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北村信彦 & ヨハン・クーゲルバーグが語るブートレグ LP への愛

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〈HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリック グラマー)〉が、“ブートレグLP”をフィーチャーしたユニークな企画展 Boo-Hooray presents “LOVE BOOTLEG”を6月15日(日)まで『HYSTERIC GLAMOUR SHIBUYA(ヒステリック グラマー 渋谷)』で開催中だ。

ブートレグ(海賊盤)は、1960年代後半にレコード業界がLPビジネスへと変貌し、商業化されてしまったことを引き金にアメリカで誕生。1969年に発売されたボブ・ディラン(Bob Dylan)の『The Great White Wonder』を皮切りに、著作権法の抜け穴を利用してヘッドショップや独立系レコード店に流通し始め、その後堰を切ったように大量に生産されるようになったという。70年代に隆盛を極めたブートレグ・カルチャーは、1980年代になるとLPより効率的な制作が可能なCDへの移行化が進むにつれ、レコード文化とともに衰退していく。ブートレグはアーティストやレコード会社に許諾を取らずに製作された“非正規品”であるが、貴重なデモやライブ音源が聴けること、そしてファンの自由な発想から生まれた独創的なアートワークに魅了されるコレクターは多い。

“LOVE BOOTLEG”では、20世紀の珍しいサブカルチャーマテリアルを専門に扱うギャラリー『Boo-Hooray(ブーフーレイ)』を主宰するヨハン・クーゲルバーグ(Johan Kugelberg)がこれまで集めた“スーパーレア”なブートレグLPの数々を展示。また、ロック/パンク/ノーウェーブ/バーレスク/カウンターカルチャーなどのブートレグのファンアートを補完するポスターやフライヤー、写真なども店内に並ぶ。滅多にお目にかかれない貴重なブートレグLPや資料が一堂に会す本展の開催を記念し、国内屈指のレコードコレクターとしての顔をもつ〈HYSTERIC GLAMOUR〉のデザイナー 北村信彦と、ヨハン・クーゲルバーグの対談が実現。ブートレグにまつわる知られざるエピソードやその魅力、二人にインスピレーションを与えてきたアンダーグラウンド・カルチャーへの思いを語ってもらった。


アンダーグラウンド・カルチャーは、メインストリームのカルチャーよりも次の世代を大きく変える力をもっている

Hypebeast:まずお二人の出会いについて聞かせてください。最初はどのように知り合ったのですか?

ヨハン・クーゲルバーグ(以下、J):ノブとは約20年来の付き合いなんだけど、最初は何がきっかけだったっけ?

北村信彦(以下、N):僕の記憶だと、お互いの共通の友人である有太マン(平井有太:編集者/ライター/美術作家/アクティビスト)の紹介だったと思う。

J:そうだ!有太がきっかけだったね。有太とは彼がニューヨークのアートスクールに通っていた頃からの友人で、僕が初期のヒップホップに関する資料のコレクターであることを知っていた。僕は有太から依頼を受け、2006年にPOGGY(ポギー、小木基史)のお店『Liquor,woman&tears(リカー,ウ-マン&ティアーズ)』のオープニングにあわせて、ジョー・コンゾ(Joe Conzo:ヒップホップの創世記からアーティストやB-Boyを撮り続けてきたフォトグラファー)の写真展を開催したんだ。そのショーのために来日した際に、有太に頼んでノブを紹介してもらった。

N:有太マンから、ニューヨークから来日してる友人でアメージングなヒップホップのコレクションを持ってる奴がいて、彼が僕に会いたがってると連絡がきて。でも自分は当時あまりヒップホップに興味がなかったし、最初は渋ってたんだよね。その後また連絡がきたから、写真展の最終日に会場に行ってみたんだ。実際にヨハンと会って話してみると、ヒップホップは彼のコレクションの一部でしかなくて、ロックやパンクのアーカイブに関しても相当なコレクターであることがわかった。しかも彼はHYSTERIC GLAMOURが出版した写真集のこともよく知っていたから、すぐに打ち解けたよ。

J:僕らは森山大道や深瀬昌久といった日本の写真家から、ストゥージズ(The Stooges)、クランプス(The Cramps)のことまで色々話したね(笑)。

N:その時にヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)のアーカイブ・プロジェクトについても話してくれたよね。

J:ちょうどノブと知り合った頃、ヴェルヴェットに関するプロジェクトがスタートしたんだ。その翌年の2007年、僕はニューヨークでヴェルヴェットのファーストアルバムの発売40周年を記念したエキシビジョン(“c/o The Velvet Underground New York, N.Y.”)を開催した。オープニングにはルー・リード(Lou Reed)やダグ・ユール(Doug Yule)、モーリン・タッカー(Maureen Tucker)といったオリジナルメンバーに加えて、スターリング・モリソン(Sterling Morrison)の妻 マーサ(Martha Morrison)も来てくれた。彼らが全員顔を合わせるのは1970年以来初めてのことで、本当にクールな瞬間だったと思う。

そのショーを終えて、ルー・リードから「ヨハン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのビッグな本を作ってくれ」と直々に頼まれた。彼との約束通り、2009年にRizzoli(リッツォーリ)からヴェルヴェットのアーカイブ本(『The Velvet Underground: New York Art』)を刊行し、日本でもそれに関連した展覧会をノブとジョニオ(高橋盾:UNDERCOVER デザイナー)に協力してもらって開催した。このプロジェクトが僕らの初めてのコラボレーションだよね。そして2013年にルーが亡くなった後、未亡人のローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)と話して、ヴェルヴェットのアーカイブを大学とニューヨーク公共図書館に寄贈したんだ。

N:ヨハンのヒップホップのコレクションも大学に所蔵されてるよね?

J:そう、コーネル大学に世界最大のヒップホップのヒストリーアーカイブを設立した。当初フライヤーやポスターなどの資料約1万点を寄贈して、現在は27万5,000点ほどにまで増えた。実を言うと、ヒップホップは個人的にあまり好きなテイストではないんだけど、文化的には非常に重要であることは理解している。スタイルのあるアンダーグラウンド・カルチャーは、本として残したり、アーカイブを美術館や大学に保存しておくべきだと思う。なぜなら、アンダーグラウンド・カルチャーはメインストリームのカルチャーよりも次の世代を大きくを変える力をもっているから。

ノブがHYSTERIC GLAMOURを通して表現していることと、僕の仕事は通じるものがあると思うんだ。スタイルやバイブスを生み出すこと、写真集の出版、エキシビジョンの開催──それら全ての重要性をノブは理解して実践している。僕らはアンダーグラウンド・カルチャーの“プロフェッサー(教授)”のような存在なんじゃないかな。15歳、18歳、22歳、26歳くらいの年齢の若い人たちがそこに入ってくるための道を示してあげられるんだ。

僕は1965年生まれで、今年60歳になったばかりだけど、自分が若い頃にそういったカルチャーについて何かを知るのは本当に大変だった。たとえば、「あの町にラモーンズ(RAMONES)のTシャツを着てるやつがいるらしい」って聞くと、もしかしたらそいつはクールかもしれないし、友達になれるかもしれない(笑)。楽器を弾けるのであれば、一緒にバンドを組めるかも…といった具合に、仲間を見つけるのにも相当苦労した。

でも2025年の今、HYSTERIC GLAMOURのお店に18歳の子が買い物に来たとして、彼女はK-POPにしか興味がないんだけど、店でソニック・ユース(Sonic Youth)のTシャツを発見する。「これ何?」と気になってSpotifyで調べ、「ギターやってみようかな」「こういうの作ってみたいな」と思えるようになる。そうやって、すべてのストーリーがミックスされていくんだ。

ヨハンさんの普段の主な仕事について、少し説明してもらえますか?

J:僕はニューヨークで『Boo-Hooray』というギャラリーを運営している。このギャラリーではすごくクールでレアなカルチャーに関するアイテム──例えばポスターやフライヤー、レコード、写真などを扱っていて、主な顧客は“パンクロック・オタク”、“アンダーグラウンド・オタク”、“サブカルチャー・オタク”の人たちだ(笑)。こういった希少でオリジナルなアイテムを自分の手で販売できるのは、本当に幸運なことだと思ってる。それに、僕の顧客はちょっとHYSTERIC GLAMOURのファン層と似ていて、自分たちが手に入れたものにすごく愛着を持ってくれるんだ。

僕と妻はロングアイランドの東端、モントークというサーフタウンに住んでいて、ニューヨーク市内のチャイナタウンにも家があり、オフィスはロウアー・マンハッタンにある。モントークはもう本当に信じられないくらいお金持ちの人たち──“超・億万長者”が集まる場所でもあって、そこの住人たちは「ピカソの絵を買おうかな」「バンクシーの作品を4点買っちゃおうかな」みたいなノリなんだよ(笑)。その中にはサーフィンをする人もいて、ビーチで彼らと話すと「ねえ、君のコレクション見に行ってもいい?」「今度いつ展示やるの?」とか聞かれたりするんだ。

ある億万長者はストゥージズの大ファンで、僕からオリジナルのストゥージズの写真を日本円で2万円くらいの値段で買っていった。それ以来、彼は会うたびに「あの写真、マジで最高なんだよ」って言ってくれるんだ。彼は自宅のキッチンの壁にその写真を飾って毎日眺めてるらしいんだけど、僕が「君の持ってるバンクシーやピカソの作品はどうしたの?」って聞くと「ああ、それらは倉庫にしまってあるよ」って言うんだ(笑)。

このエピソード、最高に面白いよね。ポップカルチャーとかアンダーグラウンド・カルチャーって、僕たちの感情と深くつながっているんだよ。もちろん、ファインアートもそうなんだけど、こっちはもっと日常的な感情に結びついているというか。例えば、誰もが「ミシュランガイド三つ星のレストランで、トリュフとシャトー・ラフィットを楽しみたい」と考えるけど、実際それをやってみてもなんだか居心地が悪くて、結局カレーとビールの方が満足できたりする。だから、こういったカルチャーに触れるのはすごくいいと思うんだ。日常生活の中の感情や精神の状態とちゃんとつながってるし、何より自分たちにとってリアルで楽しいしね。

今回の企画展 “LOVE BOOTLEG”を開催した経緯を教えてください。

J:昨年、HYSTERIC GLAMOURの40周年が近づいたとき、僕はノブに40周年のお祝いに何かやろうと持ち掛けた。僕はノブのために、彼とHYSTERICのインスピレーション源となったニューヨーク・アンダーグラウンド・カルチャーを紹介するショー(“NEW YORK HYSTERIC: 40 punk rock years”)を開催した。最初に話したように、ノブとHYSTERICとは長い付き合いだ。いつも本当に楽しくて、仕事もすごくスムーズに進む。みんな親切だしね。だいたい僕らのプロジェクトの始まりは、オオノさんとノブに「これやる?」ってテキスト1通とメール1通送るだけなんだ。するとすぐに「やりたい!」って返事が返ってきて「うん、5月にやろう」「オーケー、じゃあ安い航空券を探すよ」ってそんな感じなんだよ(笑)。

僕はノブのセンスを全面的に信頼してる。だから、僕が色々持ってきたときも、何をどこに飾るかとか、空間の雰囲気とか、全部彼が決める。それで完璧なんだ。本当にハッピーな感じでね。それにノブが僕のコレクションやギャラリーにあるものの中から、自分が気に入ったものを自由に選んでくれるのが嬉しいんだ。しかも、それらはちゃんとHYSTERIC GLAMOURらしい雰囲気を持っているんだよ。彼らは過去にクランプスをはじめ、ソニック・ユース、ロイヤル・トラックス(Royal Trux)、ナイアガラ(Niagara)、デストロイ・オール・モンスターズ(Destroy All Monsters)といった、僕も大好きなアーティストたちと素晴らしいコラボレーションを実現させてきたからね。

今回のショーはブートレグLPがテーマですが、ヨハンさんから展示しているレコードについて説明してもらえますか?

J:このボブ・ディランのブートレグLP(『Great White Wonder』)は1969年にリリースされたもので、これが「世界で最初のブートレグ盤」と言われている。真っ白なジャケットにただタイトルのスタンプが押されただけの簡素な装丁で、初回のプレス数は2,000枚ほど。内容はディランのデモ音源やテレビ番組の放送録音を寄せ集めた23曲が収録されていて、音質は最悪(笑)。当時高値で取引されたけど、裁判沙汰にもなって社会現象を巻き起こした。

これはジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)の最初のブートレグLP(『Sky High』)で、1973年にSky Dog Records(スカイドック・レコード)というフランスの“プロト・パンク”レーベルからリリースされた。シルクスクリーンのスリーブが素晴らしいでしょう? このレーベルの創設者であるマーク・ゼルマティ(Mark Zermati)は、とても興味深い人物なんだ。彼は当時パリでレコードショップを運営していて、ストゥージズやニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)のメンバーとも仲が良く、他にも色々なミュージシャンとつながっていた。1973年にニューヨーク・ドールズがパリでライブをやったときの有名なエピソードがある。

そのときマーク・ゼルマティと音楽ライターのニック・ケント(Nick Kent)、ニューヨーク・ドールズのデヴィッド・ヨハンセン(David Johansen)の3人でディナーをしていて、デヴィッドとマークが“パンク”について語っていた。彼らはアメリカの60年代のロックンロールを既に“パンク・ミュージック”として捉えていて、その場にはマルコム・マクラーレン(Malcolm Mclaren)も同席していたらしい。ここから“パンク”というムーブメントが生まれていくんだ。これはラモーンズやセックス・ピストルズ(Sex Pistols)が登場する以前の話だよ。

で、これが有名なセックス・ピストルズのブートレグ『Spunk』。1977年1月にソーホーのスタジオで録音されたデモ音源で、彼らの公式デビューアルバム(『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』)の発売日の数週間前にレコードショップの店頭に並んだ。多くの人が言ってるんだけど、マルコム・マクラーレンが金儲けのため、新しいマーケットに対する挑発のためにこれを発表したんじゃないかって。カバーは無数に存在していて、ここに展示しているのはステンシルでスプレーペイントしたものと、風船ガムのカードを貼り付けたもの。どちらのスリーブもファンの手作りで味があるよね。

そしてこれは1977年8月にPFP Recordsからリリースされたセックス・ピストルズの非公式のファーストLP(『No Fun』)。76年6月4日のマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールでのライブ音源で、若いファンによる手作りのスリーブが付属して限定1,000枚のみ流通した。同じ音源の再発盤(『The Good Time Music of the Sex Pistols』)がAcid Recordsからも出ていて、ジャケットに写ってるのはマンチェスターのパンク・シーンにいた青年なんだ。彼はザ・ワースト(The Worst)っていうバンドのメンバーなんだけど、そのバンドはレコードも出してないし、リハーサルすらしたことない。でも、とにかく“イケてる連中”だったんだよね。で、冗談みたいなノリで彼がゴルフしている写真をジャケットに使ったってわけ。

『Take It Or Leave It』は、クラッシュ(The Clash)の最初のLPで、正式なデビューアルバム(『The Clash』)より前にリリースされたもの。1977年5月8日のマンチェスターのエレクトリック・サーカスでのライブ録音で、その年の8月にホワイトスリーブの初回プレスが200枚限定で発売された。これはその再発盤で、カバーはテニスラケットを持ったパンクスの女性の写真。この女性はさっきのゴルフ・パンクスのガールフレンドなんだ(笑)。とても良いカバーだよね。内容はクラッシュが5人編成だった頃のライブ録音だからちょっとパブロックっぽいサウンドで、まだパンクって感じではない。でもその感じがすごく良くて、本当に素晴らしいレコードなんだ。

これはまたセックス・ピストルズのブートレグなんだけど、彼らが1977年にスウェーデン・ツアーをしたときのライブ盤で、タイトルは『Anarchy in Sweden』(笑)。これを作ったのはファンのキッズなんだよ。自作のステンシルシートにスプレーを吹きかけ、セーフティピン(安全ピン)を付けて、それから曲名を10個くらい手書きして…本当に美しいんだよね。素晴らしいグラフィックデザインだと思う。

ピースマークと拳のグラフィックに“UNITE”の文字が描かれたコンピレーション盤(『Unite!Compilation』)は、今回のラインナップの中で最も奇妙なレコードかもしれない。カリフォルニアのヒッピー・コミューンの連中が自分たちの募金活動のために作ったもので、ビートルズやジェームス・テイラー、ムーディー・ブルースなどお気に入りのアーティストの曲を勝手にコンパイルしている。彼らはサンノゼでこれを売って、売上は全て自分たちのために使ったんだ。アーティストに一切お金は入っていない。

1枚1枚のエピソードが面白いですね。説明を聞いてから見ると、全く印象が変わります。

J:今回展示している全てのブートレグLPにはそれぞれのストーリーがあるから、背景を知るとより展示を楽しめるよ。それでさっきもノブと話してたんだけど、彼も僕も子供の頃からずっとレコードを集め続けてきたにも関わらず、ここに展示しているほとんどのブートレグ盤は、今まで存在を確認できたのはそれぞれ1枚だけ、というくらいレアなものばかりなんだ。すごくミステリアスだよね。

このコレクションの中で、最もお気に入りの1枚は何ですか?

J:クランプスの最初のブートレグ『Totally Destroy Seattle』(1982)だね。手作りのカバーがすごく美しいでしょ。ジャケットのドローイングは原始的でパンクロック的だし、アート的な印刷も相まってリュクスな雰囲気もある。このシルクスクリーンスリーブは3色印刷なんだけど、こんなに綺麗に仕上げるのは本当に難しい。クランプスのメンバーもこの1枚をとても気に入ってくれた。収録されているパフォーマンスも良いし、アートワークもスーパー・クールだってね。

展示物にはレコード以外にポスターや写真もありますね。

J:今回のラインナップにはレコードに加えて、レアでクールなアイテムも色々混ぜてるんだ。たとえば、スーサイド(Suicide)の本当に最初期のポートレート──1969年に撮影された1枚で、誰が撮ったのか未だ判明していない。完全に「ワイルドなヒッピー」って雰囲気でしょ。メンバーのマーティン・レヴ(Martin Rev)は、スーサイドに入る前はフリージャズを演奏していたんだよね。アップタウンのハーレムのアンダーグラウンドなジャズクラブで、超有名なジャズミュージシャンたちと一緒に出演してた。

一方のアラン・ヴェガ(Alan Vega)は、みんなが思ってるよりずっと年上だったんだ。彼は1938年生まれで、1950年代後半にはブルックリンの美術学校に通っていた。当時既に彼は結婚してて、夫婦ともに「ブルックリンのヒップなジャズキッズ」だった。グリニッジ・ヴィレッジに行って、マリファナを吸いながらチャーリー・ミンガスの演奏を聴く、そんな感じの生活をしてたんだ。スーサイドが面白いのは、彼らが実は誰よりも早く“パンク”を発明してたってことなんだよね。これは1972年のフライヤーなんだけど、「PUNK MUSIC BY SUICIDE」って書いてある。ラモーンズよりも全然早い。この事実と、スーサイドのルーツにジャズの影響があることを踏まえて音源を聴くと、より深く彼らの音楽を理解できる。最高にクールでしょ。

他にもノブが大好きなバンド──たとえばクランプスのスーパーレアなアイテムもあるし、パティ・スミス(Patti Smith)やソニック・ユース関連、初期のハートブレイカーズ(The Heartbreakers)の写真なんかも揃ってる。あとこれは1975年のウェイン・カウンティ(Wayne County)のポートレートなんだけど、当時の彼女はパティ・スミスのような格好をしてパフォーマンスをしてたんだ。ステージはまず長いモノローグから始まる。パティのスポークン・ワードっぽいスタイルでさ。内容はというと、ジム・モリソンの陰毛の一本がパリの川を漂っていくのを見つめてる…みたいな(笑)。それが終わると「くだらねぇ!(horseshit!)」って叫びはじめるんだ。めちゃくちゃおかしいし、すごくニューヨーク的だよね。

(笑)。ところで、それぞれが最初に手に入れたブートレグ盤は何ですか?

J:ストゥージズの『Metallic K.O.』だね。

N:僕はザ・フー(The Who)だった気がする。2枚組のカラーヴァイナルで、何のタイトルだったかは覚えてないな。

J:音は良かった?

N:うん、良い音だったよ。70年代から80年代、日本ではブートレグ盤はあまりポピュラーじゃなくて、限られたお店でしか扱ってなかったと思う。僕は新宿にあるブートレグ専門のレコードショップで買ってたね。ただ、当時日本で買えるブートレグ盤はここで展示されているような凝ったジャケットのものはなかった。アートワークのコピーを糊で貼ってあるだけだったり、カラーペーパーにタイトルや情報をゼロックスで印刷したものとか、白黒のジャケットがほとんどだったね。だから、今回展示されているようなレコードはほとんど見たことない。シルクスクリーンやハンドペイントしているものもあるし、オリジナルのアート作品と言ってしまっていいと思う。

自分もブートレグ盤といえばチープなジャケットという認識でしたが、今回の展示物を見て、その奥深さに驚きました。

J:このショーで展示しているブートレグLPは、今や“文化遺物(Artifacts)”として、価値あるものになっている。現在はYouTubeやさまざまな共有サイトで多くの音楽を簡単に見つけることができるけど、ネットのカオスの中でクールなものを探すのは難しい。でもリアルなレコード店での体験は、未だにミステリアスだ。思いがけないものを発見できるからね。

今回のショーの目的のひとつは、ノブやジョニオのようなスーパー・レコードコレクターの友人たちに「こんなの見たことない!」って言ってもらうことなんだ。「僕は14歳から毎週ディスクユニオンに通っているけど、こんなクレイジーなレコードを見たのは初めてだよ!」なんて、最高の褒め言葉だね(笑)。

ブートレグのファンアートのテクスチャーには、彼らの音楽への愛、アーティストへの愛が詰まってる

N:自分が中学生や高校生の頃は、好きなバンドのライブが録音されたブートレグ盤をよく買ったよ。オフィシャルのライブ盤は出ていなかったからね。たまに良い録音のものもあるけど、ほとんどは音質の悪いものばかりだった。でも僕にとって、それらのレコードはとても重要だった。

J:あそこにある、謎のシンボルがグリーンでプリントされているローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のブートレグLP(『Live’r Than You’ll Ever Be』、1969/1970)は、音質が悪すぎて誰が何をやっているのか分からない(笑)。

N:90年代になると、色々なバンドが来日する機会が増えて、よくライブへ足を運んだ。最高のギグだったら、その日のライブのブートレグ盤を後日お店へ探しに行ったよ。当時はヴァイナルじゃなくて、CDでブートレグのライブ盤がたくさん出回っていたんだ。

J:CDなら録音データを簡単にコピーできるしね。僕らはCD世代かもしれないけど、CDはヴァイナルほどクールじゃない。ほら、ここに飾ってあるレコードを見てよ! クレイジーなレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のイラスト(『Live On Blueberry Hill』1970)、顔にマリファナの跡がびっしりついたボブ・ディラン(Bob Dylan)の超ヒッピーなコラージュ(『Mortorcycle』1971)とか、これらのジャケットは全てそのアーティストのファンが描いたもので、ブートレグ業者でもミュージシャンが手掛けたものでもない。このビートルズ(The Beatles)の『GET BACK』のファンアート(『The Beatles fan art for GET BACK 1970 bootleg』)なんて最高でしょ? このようなファンアートのテクスチャーには、彼らの音楽への愛、そしてアーティストへの愛が詰まっているんだ。

N:そういえば、少し前にYouTubeでニール・ヤング(Neil Young)がどこかの街のレコードショップで自分のブートレグ盤を探している映像を観たよ。

J:本当に?(笑)彼はブートレグを容認してるの?

N:いや、怒ってたね(笑)。ショップのオーナーに「これはどこから仕入れたんだ!」って問い詰めてた。ソニック・ユースの連中も日本に来ると自分たちのブートレグ盤を探しにレコードショップを廻るんだけど、ニール・ヤングとは対照的。彼らは自分たちのブートレグを全て集めているくらい好きなんだ。

J:サーストン・ムーア(Thurston Moore)は本当にブートレグの愛好家だよね。ルー・リードもブートレグに対して寛容だった。アメリカにetc.(エトセトラ)というアンダーグラウンドのブートレグ・レーベルがあって、そこからヴェルベットの2番目のブートレグ盤がリリースされたんだ。確か1978年か79年頃だったと思う。当時はヴェルベットのレコードを見つけるのがすごく大変だった。というのも、正規のレコードはすべて廃盤になっていて、レコード会社ももう生産を中止していた。しかも中古盤は既に高騰していて、入手がすごく難しかった。でも、なぜかそのブートレグ盤だけはどこでも売っていたんだ。だから一部の人にとっては、それが初めて所有するヴェルベットのレコードだったというわけさ。

ストゥージズも同じような状況だった。『Metallic K.O.』がリリースされたのは1976年で、その頃にはオリジナルのファースト・アルバム(『The Stooges』)のレコードはすっかり廃盤になっていた。僕が13歳のとき、つまり1978年には僕らの周囲で彼らのファースト・アルバムとセカンドの『Fun House』を持っている奴はほとんどいなかった。『Raw Power』はまだ見つけることができたけど、最初の2枚は本当に入手困難だったんだ。僕は当時友達が持っていたカセットテープの音源をコピーして聴いていた。たまにオリジナルのレコードを持ってる奴に出会うと「えっ、お前『Fun House』持ってるの? マジで超クールじゃん!」っていう感じだった(笑)

N:それは東京でも同じ。僕がストゥージズのファーストのオリジナル盤の現物を初めて見たのは、ブランドを立ち上げてからだった。

J:本当? じゃあ1984年以降ってこと?

N:そういうことになるね。

J:…いや、この事実はヴァイナル・カルチャーが復活した2025年のいまだからこそ、声を大にして言いたい。当時のレコード会社は、明らかにスターアーティストのことしか重要視していなかった。その証拠にローリング・ストーンズやビートルズの再発盤はすぐに大量に作られたけど、ストゥージズやクランプスのレコードは廃盤になってから再発されるまで何年も待たなければいけなかった。僕たちにとってはストゥージズやクランプスはスターと言える存在だけど、当時は一般的なスターじゃなかったんだよ。

N:そういえばジャック・ホワイト(Jack White)は、当時ストゥージズの『Raw Power』をプレスしたレコードプレス機を手に入れて、そのマシンを現在Third Man Records(サードマン レコード)で使用し、今のバンドの音をプレスしているらしい。

J:それは究極のコレクションだ(笑)。レコードマニアの中には“スーパーマニア”よりさらに上の“ワイルド・スーパーマニア”と呼べるような人たちがいて、ジャック・ホワイトと彼の甥のベンはまさにそれに該当する。今回のショーの開催が決まった時に「絶対にブートレグLPを作らなきゃダメだ」と思いついたんだけど、アメリカでは今すべてのレコードプレス工場がもう予約で埋まっていて、オファーしても完成まで何か月も待たなきゃいけないんだ。それでジャックとベンにメールを送ったら、すぐにプレスしてくれた。本当に親切だったよ。

N:僕たちが今回のショーの開催を決めた一番の理由は、誰もがスマホで手軽に全ての音楽を聴ける今の時代に、あえてレコードの展示をすることが重要だと考えたから。ブートレグ盤に収録されてるのは普通の音源じゃないし、他に誰もこんなことはやらないと思うんだよね。

J:レコードってフォーマット自体もすごく面白いよね。33センチx33センチという限られたサイズの中で、何かクリエイティブなものを生み出さなきゃいけない。これは当然、公式のレコード会社の作品にも、ブートレグにも、そしてクレイジーなファンアートにも当てはまる。

レコードジャケットにはグラフィックや写真、他にもいろんな要素が盛り込まれてる。若い頃はそこに書かれているクレジットを全てチェックしてた

ブートレグ盤に限らず、レコード自体の魅力って何だと思いますか?

N:まず音がCDや配信とは全然違う。

J:そう、音が違うのはもちろん、棚を見て「今日はどれを聴こうかな」って考えるのが楽しいんだ。たとえば最初にポップ・グループ、次にスウェル・マップス、それからキャバレー・ヴォルテール…みたいな。そんなふうにジャケットを手に取りながら選ぶんだ。

N:僕が中学生の頃は、ロックについての情報が本当に少なかった。ロックを取り上げてる雑誌も2つくらいしかなくて、あとはいくつかのラジオ番組くらい。少ない情報を頼りにレコードショップへ行っても、ほとんど知らないレコードばかり。当時は店頭で試聴なんてできないから、ジャケットを見て判断するしかないわけ。英語で書かれたテキストを見て「たぶんこれはいい音なんだろう」とか「このムードのジャケットなら音も間違いないだろう」とか考えて購入してた。所謂“ジャケ買い”だよね。

J:レコードジャケットには“秘密”がいっぱい隠されていたよね。たとえばデヴィッド・ボウイ(David Bowie)のレコードを手に取ると、“ウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)”って名前が書いてあって、「バロウズって誰だ? よし、図書館に行って調べてみよう」ってなるわけ。あるいは、クラス(CRASS)のレコードを持っていて、そこに「J・G・バラード(J. G. Ballard)がこう言った」みたいなことが書いてあると、「えっ、クラスってバラードが好きなの? じゃあ僕も読まないと」って思ったりして。そんなふうに、レコードジャケットからそのアーティストが影響を受けたものを読み解いていくんだ。

N:このサイズのジャケットにグラフィックや写真、他にもいろんな要素が盛り込まれてる。気になったら、そこに書かれているクレジット──デザイナーやフォトグラファーの名前を全てチェックしてた。

J:若い頃はお金がなくて、月に買えるレコードはせいぜい2枚くらいだったけど、本当は毎月100枚くらい欲しかった。それで当時、パンクにハマっていた仲間と毎週日曜日にカフェに集まって、コーヒーをひたすら飲みながらお互いのレコードを貸し借りするんだ。「君が4枚借してくれたら、僕も4枚貸すよ」みたいな感じで、そうやってたくさんのレコードを聴くことができたし、それが友達とのコミュニケーションになっていた。今だと「これめっちゃいい!」って思った曲のリンクを誰かに送る感覚に近いかもしれないけど、実際に会って物理的なモノを共有した方が、より相手と深い関係が築けると思う。

最後に、ヨハンさんが現在進行中のプロジェクトや、今後のプランなどを明かせる範囲で教えてください。

J:僕はこれまでヴェルヴェットやセックス・ピストルズ、パンクのグラフィックデザインに関する本を作ってきた。それらの仕事は、光栄なことにノブのような人たちが気に入ってくれているし、自分でもクールだと思っているけど、僕の本がベストセラーになったことは一度もないんだ。最も売れた本でも、2万部ほどしか売れていない。だから本の制作費を捻出するのは毎回とても大変。でも、COVID以前から取り組んでいた“プロト・パンク”に関する本がもうすぐ完成する。

これはパンク・ロックへとつながる影響や音楽の謎、スタイルの謎、グラフィックデザインの謎を解き明かす本で、親友の著名な音楽ライター ジョン・サヴェージ(Jon Savage)と一緒に制作した。ジョンは本当に頭が良くて、僕よりずっとスマートだ。僕らはこれまでにたくさんの本を一緒に作ってきたけど、彼とのプロジェクトはいつも刺激的だし、何より楽しい。今度の本はもうほぼ完成していて、早くノブや世界中の友人たちに送って、みんなの意見を聞きたい。それが今進行中の一番大きなプロジェクト。他には「クレイジーでクールなアンダーグラウンドなモノ」を扱うオークションもプロデュースしている。この秋にニューヨークで開催予定で、年末に向けて東京でも何かやれたらいいね、なんて話もしてるよ。

あとは、ひとつ大きな夢があるんだ。それはHYSTERIC GLAMOURがこれまで作ってきたすべての本をニューヨークで展示すること。ノブとHYSTERICがこれまでやってきたことは、世界の写真史やカルチャーの歴史において非常に重要だ。日本で写真や本に詳しい人たちはそのことを理解しているけど、もっと広く知られるべきだと思う。これは近い将来必ず実現させたいね。

ヨハン・クーゲルバーグ(Johan Kugelberg)
1965年生まれ。米ニューヨークにあるギャラリー『Boo-Hooray』のオーナーであり、世界のサブカルチャーに精通するコレクター。主な著書に『The Velvet Underground: New York Art』『Punk: An Aesthetic』『God Save Sex Pistols』(全てRizzoli)、『True Norwegian Black Metal』(Vice)、『Enjoy the Experience』(Sinecure)『Beauty is in the Street』(Four Corner)など、多数。


【展覧会情報】
Boo-Hooray Presents “LOVE BOOTLEG”

会期:2025年5月24日(土)~6月15日(日)
会場:HYSTERIC GLAMOUR SHIBUYA
住所:東京都渋谷区神宮前6-23-2
時間:11:00-20:00

in HTML format, including tags, to make it appealing and easy to read for Japanese-speaking readers aged 20 to 40 interested in fashion. Organize the content with appropriate headings and subheadings (h1, h2, h3, h4, h5, h6), translating all text, including headings, into Japanese. Retain any existing tags from

〈HYSTERIC GLAMOUR(ヒステリック グラマー)〉が、“ブートレグLP”をフィーチャーしたユニークな企画展 Boo-Hooray presents “LOVE BOOTLEG”を6月15日(日)まで『HYSTERIC GLAMOUR SHIBUYA(ヒステリック グラマー 渋谷)』で開催中だ。

ブートレグ(海賊盤)は、1960年代後半にレコード業界がLPビジネスへと変貌し、商業化されてしまったことを引き金にアメリカで誕生。1969年に発売されたボブ・ディラン(Bob Dylan)の『The Great White Wonder』を皮切りに、著作権法の抜け穴を利用してヘッドショップや独立系レコード店に流通し始め、その後堰を切ったように大量に生産されるようになったという。70年代に隆盛を極めたブートレグ・カルチャーは、1980年代になるとLPより効率的な制作が可能なCDへの移行化が進むにつれ、レコード文化とともに衰退していく。ブートレグはアーティストやレコード会社に許諾を取らずに製作された“非正規品”であるが、貴重なデモやライブ音源が聴けること、そしてファンの自由な発想から生まれた独創的なアートワークに魅了されるコレクターは多い。

“LOVE BOOTLEG”では、20世紀の珍しいサブカルチャーマテリアルを専門に扱うギャラリー『Boo-Hooray(ブーフーレイ)』を主宰するヨハン・クーゲルバーグ(Johan Kugelberg)がこれまで集めた“スーパーレア”なブートレグLPの数々を展示。また、ロック/パンク/ノーウェーブ/バーレスク/カウンターカルチャーなどのブートレグのファンアートを補完するポスターやフライヤー、写真なども店内に並ぶ。滅多にお目にかかれない貴重なブートレグLPや資料が一堂に会す本展の開催を記念し、国内屈指のレコードコレクターとしての顔をもつ〈HYSTERIC GLAMOUR〉のデザイナー 北村信彦と、ヨハン・クーゲルバーグの対談が実現。ブートレグにまつわる知られざるエピソードやその魅力、二人にインスピレーションを与えてきたアンダーグラウンド・カルチャーへの思いを語ってもらった。


アンダーグラウンド・カルチャーは、メインストリームのカルチャーよりも次の世代を大きく変える力をもっている

Hypebeast:まずお二人の出会いについて聞かせてください。最初はどのように知り合ったのですか?

ヨハン・クーゲルバーグ(以下、J):ノブとは約20年来の付き合いなんだけど、最初は何がきっかけだったっけ?

北村信彦(以下、N):僕の記憶だと、お互いの共通の友人である有太マン(平井有太:編集者/ライター/美術作家/アクティビスト)の紹介だったと思う。

J:そうだ!有太がきっかけだったね。有太とは彼がニューヨークのアートスクールに通っていた頃からの友人で、僕が初期のヒップホップに関する資料のコレクターであることを知っていた。僕は有太から依頼を受け、2006年にPOGGY(ポギー、小木基史)のお店『Liquor,woman&tears(リカー,ウ-マン&ティアーズ)』のオープニングにあわせて、ジョー・コンゾ(Joe Conzo:ヒップホップの創世記からアーティストやB-Boyを撮り続けてきたフォトグラファー)の写真展を開催したんだ。そのショーのために来日した際に、有太に頼んでノブを紹介してもらった。

N:有太マンから、ニューヨークから来日してる友人でアメージングなヒップホップのコレクションを持ってる奴がいて、彼が僕に会いたがってると連絡がきて。でも自分は当時あまりヒップホップに興味がなかったし、最初は渋ってたんだよね。その後また連絡がきたから、写真展の最終日に会場に行ってみたんだ。実際にヨハンと会って話してみると、ヒップホップは彼のコレクションの一部でしかなくて、ロックやパンクのアーカイブに関しても相当なコレクターであることがわかった。しかも彼はHYSTERIC GLAMOURが出版した写真集のこともよく知っていたから、すぐに打ち解けたよ。

J:僕らは森山大道や深瀬昌久といった日本の写真家から、ストゥージズ(The Stooges)、クランプス(The Cramps)のことまで色々話したね(笑)。

N:その時にヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)のアーカイブ・プロジェクトについても話してくれたよね。

J:ちょうどノブと知り合った頃、ヴェルヴェットに関するプロジェクトがスタートしたんだ。その翌年の2007年、僕はニューヨークでヴェルヴェットのファーストアルバムの発売40周年を記念したエキシビジョン(“c/o The Velvet Underground New York, N.Y.”)を開催した。オープニングにはルー・リード(Lou Reed)やダグ・ユール(Doug Yule)、モーリン・タッカー(Maureen Tucker)といったオリジナルメンバーに加えて、スターリング・モリソン(Sterling Morrison)の妻 マーサ(Martha Morrison)も来てくれた。彼らが全員顔を合わせるのは1970年以来初めてのことで、本当にクールな瞬間だったと思う。

そのショーを終えて、ルー・リードから「ヨハン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのビッグな本を作ってくれ」と直々に頼まれた。彼との約束通り、2009年にRizzoli(リッツォーリ)からヴェルヴェットのアーカイブ本(『The Velvet Underground: New York Art』)を刊行し、日本でもそれに関連した展覧会をノブとジョニオ(高橋盾:UNDERCOVER デザイナー)に協力してもらって開催した。このプロジェクトが僕らの初めてのコラボレーションだよね。そして2013年にルーが亡くなった後、未亡人のローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)と話して、ヴェルヴェットのアーカイブを大学とニューヨーク公共図書館に寄贈したんだ。

N:ヨハンのヒップホップのコレクションも大学に所蔵されてるよね?

J:そう、コーネル大学に世界最大のヒップホップのヒストリーアーカイブを設立した。当初フライヤーやポスターなどの資料約1万点を寄贈して、現在は27万5,000点ほどにまで増えた。実を言うと、ヒップホップは個人的にあまり好きなテイストではないんだけど、文化的には非常に重要であることは理解している。スタイルのあるアンダーグラウンド・カルチャーは、本として残したり、アーカイブを美術館や大学に保存しておくべきだと思う。なぜなら、アンダーグラウンド・カルチャーはメインストリームのカルチャーよりも次の世代を大きくを変える力をもっているから。

ノブがHYSTERIC GLAMOURを通して表現していることと、僕の仕事は通じるものがあると思うんだ。スタイルやバイブスを生み出すこと、写真集の出版、エキシビジョンの開催──それら全ての重要性をノブは理解して実践している。僕らはアンダーグラウンド・カルチャーの“プロフェッサー(教授)”のような存在なんじゃないかな。15歳、18歳、22歳、26歳くらいの年齢の若い人たちがそこに入ってくるための道を示してあげられるんだ。

僕は1965年生まれで、今年60歳になったばかりだけど、自分が若い頃にそういったカルチャーについて何かを知るのは本当に大変だった。たとえば、「あの町にラモーンズ(RAMONES)のTシャツを着てるやつがいるらしい」って聞くと、もしかしたらそいつはクールかもしれないし、友達になれるかもしれない(笑)。楽器を弾けるのであれば、一緒にバンドを組めるかも…といった具合に、仲間を見つけるのにも相当苦労した。

でも2025年の今、HYSTERIC GLAMOURのお店に18歳の子が買い物に来たとして、彼女はK-POPにしか興味がないんだけど、店でソニック・ユース(Sonic Youth)のTシャツを発見する。「これ何?」と気になってSpotifyで調べ、「ギターやってみようかな」「こういうの作ってみたいな」と思えるようになる。そうやって、すべてのストーリーがミックスされていくんだ。

ヨハンさんの普段の主な仕事について、少し説明してもらえますか?

J:僕はニューヨークで『Boo-Hooray』というギャラリーを運営している。このギャラリーではすごくクールでレアなカルチャーに関するアイテム──例えばポスターやフライヤー、レコード、写真などを扱っていて、主な顧客は“パンクロック・オタク”、“アンダーグラウンド・オタク”、“サブカルチャー・オタク”の人たちだ(笑)。こういった希少でオリジナルなアイテムを自分の手で販売できるのは、本当に幸運なことだと思ってる。それに、僕の顧客はちょっとHYSTERIC GLAMOURのファン層と似ていて、自分たちが手に入れたものにすごく愛着を持ってくれるんだ。

僕と妻はロングアイランドの東端、モントークというサーフタウンに住んでいて、ニューヨーク市内のチャイナタウンにも家があり、オフィスはロウアー・マンハッタンにある。モントークはもう本当に信じられないくらいお金持ちの人たち──“超・億万長者”が集まる場所でもあって、そこの住人たちは「ピカソの絵を買おうかな」「バンクシーの作品を4点買っちゃおうかな」みたいなノリなんだよ(笑)。その中にはサーフィンをする人もいて、ビーチで彼らと話すと「ねえ、君のコレクション見に行ってもいい?」「今度いつ展示やるの?」とか聞かれたりするんだ。

ある億万長者はストゥージズの大ファンで、僕からオリジナルのストゥージズの写真を日本円で2万円くらいの値段で買っていった。それ以来、彼は会うたびに「あの写真、マジで最高なんだよ」って言ってくれるんだ。彼は自宅のキッチンの壁にその写真を飾って毎日眺めてるらしいんだけど、僕が「君の持ってるバンクシーやピカソの作品はどうしたの?」って聞くと「ああ、それらは倉庫にしまってあるよ」って言うんだ(笑)。

このエピソード、最高に面白いよね。ポップカルチャーとかアンダーグラウンド・カルチャーって、僕たちの感情と深くつながっているんだよ。もちろん、ファインアートもそうなんだけど、こっちはもっと日常的な感情に結びついているというか。例えば、誰もが「ミシュランガイド三つ星のレストランで、トリュフとシャトー・ラフィットを楽しみたい」と考えるけど、実際それをやってみてもなんだか居心地が悪くて、結局カレーとビールの方が満足できたりする。だから、こういったカルチャーに触れるのはすごくいいと思うんだ。日常生活の中の感情や精神の状態とちゃんとつながってるし、何より自分たちにとってリアルで楽しいしね。

今回の企画展 “LOVE BOOTLEG”を開催した経緯を教えてください。

J:昨年、HYSTERIC GLAMOURの40周年が近づいたとき、僕はノブに40周年のお祝いに何かやろうと持ち掛けた。僕はノブのために、彼とHYSTERICのインスピレーション源となったニューヨーク・アンダーグラウンド・カルチャーを紹介するショー(“NEW YORK HYSTERIC: 40 punk rock years”)を開催した。最初に話したように、ノブとHYSTERICとは長い付き合いだ。いつも本当に楽しくて、仕事もすごくスムーズに進む。みんな親切だしね。だいたい僕らのプロジェクトの始まりは、オオノさんとノブに「これやる?」ってテキスト1通とメール1通送るだけなんだ。するとすぐに「やりたい!」って返事が返ってきて「うん、5月にやろう」「オーケー、じゃあ安い航空券を探すよ」ってそんな感じなんだよ(笑)。

僕はノブのセンスを全面的に信頼してる。だから、僕が色々持ってきたときも、何をどこに飾るかとか、空間の雰囲気とか、全部彼が決める。それで完璧なんだ。本当にハッピーな感じでね。それにノブが僕のコレクションやギャラリーにあるものの中から、自分が気に入ったものを自由に選んでくれるのが嬉しいんだ。しかも、それらはちゃんとHYSTERIC GLAMOURらしい雰囲気を持っているんだよ。彼らは過去にクランプスをはじめ、ソニック・ユース、ロイヤル・トラックス(Royal Trux)、ナイアガラ(Niagara)、デストロイ・オール・モンスターズ(Destroy All Monsters)といった、僕も大好きなアーティストたちと素晴らしいコラボレーションを実現させてきたからね。

今回のショーはブートレグLPがテーマですが、ヨハンさんから展示しているレコードについて説明してもらえますか?

J:このボブ・ディランのブートレグLP(『Great White Wonder』)は1969年にリリースされたもので、これが「世界で最初のブートレグ盤」と言われている。真っ白なジャケットにただタイトルのスタンプが押されただけの簡素な装丁で、初回のプレス数は2,000枚ほど。内容はディランのデモ音源やテレビ番組の放送録音を寄せ集めた23曲が収録されていて、音質は最悪(笑)。当時高値で取引されたけど、裁判沙汰にもなって社会現象を巻き起こした。

これはジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)の最初のブートレグLP(『Sky High』)で、1973年にSky Dog Records(スカイドック・レコード)というフランスの“プロト・パンク”レーベルからリリースされた。シルクスクリーンのスリーブが素晴らしいでしょう? このレーベルの創設者であるマーク・ゼルマティ(Mark Zermati)は、とても興味深い人物なんだ。彼は当時パリでレコードショップを運営していて、ストゥージズやニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)のメンバーとも仲が良く、他にも色々なミュージシャンとつながっていた。1973年にニューヨーク・ドールズがパリでライブをやったときの有名なエピソードがある。

そのときマーク・ゼルマティと音楽ライターのニック・ケント(Nick Kent)、ニューヨーク・ドールズのデヴィッド・ヨハンセン(David Johansen)の3人でディナーをしていて、デヴィッドとマークが“パンク”について語っていた。彼らはアメリカの60年代のロックンロールを既に“パンク・ミュージック”として捉えていて、その場にはマルコム・マクラーレン(Malcolm Mclaren)も同席していたらしい。ここから“パンク”というムーブメントが生まれていくんだ。これはラモーンズやセックス・ピストルズ(Sex Pistols)が登場する以前の話だよ。

で、これが有名なセックス・ピストルズのブートレグ『Spunk』。1977年1月にソーホーのスタジオで録音されたデモ音源で、彼らの公式デビューアルバム(『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』)の発売日の数週間前にレコードショップの店頭に並んだ。多くの人が言ってるんだけど、マルコム・マクラーレンが金儲けのため、新しいマーケットに対する挑発のためにこれを発表したんじゃないかって。カバーは無数に存在していて、ここに展示しているのはステンシルでスプレーペイントしたものと、風船ガムのカードを貼り付けたもの。どちらのスリーブもファンの手作りで味があるよね。

そしてこれは1977年8月にPFP Recordsからリリースされたセックス・ピストルズの非公式のファーストLP(『No Fun』)。76年6月4日のマンチェスターのレッサー・フリー・トレード・ホールでのライブ音源で、若いファンによる手作りのスリーブが付属して限定1,000枚のみ流通した。同じ音源の再発盤(『The Good Time Music of the Sex Pistols』)がAcid Recordsからも出ていて、ジャケットに写ってるのはマンチェスターのパンク・シーンにいた青年なんだ。彼はザ・ワースト(The Worst)っていうバンドのメンバーなんだけど、そのバンドはレコードも出してないし、リハーサルすらしたことない。でも、とにかく“イケてる連中”だったんだよね。で、冗談みたいなノリで彼がゴルフしている写真をジャケットに使ったってわけ。

『Take It Or Leave It』は、クラッシュ(The Clash)の最初のLPで、正式なデビューアルバム(『The Clash』)より前にリリースされたもの。1977年5月8日のマンチェスターのエレクトリック・サーカスでのライブ録音で、その年の8月にホワイトスリーブの初回プレスが200枚限定で発売された。これはその再発盤で、カバーはテニスラケットを持ったパンクスの女性の写真。この女性はさっきのゴルフ・パンクスのガールフレンドなんだ(笑)。とても良いカバーだよね。内容はクラッシュが5人編成だった頃のライブ録音だからちょっとパブロックっぽいサウンドで、まだパンクって感じではない。でもその感じがすごく良くて、本当に素晴らしいレコードなんだ。

これはまたセックス・ピストルズのブートレグなんだけど、彼らが1977年にスウェーデン・ツアーをしたときのライブ盤で、タイトルは『Anarchy in Sweden』(笑)。これを作ったのはファンのキッズなんだよ。自作のステンシルシートにスプレーを吹きかけ、セーフティピン(安全ピン)を付けて、それから曲名を10個くらい手書きして…本当に美しいんだよね。素晴らしいグラフィックデザインだと思う。

ピースマークと拳のグラフィックに“UNITE”の文字が描かれたコンピレーション盤(『Unite!Compilation』)は、今回のラインナップの中で最も奇妙なレコードかもしれない。カリフォルニアのヒッピー・コミューンの連中が自分たちの募金活動のために作ったもので、ビートルズやジェームス・テイラー、ムーディー・ブルースなどお気に入りのアーティストの曲を勝手にコンパイルしている。彼らはサンノゼでこれを売って、売上は全て自分たちのために使ったんだ。アーティストに一切お金は入っていない。

1枚1枚のエピソードが面白いですね。説明を聞いてから見ると、全く印象が変わります。

J:今回展示している全てのブートレグLPにはそれぞれのストーリーがあるから、背景を知るとより展示を楽しめるよ。それでさっきもノブと話してたんだけど、彼も僕も子供の頃からずっとレコードを集め続けてきたにも関わらず、ここに展示しているほとんどのブートレグ盤は、今まで存在を確認できたのはそれぞれ1枚だけ、というくらいレアなものばかりなんだ。すごくミステリアスだよね。

このコレクションの中で、最もお気に入りの1枚は何ですか?

J:クランプスの最初のブートレグ『Totally Destroy Seattle』(1982)だね。手作りのカバーがすごく美しいでしょ。ジャケットのドローイングは原始的でパンクロック的だし、アート的な印刷も相まってリュクスな雰囲気もある。このシルクスクリーンスリーブは3色印刷なんだけど、こんなに綺麗に仕上げるのは本当に難しい。クランプスのメンバーもこの1枚をとても気に入ってくれた。収録されているパフォーマンスも良いし、アートワークもスーパー・クールだってね。

展示物にはレコード以外にポスターや写真もありますね。

J:今回のラインナップにはレコードに加えて、レアでクールなアイテムも色々混ぜてるんだ。たとえば、スーサイド(Suicide)の本当に最初期のポートレート──1969年に撮影された1枚で、誰が撮ったのか未だ判明していない。完全に「ワイルドなヒッピー」って雰囲気でしょ。メンバーのマーティン・レヴ(Martin Rev)は、スーサイドに入る前はフリージャズを演奏していたんだよね。アップタウンのハーレムのアンダーグラウンドなジャズクラブで、超有名なジャズミュージシャンたちと一緒に出演してた。

一方のアラン・ヴェガ(Alan Vega)は、みんなが思ってるよりずっと年上だったんだ。彼は1938年生まれで、1950年代後半にはブルックリンの美術学校に通っていた。当時既に彼は結婚してて、夫婦ともに「ブルックリンのヒップなジャズキッズ」だった。グリニッジ・ヴィレッジに行って、マリファナを吸いながらチャーリー・ミンガスの演奏を聴く、そんな感じの生活をしてたんだ。スーサイドが面白いのは、彼らが実は誰よりも早く“パンク”を発明してたってことなんだよね。これは1972年のフライヤーなんだけど、「PUNK MUSIC BY SUICIDE」って書いてある。ラモーンズよりも全然早い。この事実と、スーサイドのルーツにジャズの影響があることを踏まえて音源を聴くと、より深く彼らの音楽を理解できる。最高にクールでしょ。

他にもノブが大好きなバンド──たとえばクランプスのスーパーレアなアイテムもあるし、パティ・スミス(Patti Smith)やソニック・ユース関連、初期のハートブレイカーズ(The Heartbreakers)の写真なんかも揃ってる。あとこれは1975年のウェイン・カウンティ(Wayne County)のポートレートなんだけど、当時の彼女はパティ・スミスのような格好をしてパフォーマンスをしてたんだ。ステージはまず長いモノローグから始まる。パティのスポークン・ワードっぽいスタイルでさ。内容はというと、ジム・モリソンの陰毛の一本がパリの川を漂っていくのを見つめてる…みたいな(笑)。それが終わると「くだらねぇ!(horseshit!)」って叫びはじめるんだ。めちゃくちゃおかしいし、すごくニューヨーク的だよね。

(笑)。ところで、それぞれが最初に手に入れたブートレグ盤は何ですか?

J:ストゥージズの『Metallic K.O.』だね。

N:僕はザ・フー(The Who)だった気がする。2枚組のカラーヴァイナルで、何のタイトルだったかは覚えてないな。

J:音は良かった?

N:うん、良い音だったよ。70年代から80年代、日本ではブートレグ盤はあまりポピュラーじゃなくて、限られたお店でしか扱ってなかったと思う。僕は新宿にあるブートレグ専門のレコードショップで買ってたね。ただ、当時日本で買えるブートレグ盤はここで展示されているような凝ったジャケットのものはなかった。アートワークのコピーを糊で貼ってあるだけだったり、カラーペーパーにタイトルや情報をゼロックスで印刷したものとか、白黒のジャケットがほとんどだったね。だから、今回展示されているようなレコードはほとんど見たことない。シルクスクリーンやハンドペイントしているものもあるし、オリジナルのアート作品と言ってしまっていいと思う。

自分もブートレグ盤といえばチープなジャケットという認識でしたが、今回の展示物を見て、その奥深さに驚きました。

J:このショーで展示しているブートレグLPは、今や“文化遺物(Artifacts)”として、価値あるものになっている。現在はYouTubeやさまざまな共有サイトで多くの音楽を簡単に見つけることができるけど、ネットのカオスの中でクールなものを探すのは難しい。でもリアルなレコード店での体験は、未だにミステリアスだ。思いがけないものを発見できるからね。

今回のショーの目的のひとつは、ノブやジョニオのようなスーパー・レコードコレクターの友人たちに「こんなの見たことない!」って言ってもらうことなんだ。「僕は14歳から毎週ディスクユニオンに通っているけど、こんなクレイジーなレコードを見たのは初めてだよ!」なんて、最高の褒め言葉だね(笑)。

ブートレグのファンアートのテクスチャーには、彼らの音楽への愛、アーティストへの愛が詰まってる

N:自分が中学生や高校生の頃は、好きなバンドのライブが録音されたブートレグ盤をよく買ったよ。オフィシャルのライブ盤は出ていなかったからね。たまに良い録音のものもあるけど、ほとんどは音質の悪いものばかりだった。でも僕にとって、それらのレコードはとても重要だった。

J:あそこにある、謎のシンボルがグリーンでプリントされているローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のブートレグLP(『Live’r Than You’ll Ever Be』、1969/1970)は、音質が悪すぎて誰が何をやっているのか分からない(笑)。

N:90年代になると、色々なバンドが来日する機会が増えて、よくライブへ足を運んだ。最高のギグだったら、その日のライブのブートレグ盤を後日お店へ探しに行ったよ。当時はヴァイナルじゃなくて、CDでブートレグのライブ盤がたくさん出回っていたんだ。

J:CDなら録音データを簡単にコピーできるしね。僕らはCD世代かもしれないけど、CDはヴァイナルほどクールじゃない。ほら、ここに飾ってあるレコードを見てよ! クレイジーなレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のイラスト(『Live On Blueberry Hill』1970)、顔にマリファナの跡がびっしりついたボブ・ディラン(Bob Dylan)の超ヒッピーなコラージュ(『Mortorcycle』1971)とか、これらのジャケットは全てそのアーティストのファンが描いたもので、ブートレグ業者でもミュージシャンが手掛けたものでもない。このビートルズ(The Beatles)の『GET BACK』のファンアート(『The Beatles fan art for GET BACK 1970 bootleg』)なんて最高でしょ? このようなファンアートのテクスチャーには、彼らの音楽への愛、そしてアーティストへの愛が詰まっているんだ。

N:そういえば、少し前にYouTubeでニール・ヤング(Neil Young)がどこかの街のレコードショップで自分のブートレグ盤を探している映像を観たよ。

J:本当に?(笑)彼はブートレグを容認してるの?

N:いや、怒ってたね(笑)。ショップのオーナーに「これはどこから仕入れたんだ!」って問い詰めてた。ソニック・ユースの連中も日本に来ると自分たちのブートレグ盤を探しにレコードショップを廻るんだけど、ニール・ヤングとは対照的。彼らは自分たちのブートレグを全て集めているくらい好きなんだ。

J:サーストン・ムーア(Thurston Moore)は本当にブートレグの愛好家だよね。ルー・リードもブートレグに対して寛容だった。アメリカにetc.(エトセトラ)というアンダーグラウンドのブートレグ・レーベルがあって、そこからヴェルベットの2番目のブートレグ盤がリリースされたんだ。確か1978年か79年頃だったと思う。当時はヴェルベットのレコードを見つけるのがすごく大変だった。というのも、正規のレコードはすべて廃盤になっていて、レコード会社ももう生産を中止していた。しかも中古盤は既に高騰していて、入手がすごく難しかった。でも、なぜかそのブートレグ盤だけはどこでも売っていたんだ。だから一部の人にとっては、それが初めて所有するヴェルベットのレコードだったというわけさ。

ストゥージズも同じような状況だった。『Metallic K.O.』がリリースされたのは1976年で、その頃にはオリジナルのファースト・アルバム(『The Stooges』)のレコードはすっかり廃盤になっていた。僕が13歳のとき、つまり1978年には僕らの周囲で彼らのファースト・アルバムとセカンドの『Fun House』を持っている奴はほとんどいなかった。『Raw Power』はまだ見つけることができたけど、最初の2枚は本当に入手困難だったんだ。僕は当時友達が持っていたカセットテープの音源をコピーして聴いていた。たまにオリジナルのレコードを持ってる奴に出会うと「えっ、お前『Fun House』持ってるの? マジで超クールじゃん!」っていう感じだった(笑)

N:それは東京でも同じ。僕がストゥージズのファーストのオリジナル盤の現物を初めて見たのは、ブランドを立ち上げてからだった。

J:本当? じゃあ1984年以降ってこと?

N:そういうことになるね。

J:…いや、この事実はヴァイナル・カルチャーが復活した2025年のいまだからこそ、声を大にして言いたい。当時のレコード会社は、明らかにスターアーティストのことしか重要視していなかった。その証拠にローリング・ストーンズやビートルズの再発盤はすぐに大量に作られたけど、ストゥージズやクランプスのレコードは廃盤になってから再発されるまで何年も待たなければいけなかった。僕たちにとってはストゥージズやクランプスはスターと言える存在だけど、当時は一般的なスターじゃなかったんだよ。

N:そういえばジャック・ホワイト(Jack White)は、当時ストゥージズの『Raw Power』をプレスしたレコードプレス機を手に入れて、そのマシンを現在Third Man Records(サードマン レコード)で使用し、今のバンドの音をプレスしているらしい。

J:それは究極のコレクションだ(笑)。レコードマニアの中には“スーパーマニア”よりさらに上の“ワイルド・スーパーマニア”と呼べるような人たちがいて、ジャック・ホワイトと彼の甥のベンはまさにそれに該当する。今回のショーの開催が決まった時に「絶対にブートレグLPを作らなきゃダメだ」と思いついたんだけど、アメリカでは今すべてのレコードプレス工場がもう予約で埋まっていて、オファーしても完成まで何か月も待たなきゃいけないんだ。それでジャックとベンにメールを送ったら、すぐにプレスしてくれた。本当に親切だったよ。

N:僕たちが今回のショーの開催を決めた一番の理由は、誰もがスマホで手軽に全ての音楽を聴ける今の時代に、あえてレコードの展示をすることが重要だと考えたから。ブートレグ盤に収録されてるのは普通の音源じゃないし、他に誰もこんなことはやらないと思うんだよね。

J:レコードってフォーマット自体もすごく面白いよね。33センチx33センチという限られたサイズの中で、何かクリエイティブなものを生み出さなきゃいけない。これは当然、公式のレコード会社の作品にも、ブートレグにも、そしてクレイジーなファンアートにも当てはまる。

レコードジャケットにはグラフィックや写真、他にもいろんな要素が盛り込まれてる。若い頃はそこに書かれているクレジットを全てチェックしてた

ブートレグ盤に限らず、レコード自体の魅力って何だと思いますか?

N:まず音がCDや配信とは全然違う。

J:そう、音が違うのはもちろん、棚を見て「今日はどれを聴こうかな」って考えるのが楽しいんだ。たとえば最初にポップ・グループ、次にスウェル・マップス、それからキャバレー・ヴォルテール…みたいな。そんなふうにジャケットを手に取りながら選ぶんだ。

N:僕が中学生の頃は、ロックについての情報が本当に少なかった。ロックを取り上げてる雑誌も2つくらいしかなくて、あとはいくつかのラジオ番組くらい。少ない情報を頼りにレコードショップへ行っても、ほとんど知らないレコードばかり。当時は店頭で試聴なんてできないから、ジャケットを見て判断するしかないわけ。英語で書かれたテキストを見て「たぶんこれはいい音なんだろう」とか「このムードのジャケットなら音も間違いないだろう」とか考えて購入してた。所謂“ジャケ買い”だよね。

J:レコードジャケットには“秘密”がいっぱい隠されていたよね。たとえばデヴィッド・ボウイ(David Bowie)のレコードを手に取ると、“ウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)”って名前が書いてあって、「バロウズって誰だ? よし、図書館に行って調べてみよう」ってなるわけ。あるいは、クラス(CRASS)のレコードを持っていて、そこに「J・G・バラード(J. G. Ballard)がこう言った」みたいなことが書いてあると、「えっ、クラスってバラードが好きなの? じゃあ僕も読まないと」って思ったりして。そんなふうに、レコードジャケットからそのアーティストが影響を受けたものを読み解いていくんだ。

N:このサイズのジャケットにグラフィックや写真、他にもいろんな要素が盛り込まれてる。気になったら、そこに書かれているクレジット──デザイナーやフォトグラファーの名前を全てチェックしてた。

J:若い頃はお金がなくて、月に買えるレコードはせいぜい2枚くらいだったけど、本当は毎月100枚くらい欲しかった。それで当時、パンクにハマっていた仲間と毎週日曜日にカフェに集まって、コーヒーをひたすら飲みながらお互いのレコードを貸し借りするんだ。「君が4枚借してくれたら、僕も4枚貸すよ」みたいな感じで、そうやってたくさんのレコードを聴くことができたし、それが友達とのコミュニケーションになっていた。今だと「これめっちゃいい!」って思った曲のリンクを誰かに送る感覚に近いかもしれないけど、実際に会って物理的なモノを共有した方が、より相手と深い関係が築けると思う。

最後に、ヨハンさんが現在進行中のプロジェクトや、今後のプランなどを明かせる範囲で教えてください。

J:僕はこれまでヴェルヴェットやセックス・ピストルズ、パンクのグラフィックデザインに関する本を作ってきた。それらの仕事は、光栄なことにノブのような人たちが気に入ってくれているし、自分でもクールだと思っているけど、僕の本がベストセラーになったことは一度もないんだ。最も売れた本でも、2万部ほどしか売れていない。だから本の制作費を捻出するのは毎回とても大変。でも、COVID以前から取り組んでいた“プロト・パンク”に関する本がもうすぐ完成する。

これはパンク・ロックへとつながる影響や音楽の謎、スタイルの謎、グラフィックデザインの謎を解き明かす本で、親友の著名な音楽ライター ジョン・サヴェージ(Jon Savage)と一緒に制作した。ジョンは本当に頭が良くて、僕よりずっとスマートだ。僕らはこれまでにたくさんの本を一緒に作ってきたけど、彼とのプロジェクトはいつも刺激的だし、何より楽しい。今度の本はもうほぼ完成していて、早くノブや世界中の友人たちに送って、みんなの意見を聞きたい。それが今進行中の一番大きなプロジェクト。他には「クレイジーでクールなアンダーグラウンドなモノ」を扱うオークションもプロデュースしている。この秋にニューヨークで開催予定で、年末に向けて東京でも何かやれたらいいね、なんて話もしてるよ。

あとは、ひとつ大きな夢があるんだ。それはHYSTERIC GLAMOURがこれまで作ってきたすべての本をニューヨークで展示すること。ノブとHYSTERICがこれまでやってきたことは、世界の写真史やカルチャーの歴史において非常に重要だ。日本で写真や本に詳しい人たちはそのことを理解しているけど、もっと広く知られるべきだと思う。これは近い将来必ず実現させたいね。

ヨハン・クーゲルバーグ(Johan Kugelberg)
1965年生まれ。米ニューヨークにあるギャラリー『Boo-Hooray』のオーナーであり、世界のサブカルチャーに精通するコレクター。主な著書に『The Velvet Underground: New York Art』『Punk: An Aesthetic』『God Save Sex Pistols』(全てRizzoli)、『True Norwegian Black Metal』(Vice)、『Enjoy the Experience』(Sinecure)『Beauty is in the Street』(Four Corner)など、多数。


【展覧会情報】
Boo-Hooray Presents “LOVE BOOTLEG”

会期:2025年5月24日(土)~6月15日(日)
会場:HYSTERIC GLAMOUR SHIBUYA
住所:東京都渋谷区神宮前6-23-2
時間:11:00-20:00

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