だった時代
SNSもない時代。どこで売っているのか分からない。いつ入荷するのか分からない。誰が作っているのか、あえて語られないこともある。そうした不透明さこそが、「知っていること=ステータス」になる構造を生み出していた。
2000年代以降、そして2010年代中盤にかけて、ストリートはより明確にハイファッションへと逆流し、パリやミラノが東京のローカルシーンを参照し始める。そのなかでも“裏原”的なストリートファッションは、日本のローカルが世界基準へと転化した、最初の成功例となった。
そのカルチャーを浴びて育ち、しかし“当事者”ではない世代──今の時代を撃つグラフィックアーティストのVERDYと、ストリートウェアレーベル〈BoTT(Birth Of The Teenager)〉を率いるTEITOも、そうした流れの中から生まれてきた存在だ。彼らの世代は、裏原をそのまま継承するのではなく、より開かれた形で再編集し、グラフィックを軽やかに使いながら、現代のストリートへと更新している。そんな気がする。
そこで本対談は、「裏原とは何だったのか?」を懐かしむものではない。裏原をリアルタイムで知らない世代が、その精神をどう分解し、どう再構築し、そしていまの東京ストリートへとつなげているのか──。VERDYとTEITOの言葉から、“令和の裏原”を読み解いていく。
TEITOを中心とした世代の動きが、すごく面白いなと思っています(VERDY)
裏原との距離感・原体験

Hypebeast:VERDYさんもTEITOさんも、本格的に活動を始めたのは2010年代半ば頃で、いわゆる裏原ブームの“ど真ん中”からは、だいぶ時間が経った後の世代ですよね。VERDYさんは、学生時代にJONIO&NIGO®️による雑誌連載「LAST ORGY 2」をファイリングしていた、というエピソードも以前伺ったことがありますが、当時の誌面から感じ取る裏原カルチャーを、どんな距離感で見ていましたか?
VERDY(以下V):僕はTEITOより少し上の世代なので、ファッションに興味を持ち始めた頃は、まだ裏原系のカルチャーに触れる機会が結構ありました。BAPE®の『BUSY WORKSHOP』も覚えていますし、いつも行列ができていて、やっと入れてもほとんど何も買えない、みたいな(笑)。でも、そういう体験も含めて、全部が新鮮で楽しかったんですよね。振り返ると、自分にとっては裏原がファッションの入口だったなと思います。
TEITO(以下T):僕は1993年生まれなので、リアルタイムで裏原ブームを体験していたというよりは、あとから知った世代ですね。2001年頃のBAPE®とPEPSIのコラボは、なんとなく記憶に残っていますが、90年代や2000年前後の裏原カルチャーは、当時の雑誌を“教科書”みたいな感覚で読んでいた、という感じです。
90年代〜2000年代初頭の裏原カルチャーは、いま振り返ると「神話化」されている部分も多いかもしれません。お二人が考える、「あまり語られないけれど、実は重要だと思うポイント」はどこでしょうか?
V:僕自身、もちろん裏原からの影響は大きいんですけど、実はそれ以上に、裏原に影響を受けたアメリカの人たちから受けた刺激が大きかったんですよね。お金もない中で、初めてひとりでLAに行ったときのことがすごく印象に残っていて。現地の人たちが本当にフレンドリーで、ファッションが好きな子たちが普通に「Yo! VERDY、NIGO®知ってる? JUN知ってる?」みたいな会話をしてくるんです。
そのときに、「東京でクリエイティブなことをしている」っていうこと自体が、ひとつの“ブランド”として見られているんだな、と強く感じました。CURRY UPのTシャツを着ている人がDJをしていて、声をかけたら「ステージ上がれよ」みたいな流れになったりもして。裏原はずっと好きで特別な存在だと思っていましたけど、そこで初めて「やっぱり本当に特別なカルチャーなんだ」と実感したんです。そして、同時に考えたのが、あの裏原ブームから時間が経っても、藤原ヒロシさんやNIGO®さん、高橋盾さん、滝沢伸介さんといった“スター”はいるけど、その流れを引き継ぐ新しいスターが、あまり生まれていないんじゃないか、ということでした。
悔しさもありましたし、「もしかしたら、そのポジションはまだ空いているんじゃないか」と思ったんです。そこを目指そう、と明確に意識し始めたのが29歳のときでした。
T:いまVERDYさんが話してくれたこと、僕もずっとなんとなく感じていたことでした。僕とVERDYさんって、どちらもグラフィックデザインから入って、そこから洋服を作り始めているじゃないですか。そういう意味で言うと、さっき挙がったレジェンドたちに加えて、SKATE THINGさんの存在はすごく大きいと思っています。彼も、裏原の文脈ではあまり多く語られないかもしれないけれど、実はすごく重要な存在ですよね。グラフィックとファッション、カルチャーを自然につないでいた人だと思います。
SNS以後のストリートは、誰のものか

当時の裏原のショップでは、Tシャツを50枚作って、25枚は仲間に配り、残りの25枚だけを並んだ人に売る、というような話も聞いたことがあります。つまり、裏原ブーム時代のストリートは、ある種“閉じたコミュニティ”でもありました。SNS以後の時代において、「ストリート」という言葉は、どのように変化したと感じていますか?
V:いまのSNS時代だと、もしTシャツを25枚しか売らなかったら、たぶんすぐバレると思うんですよね(笑)。「あんなに並ばせて25枚しか売らなかった」とか、普通に言われちゃいそうですし。昔は、発信する場所がほぼ雑誌しかなかったから、作る側というか、売る側が一方的に情報を出している感覚があった気がします。でも今は、買う人にも意見があるし、その人自身がSNSで発信する。そこはもう、昔とは全然違いますよね。そういう意味で、今のストリートは、もっと“寄り添っている”ものになっているのかな、と思います。
T:SNSがここまで発達して、僕らは中高生の頃からずっとソーシャルメディアと一緒に育ってきた世代なので、No SNSの時代とは、やっぱり根本的に違うと思います。一方で、誰でもTシャツを作れて、誰でもブランドを始められる時代でもありますよね。だからこそ、人と繋がりやすい今の時代では、自分の身の回りのコミュニティだったり、誰と何をやるのか、という部分が、むしろ以前よりも大事になっている気がします。フォロワー数みたいな数字に惑わされずに、本当にいいと思えるアーティストや、身近な友達をちゃんとサポートできるかどうか。そこが、今のストリートではすごく重要なんじゃないかなと思います。
V:当時の裏原で、僕たちが知っていたのって、たぶん本当に一部の目立っていた人たちだけだったと思うんです。でも実際には、そのほかにも、ちゃんとストリートのスタイルを貫いていた人たちが、もっとたくさんいたはずで。一方で最近は、「ストリートっぽい」けど、自分たちの感覚からするとストリートじゃないものも増えてきたな、とは感じます。例えば、企業が作っているストリート風のブランドだったり、インフルエンサー発のストリートっぽい表現だったり。それ自体が悪いわけではないんですけど、そこにはやっぱり、自分の中で明確な“線”があるな、と思っています。
T:確かにそうですね。裏原って、ストリートカルチャーとしての形が、あの時代に一度しっかり出来上がったものだと思うんです。だからこそ、あの時代の人たちは、今でもずっとレジェンドとして語られている。その後、そのカテゴリーに乗っかって生まれたブランドもたくさんあると思いますけど、やっぱり大事なのは見た目じゃなくて、中身ですよね。今の時代だからこそ、そこはより問われている気がします。
まずグラフィックをしっかり作り込んでから
そこに合わせて洋服をデザインしています(TEITO)
グラフィックは、いまもストリートの中心!?

お二人とも、活動の起点に“グラフィック”がありますね。偶然か必然か、裏原カルチャーが築いてきたグラフィックの文脈を、自然と受け継いでいる存在だと思います。
V:例えば、ショーン・ステューシーが自分でグラフィックを手がけていたこともそうですし、BAPE®もMANKEYさんやSKATE THINGさんによるアイコニックなグラフィックがあってこそ、ストリートブランドとして成立していたと思うんですよね。だから、さっき話した「ストリートっぽいブランド」って、グラフィックがないか、もしくは弱いものが多い気がします。ストリートのグラフィックって、ちゃんと考え抜かれて作られていることが大事で、そこがないと成立しない。
そして、グラフィックの勉強は学校に通って誰に教わるものじゃないと思っていて、“グラフィックの筋”を理解した上で作られているかどうかが、ストリートブランドではすごく重要だと思います。だから、既製ボディかオリジナルボディか、みたいなことは正直あまり関係なくて、とにかく「グラフィックがかっこいいかどうか」。そこが一番大事ですね。
ストリートブランドにとって、やっぱり「グラフィックがかっこいいかどうか」は、一番の重要な構成要素だと思いますか?
V:自分はそうですね。例えば、NIGO®さんとご一緒したコラボレーションでも、僕はグラフィックを担当させてもらったので、自分の役割として、しっかり向き合えたという意味で「コラボレーション」だったなと感じています。
T:僕も同じ感覚です。BoTT自体も、僕がグラフィックデザイナーとして活動していたところから始まっているので、グラフィックは一番の強みでもありますし、自分が一番大切にしている部分でもあります。お客さんがブランドを理解するうえでも、グラフィックって一番伝わりやすい入り口だと思うんですよね。だから、「グラフィックは何でもいい」なんてことは本当にない。そこには意味が必要な場合もあるし、シンプルにかっこよさが勝つものもある。だから、僕の場合は、まずグラフィックをしっかり作り込んでから、そこに合わせて洋服をデザインしています。
グラフィックや洋服のデザインについて、少し触れてきましたが、ブランドにおいて、「自分の色を出すこと」と「着る人の余白を残すこと」のバランスについては、どう考えていますか?
V:服そのものに関しては、あまり余白を意識していないかもしれないですが、グラフィックに関しては、その“余韻”みたいなものはすごく考えています。例えば、「Girl’s Don’t Cry」や「Wasted Youth」みたいなメッセージは、着る人それぞれの解釈でいいと思っているんです。「Wasted Youth」なら、自分が過ごしてきた時間や経験を重ねればいいし、「Girl’s Don’t Cry」も、彼女なのか、奥さんなのか、お母さんなのか、人によって全然違っていい。そういう意味で、グラフィックの中に“考える余白”を残す、ということは、かなり意識して作っていますね。
コラボレーションの是非

続いて、裏原時代に盛んに行われていたコラボレーション(当時はダブルネームと言っていた)についても聞きたいです。現在は“コラボ過多”とも言える状況ですが、お二人が考える「やる意味があるコラボ」と「やらなくていいコラボ」を分ける基準は何でしょうか?
V:正直、意味がよく分からないコラボオファーは、無理して引き受けても、後で精神的にも作業的にもきつくなるので、基本的に断りますね。そもそも僕はオフィシャルのホームページもないし、連絡先も公開していないので、話が来るのは、ほとんど知り合いのルートだけなんです。たくさんコラボしているように見えるかもしれないですけど、実際は、本当にいいと思っている友達だったり、自分にとってチャレンジしがいがあるものしかやっていません。
T:いまはSNSの時代で、情報が一気に広がるし、しかもずっと残る時代だと思っています。だからこそ、安易にコラボレーションはやらないようにしていますね。一番大切なのは、まず自分が本当にやりたいと思えるかどうか。それに加えて、これまでBoTTをサポートしてくれてきたお客さんや仲間たちが、それを見てがっかりしないか、というのもすごく意識しています。
BoTTは自分ひとりのものじゃなくて、コミュニティと一緒に作ってきたブランドだと思っているので、「これ、やるんだ」と友達や周りの人に残念に思われるようなことだけは、絶対にしたくないですね。そこも大切にしている部分かもしれません。
そんな中で、厳選して取り組んできたコラボレーションを通じて、「自分のブランドが拡張された」と感じた瞬間はありましたか?
V:正直、これがピンポイントでそうだった、というものはないかもしれないですね。ただ、コラボレーションを作るときも、グラフィックはすべて自分で考えていますし、ひとつひとつを大切にして、できるだけ妥協しないようにしています。そうやって、一発一発を積み重ねてきた結果として、気づいたら自分のブランドが少しずつ拡張していっている、という感覚はあります。
東京という都市について

東京のストリートシーンは、90年代・2000年代と比べて「見えづらくなった」とも言われます。いまの東京の面白さは、どこにあると思いますか?
V:そういう意味では、TEITOを中心とした世代の動きが、すごく面白いなと思っています。BoTTの周りの子たちもそうですし、Creative Drug StoreやCar Serviceにしても、いまの東京を象徴している存在ですよね。
世界的には、まだそこまで気づかれていない部分もあると思うんですけど、ここから一気に広がっていく可能性は、すごく感じています。僕自身は、ちょうど裏原世代と、TEITOたちの世代の“間”にいられたのは、むしろ良かったなと思っていて。両方を見られる立場だからこそ、いまの東京の動きがより面白く感じられるのかもしれないですね。
T:僕にとっての東京の面白さは、ここに住んでいるだけで、海外から来た友達とも自然に会えるところだと思います。僕らの周りにも、海外の人たちが普通に混ざっていて、みんな日本が好きで、東京が好きなんですよね。「東京でポップアップをやりたい」と相談を受けることも増えましたし、裏原時代と比べると、東京のストリートは、よりグローバルに開かれた場所になっている感覚があります。
原宿の裏側=裏原という場所が象徴的だったように、「次に東京でカルチャーの重心になる場所」は生まれると思いますか?
V:うーん、僕はもう「裏原」って、場所じゃない気がしていて。場所というより、ひとつのカルチャーというか、ジャンルとして捉えています。だから、「次に東京でカルチャーが生まれる場所は?」と聞かれると、正直、なかなか難しいなと思うんですよね。とはいえ、結局のところ、何かやるとなったら渋谷や原宿になるし、誰かが東京に来たら「とりあえず原宿に行こう」となる。やっぱり、このエリアが中心であることは変わらない気がします。
それは良いことでもあるし、同時に難しさでもあって。選択肢がここに集中しているからこそ、家賃はどんどん上がっていくし、エリアが分散しづらい。韓国を見ていると、「今はこのエリアが熱い」という場所が次々に出てきていて、面白い広がり方をしているなと感じるんですが、東京のユースカルチャーの発信源は、いまも渋谷と原宿に集約されているのかもしれないですね。
次の世代へ

いま10代〜20代前半のクリエイターに対して、「これは焦らなくていい」「これは意識したほうがいい」と思うことはありますか?
V:本当にやりたいことなら、諦めずに続けることですね。僕自身、28歳くらいの頃は、本当にお金もなかったし、電気が止まったことも普通にありました。でも、あのタイミングでやめていたら、今みたいな30代は絶対に送れていないと思います。だから、まずは「好きなら続けること」。それともうひとつは、自分らしいものを作ることがすごく大事だと思っています。
自分らしくて、ちゃんとかっこいいものだったら、いまは世界中の人たちが、新しくて、まだ知られていない“かっこいい存在”をSNSで常に探している時代なので。誰かの真似じゃなくて、「自分がかっこいいと思うもの」を信じて、作り続けてほしいですね。
T:いまVERDYくんが言ってくれたことと重なるんですけど、やっぱり一番は「続けること」だと思います。続けることってシンプルですけど、実は一番難しいことでもあって。いま自分自身も、すごく実感しています。もうひとつは、外の声に振り回されすぎないこと。誰かに否定されたり、何か言われたりしても、それはあくまでその人の評価でしかないと思うんです。
自分が何をやりたいのか、何を信じているのか。そこにちゃんと意識を向けていれば、外の声はそこまで気にしなくていい。それが、すごく大切なことだと思います。
もし今、何の実績もない状態で活動を始めるとしたら、お二人はまず何から始めますか?
V:毎日絵を描いて、毎日デザインして、毎日インスタに載せますね。今はどうしても、「これ出していいのかな」とか、「常に見られている気がする」みたいな意識があって、出すまでに時間がかかってしまうんですけど、本当はもっと楽しく、もっと頻繁に出していいと思っています。いまは、新しい人を知るときも、まずSNSを見るじゃないですか。「こんなこともできるんだ」「こういう表現もするんだ」って、投稿を見れば一発で分かる。だから、もし「自分もデザインをやっている」と言うなら、最低限、ちゃんと分かるだけのアウトプットは見せられたほうがいいと思います。
ボジーっていう友達がいて、彼はヴァージル・アブローのアシスタントとしてOFF-WHITE™のチームに入ったんですけど、自分のアイデアを全部PDFにまとめて、ヴァージルがDJをしているイベントに行って、最前列まで行って、「AirDropオンにしてください」って直接送ったらしいんですよ。それをヴァージルが後で見て、次の日に電話がかかってきた、という話を聞いて。
もし今、自分が若かったら、もっとガツガツ行きたいですね。そのためにも、ちゃんと自信を持てるだけのアウトプットを積み重ねて、迷わず動ける状態を作っておきたいな、と思います。
T:僕も、まずは、とにかく作品を作ることをしますね。グラフィックでも、何でもいいので、自分のスキルを積み上げないと、戦えない場面は絶対にあると思います。もし自分が若いなら、「若さ」そのものを全力で出すのも、ひとつの武器だと思います。いまになって感じるのは、若い人の作品を見て、「ここはまだ足りないな」と思うことがあっても、同時に「ここから伸びる余地がある」という可能性も、すごく感じるということです。
だから、最初から完璧じゃなくていい。クオリティがまだ追いついていなくても、作り始めて、発信して、続けることが大事だと思います。若いうちだからこそできることは確実にあるし、始めるなら早いに越したことはない。とにかく、動き始めることが大切。
裏原ブームをリアルタイムで知らない世代で、VERDYさんやTEITOさんのカルチャーで育った世代が、これからの東京ストリートを作っていくとしたら、どんな価値観が重要になると思いますか?
T:僕は、一人で戦うのは、やっぱり限界があると思っています。今回こうしてVERDYくんと一緒に何かをやってみて、改めて感じたんですけど、裏原世代の後で、世界に立ってきた存在って、実際そんなに多くないですよね。だからこそ、東京として、みんなで盛り上げていかないと、東京のレベルも、日本の見え方も、なかなか変わらないと思うんです。
「次は自分が行く」「じゃあ次はあいつが行く」みたいに、同じ目標を持った人たちが、順番に、連なって前に出ていく。個人の成功よりも、カルチャーやコミュニティをどう強くしていくか、そういう意識を持つ人が増えたほうが、東京のストリートはもっと強くなる気がします。
V:僕が大事にしていることは、昔からあまり変わっていないんですけど、正直、自分はいろんなタイミングが重なって、運良く今ここにいられると思っていて。いまはTEITOみたいな存在も出てきたし、同世代にも、面白くてかっこいい人たちがちゃんといる。まだ全員が有名なわけじゃないけど、かつてNIGO®さんやヒロシさん、SKATE THINGさんたちが並んでいたような関係性を、いまの世代でも、少しずつ作れてきている感覚はあります。
さらに、その下の世代にも、面白い若い子が本当に多いと思っています。だからこそ僕が大事にしたいのは、「チャンスや経験を独り占めしない」という価値観ですね。アメリカやロンドンに行くときも、できる限り仲間を連れて行って、同じ景色を見たり、同じ体験を共有することを意識しています。昔みたいに気軽に海外に行ける時代ではないからこそ、そうした経験を少しずつでも分け合いながら、次の世代が育つ土壌を作っていくことが、結果的に、次の東京ストリートにつながっていくんじゃないかなと思っています。

VERDY
大阪&東京を拠点に活動するマルチアーティスト。〈Girls Don’t Cry〉や〈Wasted Youth〉を主宰し、ストリートカルチャーを背景にしたアイコニックなグラフィックで国内外から注目を集める。海外のメジャーアーティストとのコラボレーションも多数。ローカルな感覚を起点に、世界と接続する表現で、現代ストリートを象徴する存在。
TEITO
1993年生まれ、東京を拠点に活動するグラフィック兼ファッションデザイナー。2019年にストリートブランド〈BoTT(Birth Of The Teenager)〉を設立。グラフィックを軸に、東京ローカルの空気感をリアルに映し出す表現で支持を拡大。コミュニティとの関係性を重視しながら、次世代の東京ストリートを形作る存在として注目されている。
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裏原──。かつて原宿の裏通り周辺には、『goro’s』と、ヴィンテージショップの『バナナボート』くらいしか、ファッションに関わる店はなかったと聞いたことがある。その空気が大きく変わったのが、1993年4月1日。高橋盾(JONIO)とNIGO ®が手がけたショップ『NOWHERE』がこのエリアにオープンしたことが、“裏原”カルチャーの始まりだったと考えられる。
1990年代半ば以降、明治通りの裏側は、世界的にも稀なカルチャー密集地へと変貌していく。入店するために若者たちが長い列を作る光景は、その象徴的な風景だった。1997年から2000年頃にかけては、そうした熱狂が社会現象レベルにまで拡大し、2001年以降は成熟と飽和のフェーズへ。やがて“裏原”という言葉は、ひとつのカルチャーとして定義され、当時の熱量を知る世界のトップデザイナーたちによって参照・研究される存在となった。
それ以前、日本のファッションの中心はDCブランドやコレクションにあった。しかし、“裏原”は、グラフィックが強く効いたTシャツに「Mercedes-Benz(メルセデス・ベンツ)」のGクラスに乗るというような価値観を、ストリートの側から自然に成立させてみせた。
不透明さが価値だった時代
SNSもない時代。どこで売っているのか分からない。いつ入荷するのか分からない。誰が作っているのか、あえて語られないこともある。そうした不透明さこそが、「知っていること=ステータス」になる構造を生み出していた。
2000年代以降、そして2010年代中盤にかけて、ストリートはより明確にハイファッションへと逆流し、パリやミラノが東京のローカルシーンを参照し始める。そのなかでも“裏原”的なストリートファッションは、日本のローカルが世界基準へと転化した、最初の成功例となった。
そのカルチャーを浴びて育ち、しかし“当事者”ではない世代──今の時代を撃つグラフィックアーティストのVERDYと、ストリートウェアレーベル〈BoTT(Birth Of The Teenager)〉を率いるTEITOも、そうした流れの中から生まれてきた存在だ。彼らの世代は、裏原をそのまま継承するのではなく、より開かれた形で再編集し、グラフィックを軽やかに使いながら、現代のストリートへと更新している。そんな気がする。
そこで本対談は、「裏原とは何だったのか?」を懐かしむものではない。裏原をリアルタイムで知らない世代が、その精神をどう分解し、どう再構築し、そしていまの東京ストリートへとつなげているのか──。VERDYとTEITOの言葉から、“令和の裏原”を読み解いていく。
TEITOを中心とした世代の動きが、すごく面白いなと思っています(VERDY)
裏原との距離感・原体験

Hypebeast:VERDYさんもTEITOさんも、本格的に活動を始めたのは2010年代半ば頃で、いわゆる裏原ブームの“ど真ん中”からは、だいぶ時間が経った後の世代ですよね。VERDYさんは、学生時代にJONIO&NIGO®️による雑誌連載「LAST ORGY 2」をファイリングしていた、というエピソードも以前伺ったことがありますが、当時の誌面から感じ取る裏原カルチャーを、どんな距離感で見ていましたか?
VERDY(以下V):僕はTEITOより少し上の世代なので、ファッションに興味を持ち始めた頃は、まだ裏原系のカルチャーに触れる機会が結構ありました。BAPE®の『BUSY WORKSHOP』も覚えていますし、いつも行列ができていて、やっと入れてもほとんど何も買えない、みたいな(笑)。でも、そういう体験も含めて、全部が新鮮で楽しかったんですよね。振り返ると、自分にとっては裏原がファッションの入口だったなと思います。
TEITO(以下T):僕は1993年生まれなので、リアルタイムで裏原ブームを体験していたというよりは、あとから知った世代ですね。2001年頃のBAPE®とPEPSIのコラボは、なんとなく記憶に残っていますが、90年代や2000年前後の裏原カルチャーは、当時の雑誌を“教科書”みたいな感覚で読んでいた、という感じです。
90年代〜2000年代初頭の裏原カルチャーは、いま振り返ると「神話化」されている部分も多いかもしれません。お二人が考える、「あまり語られないけれど、実は重要だと思うポイント」はどこでしょうか?
V:僕自身、もちろん裏原からの影響は大きいんですけど、実はそれ以上に、裏原に影響を受けたアメリカの人たちから受けた刺激が大きかったんですよね。お金もない中で、初めてひとりでLAに行ったときのことがすごく印象に残っていて。現地の人たちが本当にフレンドリーで、ファッションが好きな子たちが普通に「Yo! VERDY、NIGO®知ってる? JUN知ってる?」みたいな会話をしてくるんです。
そのときに、「東京でクリエイティブなことをしている」っていうこと自体が、ひとつの“ブランド”として見られているんだな、と強く感じました。CURRY UPのTシャツを着ている人がDJをしていて、声をかけたら「ステージ上がれよ」みたいな流れになったりもして。裏原はずっと好きで特別な存在だと思っていましたけど、そこで初めて「やっぱり本当に特別なカルチャーなんだ」と実感したんです。そして、同時に考えたのが、あの裏原ブームから時間が経っても、藤原ヒロシさんやNIGO®さん、高橋盾さん、滝沢伸介さんといった“スター”はいるけど、その流れを引き継ぐ新しいスターが、あまり生まれていないんじゃないか、ということでした。
悔しさもありましたし、「もしかしたら、そのポジションはまだ空いているんじゃないか」と思ったんです。そこを目指そう、と明確に意識し始めたのが29歳のときでした。
T:いまVERDYさんが話してくれたこと、僕もずっとなんとなく感じていたことでした。僕とVERDYさんって、どちらもグラフィックデザインから入って、そこから洋服を作り始めているじゃないですか。そういう意味で言うと、さっき挙がったレジェンドたちに加えて、SKATE THINGさんの存在はすごく大きいと思っています。彼も、裏原の文脈ではあまり多く語られないかもしれないけれど、実はすごく重要な存在ですよね。グラフィックとファッション、カルチャーを自然につないでいた人だと思います。
SNS以後のストリートは、誰のものか

当時の裏原のショップでは、Tシャツを50枚作って、25枚は仲間に配り、残りの25枚だけを並んだ人に売る、というような話も聞いたことがあります。つまり、裏原ブーム時代のストリートは、ある種“閉じたコミュニティ”でもありました。SNS以後の時代において、「ストリート」という言葉は、どのように変化したと感じていますか?
V:いまのSNS時代だと、もしTシャツを25枚しか売らなかったら、たぶんすぐバレると思うんですよね(笑)。「あんなに並ばせて25枚しか売らなかった」とか、普通に言われちゃいそうですし。昔は、発信する場所がほぼ雑誌しかなかったから、作る側というか、売る側が一方的に情報を出している感覚があった気がします。でも今は、買う人にも意見があるし、その人自身がSNSで発信する。そこはもう、昔とは全然違いますよね。そういう意味で、今のストリートは、もっと“寄り添っている”ものになっているのかな、と思います。
T:SNSがここまで発達して、僕らは中高生の頃からずっとソーシャルメディアと一緒に育ってきた世代なので、No SNSの時代とは、やっぱり根本的に違うと思います。一方で、誰でもTシャツを作れて、誰でもブランドを始められる時代でもありますよね。だからこそ、人と繋がりやすい今の時代では、自分の身の回りのコミュニティだったり、誰と何をやるのか、という部分が、むしろ以前よりも大事になっている気がします。フォロワー数みたいな数字に惑わされずに、本当にいいと思えるアーティストや、身近な友達をちゃんとサポートできるかどうか。そこが、今のストリートではすごく重要なんじゃないかなと思います。
V:当時の裏原で、僕たちが知っていたのって、たぶん本当に一部の目立っていた人たちだけだったと思うんです。でも実際には、そのほかにも、ちゃんとストリートのスタイルを貫いていた人たちが、もっとたくさんいたはずで。一方で最近は、「ストリートっぽい」けど、自分たちの感覚からするとストリートじゃないものも増えてきたな、とは感じます。例えば、企業が作っているストリート風のブランドだったり、インフルエンサー発のストリートっぽい表現だったり。それ自体が悪いわけではないんですけど、そこにはやっぱり、自分の中で明確な“線”があるな、と思っています。
T:確かにそうですね。裏原って、ストリートカルチャーとしての形が、あの時代に一度しっかり出来上がったものだと思うんです。だからこそ、あの時代の人たちは、今でもずっとレジェンドとして語られている。その後、そのカテゴリーに乗っかって生まれたブランドもたくさんあると思いますけど、やっぱり大事なのは見た目じゃなくて、中身ですよね。今の時代だからこそ、そこはより問われている気がします。
まずグラフィックをしっかり作り込んでから
そこに合わせて洋服をデザインしています(TEITO)
グラフィックは、いまもストリートの中心!?

お二人とも、活動の起点に“グラフィック”がありますね。偶然か必然か、裏原カルチャーが築いてきたグラフィックの文脈を、自然と受け継いでいる存在だと思います。
V:例えば、ショーン・ステューシーが自分でグラフィックを手がけていたこともそうですし、BAPE®もMANKEYさんやSKATE THINGさんによるアイコニックなグラフィックがあってこそ、ストリートブランドとして成立していたと思うんですよね。だから、さっき話した「ストリートっぽいブランド」って、グラフィックがないか、もしくは弱いものが多い気がします。ストリートのグラフィックって、ちゃんと考え抜かれて作られていることが大事で、そこがないと成立しない。
そして、グラフィックの勉強は学校に通って誰に教わるものじゃないと思っていて、“グラフィックの筋”を理解した上で作られているかどうかが、ストリートブランドではすごく重要だと思います。だから、既製ボディかオリジナルボディか、みたいなことは正直あまり関係なくて、とにかく「グラフィックがかっこいいかどうか」。そこが一番大事ですね。
ストリートブランドにとって、やっぱり「グラフィックがかっこいいかどうか」は、一番の重要な構成要素だと思いますか?
V:自分はそうですね。例えば、NIGO®さんとご一緒したコラボレーションでも、僕はグラフィックを担当させてもらったので、自分の役割として、しっかり向き合えたという意味で「コラボレーション」だったなと感じています。
T:僕も同じ感覚です。BoTT自体も、僕がグラフィックデザイナーとして活動していたところから始まっているので、グラフィックは一番の強みでもありますし、自分が一番大切にしている部分でもあります。お客さんがブランドを理解するうえでも、グラフィックって一番伝わりやすい入り口だと思うんですよね。だから、「グラフィックは何でもいい」なんてことは本当にない。そこには意味が必要な場合もあるし、シンプルにかっこよさが勝つものもある。だから、僕の場合は、まずグラフィックをしっかり作り込んでから、そこに合わせて洋服をデザインしています。
グラフィックや洋服のデザインについて、少し触れてきましたが、ブランドにおいて、「自分の色を出すこと」と「着る人の余白を残すこと」のバランスについては、どう考えていますか?
V:服そのものに関しては、あまり余白を意識していないかもしれないですが、グラフィックに関しては、その“余韻”みたいなものはすごく考えています。例えば、「Girl’s Don’t Cry」や「Wasted Youth」みたいなメッセージは、着る人それぞれの解釈でいいと思っているんです。「Wasted Youth」なら、自分が過ごしてきた時間や経験を重ねればいいし、「Girl’s Don’t Cry」も、彼女なのか、奥さんなのか、お母さんなのか、人によって全然違っていい。そういう意味で、グラフィックの中に“考える余白”を残す、ということは、かなり意識して作っていますね。
コラボレーションの是非

続いて、裏原時代に盛んに行われていたコラボレーション(当時はダブルネームと言っていた)についても聞きたいです。現在は“コラボ過多”とも言える状況ですが、お二人が考える「やる意味があるコラボ」と「やらなくていいコラボ」を分ける基準は何でしょうか?
V:正直、意味がよく分からないコラボオファーは、無理して引き受けても、後で精神的にも作業的にもきつくなるので、基本的に断りますね。そもそも僕はオフィシャルのホームページもないし、連絡先も公開していないので、話が来るのは、ほとんど知り合いのルートだけなんです。たくさんコラボしているように見えるかもしれないですけど、実際は、本当にいいと思っている友達だったり、自分にとってチャレンジしがいがあるものしかやっていません。
T:いまはSNSの時代で、情報が一気に広がるし、しかもずっと残る時代だと思っています。だからこそ、安易にコラボレーションはやらないようにしていますね。一番大切なのは、まず自分が本当にやりたいと思えるかどうか。それに加えて、これまでBoTTをサポートしてくれてきたお客さんや仲間たちが、それを見てがっかりしないか、というのもすごく意識しています。
BoTTは自分ひとりのものじゃなくて、コミュニティと一緒に作ってきたブランドだと思っているので、「これ、やるんだ」と友達や周りの人に残念に思われるようなことだけは、絶対にしたくないですね。そこも大切にしている部分かもしれません。
そんな中で、厳選して取り組んできたコラボレーションを通じて、「自分のブランドが拡張された」と感じた瞬間はありましたか?
V:正直、これがピンポイントでそうだった、というものはないかもしれないですね。ただ、コラボレーションを作るときも、グラフィックはすべて自分で考えていますし、ひとつひとつを大切にして、できるだけ妥協しないようにしています。そうやって、一発一発を積み重ねてきた結果として、気づいたら自分のブランドが少しずつ拡張していっている、という感覚はあります。
東京という都市について

東京のストリートシーンは、90年代・2000年代と比べて「見えづらくなった」とも言われます。いまの東京の面白さは、どこにあると思いますか?
V:そういう意味では、TEITOを中心とした世代の動きが、すごく面白いなと思っています。BoTTの周りの子たちもそうですし、Creative Drug StoreやCar Serviceにしても、いまの東京を象徴している存在ですよね。
世界的には、まだそこまで気づかれていない部分もあると思うんですけど、ここから一気に広がっていく可能性は、すごく感じています。僕自身は、ちょうど裏原世代と、TEITOたちの世代の“間”にいられたのは、むしろ良かったなと思っていて。両方を見られる立場だからこそ、いまの東京の動きがより面白く感じられるのかもしれないですね。
T:僕にとっての東京の面白さは、ここに住んでいるだけで、海外から来た友達とも自然に会えるところだと思います。僕らの周りにも、海外の人たちが普通に混ざっていて、みんな日本が好きで、東京が好きなんですよね。「東京でポップアップをやりたい」と相談を受けることも増えましたし、裏原時代と比べると、東京のストリートは、よりグローバルに開かれた場所になっている感覚があります。
原宿の裏側=裏原という場所が象徴的だったように、「次に東京でカルチャーの重心になる場所」は生まれると思いますか?
V:うーん、僕はもう「裏原」って、場所じゃない気がしていて。場所というより、ひとつのカルチャーというか、ジャンルとして捉えています。だから、「次に東京でカルチャーが生まれる場所は?」と聞かれると、正直、なかなか難しいなと思うんですよね。とはいえ、結局のところ、何かやるとなったら渋谷や原宿になるし、誰かが東京に来たら「とりあえず原宿に行こう」となる。やっぱり、このエリアが中心であることは変わらない気がします。
それは良いことでもあるし、同時に難しさでもあって。選択肢がここに集中しているからこそ、家賃はどんどん上がっていくし、エリアが分散しづらい。韓国を見ていると、「今はこのエリアが熱い」という場所が次々に出てきていて、面白い広がり方をしているなと感じるんですが、東京のユースカルチャーの発信源は、いまも渋谷と原宿に集約されているのかもしれないですね。
次の世代へ

いま10代〜20代前半のクリエイターに対して、「これは焦らなくていい」「これは意識したほうがいい」と思うことはありますか?
V:本当にやりたいことなら、諦めずに続けることですね。僕自身、28歳くらいの頃は、本当にお金もなかったし、電気が止まったことも普通にありました。でも、あのタイミングでやめていたら、今みたいな30代は絶対に送れていないと思います。だから、まずは「好きなら続けること」。それともうひとつは、自分らしいものを作ることがすごく大事だと思っています。
自分らしくて、ちゃんとかっこいいものだったら、いまは世界中の人たちが、新しくて、まだ知られていない“かっこいい存在”をSNSで常に探している時代なので。誰かの真似じゃなくて、「自分がかっこいいと思うもの」を信じて、作り続けてほしいですね。
T:いまVERDYくんが言ってくれたことと重なるんですけど、やっぱり一番は「続けること」だと思います。続けることってシンプルですけど、実は一番難しいことでもあって。いま自分自身も、すごく実感しています。もうひとつは、外の声に振り回されすぎないこと。誰かに否定されたり、何か言われたりしても、それはあくまでその人の評価でしかないと思うんです。
自分が何をやりたいのか、何を信じているのか。そこにちゃんと意識を向けていれば、外の声はそこまで気にしなくていい。それが、すごく大切なことだと思います。
もし今、何の実績もない状態で活動を始めるとしたら、お二人はまず何から始めますか?
V:毎日絵を描いて、毎日デザインして、毎日インスタに載せますね。今はどうしても、「これ出していいのかな」とか、「常に見られている気がする」みたいな意識があって、出すまでに時間がかかってしまうんですけど、本当はもっと楽しく、もっと頻繁に出していいと思っています。いまは、新しい人を知るときも、まずSNSを見るじゃないですか。「こんなこともできるんだ」「こういう表現もするんだ」って、投稿を見れば一発で分かる。だから、もし「自分もデザインをやっている」と言うなら、最低限、ちゃんと分かるだけのアウトプットは見せられたほうがいいと思います。
ボジーっていう友達がいて、彼はヴァージル・アブローのアシスタントとしてOFF-WHITE™のチームに入ったんですけど、自分のアイデアを全部PDFにまとめて、ヴァージルがDJをしているイベントに行って、最前列まで行って、「AirDropオンにしてください」って直接送ったらしいんですよ。それをヴァージルが後で見て、次の日に電話がかかってきた、という話を聞いて。
もし今、自分が若かったら、もっとガツガツ行きたいですね。そのためにも、ちゃんと自信を持てるだけのアウトプットを積み重ねて、迷わず動ける状態を作っておきたいな、と思います。
T:僕も、まずは、とにかく作品を作ることをしますね。グラフィックでも、何でもいいので、自分のスキルを積み上げないと、戦えない場面は絶対にあると思います。もし自分が若いなら、「若さ」そのものを全力で出すのも、ひとつの武器だと思います。いまになって感じるのは、若い人の作品を見て、「ここはまだ足りないな」と思うことがあっても、同時に「ここから伸びる余地がある」という可能性も、すごく感じるということです。
だから、最初から完璧じゃなくていい。クオリティがまだ追いついていなくても、作り始めて、発信して、続けることが大事だと思います。若いうちだからこそできることは確実にあるし、始めるなら早いに越したことはない。とにかく、動き始めることが大切。
裏原ブームをリアルタイムで知らない世代で、VERDYさんやTEITOさんのカルチャーで育った世代が、これからの東京ストリートを作っていくとしたら、どんな価値観が重要になると思いますか?
T:僕は、一人で戦うのは、やっぱり限界があると思っています。今回こうしてVERDYくんと一緒に何かをやってみて、改めて感じたんですけど、裏原世代の後で、世界に立ってきた存在って、実際そんなに多くないですよね。だからこそ、東京として、みんなで盛り上げていかないと、東京のレベルも、日本の見え方も、なかなか変わらないと思うんです。
「次は自分が行く」「じゃあ次はあいつが行く」みたいに、同じ目標を持った人たちが、順番に、連なって前に出ていく。個人の成功よりも、カルチャーやコミュニティをどう強くしていくか、そういう意識を持つ人が増えたほうが、東京のストリートはもっと強くなる気がします。
V:僕が大事にしていることは、昔からあまり変わっていないんですけど、正直、自分はいろんなタイミングが重なって、運良く今ここにいられると思っていて。いまはTEITOみたいな存在も出てきたし、同世代にも、面白くてかっこいい人たちがちゃんといる。まだ全員が有名なわけじゃないけど、かつてNIGO®さんやヒロシさん、SKATE THINGさんたちが並んでいたような関係性を、いまの世代でも、少しずつ作れてきている感覚はあります。
さらに、その下の世代にも、面白い若い子が本当に多いと思っています。だからこそ僕が大事にしたいのは、「チャンスや経験を独り占めしない」という価値観ですね。アメリカやロンドンに行くときも、できる限り仲間を連れて行って、同じ景色を見たり、同じ体験を共有することを意識しています。昔みたいに気軽に海外に行ける時代ではないからこそ、そうした経験を少しずつでも分け合いながら、次の世代が育つ土壌を作っていくことが、結果的に、次の東京ストリートにつながっていくんじゃないかなと思っています。

VERDY
大阪&東京を拠点に活動するマルチアーティスト。〈Girls Don’t Cry〉や〈Wasted Youth〉を主宰し、ストリートカルチャーを背景にしたアイコニックなグラフィックで国内外から注目を集める。海外のメジャーアーティストとのコラボレーションも多数。ローカルな感覚を起点に、世界と接続する表現で、現代ストリートを象徴する存在。
TEITO
1993年生まれ、東京を拠点に活動するグラフィック兼ファッションデザイナー。2019年にストリートブランド〈BoTT(Birth Of The Teenager)〉を設立。グラフィックを軸に、東京ローカルの空気感をリアルに映し出す表現で支持を拡大。コミュニティとの関係性を重視しながら、次世代の東京ストリートを形作る存在として注目されている。
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