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アンダーカバー&ケンゾーNIGO® パリコレ初対談

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Rewrite

ジュンくんは”作る”、NIGO®は”編集”

——普段パリで、こういった形で会うことはありますか?

高橋 盾(以下、高橋):こっちではないですね。会うとしたら葉山とかが多いから。

NIGO®:パリで一緒に取材なんて初めてじゃない? レアですね。

——まずは同世代のおふたりについて。性格などタイプは違うのかなと思いますが、実際はどうでしょう。

NIGO®:全く違うと思う(笑)。

高橋:だいぶ違うね。

NIGO®:もう30年以上の付き合いですけど、違う者同士から未だに続いているのかも。でも案外、好きなものとかが似ていたりするんですよ。

高橋:そう、好きなポイントが意外にリンクしていたり、タイミングとかも。

——最初に知り合ったのは、文化服装学院に通っていた学生時代ですね。

NIGO®:学年はジュン(盾)くんの方が1つ上です。僕が当時、ラバーソールの靴とか履いていたら、「そういうの好きなんだ」って校内で声をかけてくれて。そこからですね。

高橋:存在感とか雰囲気がある人って、いるじゃないですか。最初に見た時に、なかなか他にない感じだったので「おっ!」と思って、声をかけたんです。それで話してみたら、「え、群馬なの?」って。

NIGO®地元が同じだった(笑)。

※高橋は桐生市、NIGO®は前橋市の出身。ふたりが出会ったのは高橋が所属していた文化服装学院のフォークソング部にて。(NIGO®はサークルには入らなかった)

——当時も今もですが、お互いのスゴいなと思う部分は?

NIGO®:いやもう、昨日の話になっちゃうんですけど。僕は普段、他の人のショーは、つながりのあるファレル(=ファレル・ウィリアムス)の「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」くらいしか見に行かないんですよ。

※NIGO®とファレル・ウィリアムスの出会いのきっかけは、ともにニューヨークのジュエラー「Jacob & Co.」の顧客だったことから。親交が深く、ケンゾーのショーにも必ずファレルの姿がある。

 でも今回は、ジュンくんのアンダーカバーがケンゾーと同じ日で、スケジュールも大丈夫だったからショーを見に行かせてもらったんです。そうしたら、うーーんって感じで。

高橋:何がどう(笑)?

NIGO®:やっぱりね、戦場というか、このパリで戦っている大先輩じゃないですか。そのショーを見て、色々と問いかけちゃいました。「俺は大丈夫か」って自分に対して。それくらい、すごく完成度が高かったから。

高橋:あー、それは嬉しい。まあでも、クリエイションの軸というか方向性がNIGO®と違うから。ケンゾーのようなブランドだったら、ある意味でチームデザインじゃない? NIGO®がコンセプトを決めてチームに伝えて、NIGO®がジャッジしていくという。俺の場合は自分で発想して、ああだこうだと考えて好きなものを混ぜて。演出とか専門の人と一緒にやるにしても、ゴールまでほぼ自分で決めていく。だから煮詰まっている状態の違いもあるんじゃないかな。

NIGO®ジュンくんはやっぱり”デザイナー”。亡くなってしまったヴァージル(=ヴァージル・アブロー / 元ルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクター)も然りだけど、”クリエイティブディレクター”や”アーティスティックディレクター”はジャンルが違う、ということはあるかもしれない。

※高橋は在学中の1990年に「アンダーカバー」を友人と立ち上げた。

高橋:だから昨日も俺、ケンゾーのショーを見ながら「これ何人くらいのチームをまとめているんだろうな」とか、「ウィンメンズとメンズ違うのかな」とかさ、そういうことも考えた。その中でNIGO®のエッセンスがどこにどう入っているか。やっぱり一番そこを見るよね。

NIGO®:僕は文化の時もエディター科だったから、服作りをしっかりと学ぶというよりも「編集」の方。でもジュンくんは、描いて描いて、縫って縫って・・・

高橋:いや、俺だってその頃そんなにやっていなかったよ。

NIGO®:ホント?(笑)

高橋:最初はそれなりにやっていたんだけど、2年生になってからは友達に頼んだり、「2000円やるから」って縫ってもらったり(笑)、そんなんばっかり。だけど、NIGO®は”編集”して、俺は”作る”というベースが、今の姿につながっているね。うちらの昨日の2つのコレクションの違いの元って、たぶんそういうこと。

NIGO®:ある意味、ブレてない。

高橋:NIGO®も会った時から何も変わらないし、 やっていることもたぶん、それぞれ学生の時から続いてる。規模が変わっているだけのような気もするな。

——NIGO®さんは過去のインタビューで、自身のクリエイションを音楽に例えて「ヒップホップ的」と表現していましたね。

NIGO®:そのド真ん中の世代なので。好きな物を集めて、編集して、くっつけて。音楽を作るのと似ている感覚があるんですよね。

高橋:ああ、それは俺もあるな。ロックの文脈の「ミクスチャー」とかね。自分の好きなものをどう混ぜていくかとか、歴史的なものをそれにどう混ぜてとか。そういう世代なんですよ。

だからピュアだし、 パワーを持ったものができた

——1993年におふたりが裏原宿にオープンしたのが伝説のショップ「NOWHERE(ノーウェア)」爆発的な人気を博しましたが、当時は将来を想像することってありましたか? 

高橋:どうだった?

NIGO®:全くないんじゃない?

高橋:なかったよね(笑)。

NIGO®:お店も始めたのも、最初はノリに近かったから。

※ノーウェアの店名は、「NO WHERE(どこにもない)モノが、NOW HERE(ここにある)」という意味を持つ。

高橋:だって「ジュンくん、一緒にお店やらない?」ってNIGO®から言われて、「おお、いいね」って。どういうお店になって、どうしていきたいかとかじゃなかった。「そんなことやれんの?」みたいなスタートだったし。

NIGO®:展望よりも、目の前のことに夢中だった。不安に思うこともなかったし。若かったというのもあると思うけど。

※NIGO®は在学中から雑誌編集のアルバイトやスタイリストの仕事を経験。卒業後に雑誌『宝島』で連載「ラストオージー2」を持ち、高橋と担当していた。その2人でスタートしたノーウェアは、常に品薄状態の人気店に。

高橋:若い勢いって、やっぱりすごいよね。経験が少ない分、どうなって失敗するかとか、逆にわかんないわけだから。 経験があるとビビっちゃうのかも。

NIGO®:構えるし、変に力が入っちゃう。

高橋:ノーウェアを始めた頃なんかさ、今考えれば遊んでるだけなんですよ。自分たちが楽しくて面白いもの、やりたいことだけ。だからピュアだし、 パワーを持ったものができてたとも思うね。Tシャツ一枚にしても。

NIGO®:ジュンくんはひたすら服を作り続けて、僕は面白いものを集めたり買い付けして。そのうちジュンくんに「服作ればいいじゃん」と言われて、作ることも始めていった

※NIGO®は1993年に「A BATHING APE®」を立ち上げた。ロゴやグラフィックを担当したのがSKATE THING。

高橋:センスあるからね。NIGO®が自分の手で生み出してみたら面白いんじゃないかな、というのは割と早くから思ってた。周りにはシンちゃん(=SKATE THING / グラフィックデザイナー)とか仲間もいたし。あとNIGO®は店が終わってからも裏でコツコツと仕事をするタイプで、そういう部分もすごいなと思っていたから。

NIGO®:僕ら2人とも、意外と真面目なんですよ(笑)。仕事に向き合う姿勢は。

「パリコレとか何?」みたいな感じだった

——故・ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)が、裏原宿から生まれたストリートカルチャーに影響を受けてきたことが知られています。そういった影響をどのように見ていますか?

高橋:海外のそういうコミュニティからすると、NIGO®の影響は大きいと思いますよ。逆に、盛り上がっていた当時でも俺は、どこか馬鹿にされているような感じがしていたし。

NIGO®:ああ、ファッションの世界の人たちから相手にされない、認められないというか。

高橋:「どうせ原宿でしょ」みたいな、そういう感じだったからね。

NIGO®:そこから30年も色々なことをやってきて、それで2022年の「毎日ファッション大賞」。あれを僕がいただいた時は、「時代は変わったんだな」と考え深かったですね。そういうものに全く縁がないと思っていたから。

高橋:そういう王道の、オフィシャルの賞をもらうってね。あの頃は考えられなかった。

2022年「毎日ファッション大賞」の表彰式

——当時からすると、今このパリにふたりがいるという未来も想像できなかったと。

高橋:まったく。「パリコレとか何?」みたいな感じだったんじゃないかな(笑)。

NIGO®:そうそう。でも、ジュンくんはアンダーカバーで東京からパリを目指していって。何年からやっているんだっけ?

高橋初パリは2002年。なので22年前ということか。

※アンダーカバーのパリデビューとなった2003年春夏コレクションのテーマは「SCAB」。”かさぶた”をイメージさせる無数のパッチワークで手仕事を駆使したコレクションが注目を浴びた。

NIGO®:もうその当時は別々の道だったね。僕は2003年にニューヨークに店を出したから、どっちかというとアメリカの方を向いていたし。でも今、自分がケンゾーをやることになって改めて思うけど、パリを長く続けるのは本当にスゴイと思う。

高橋:年齢で考えたら、俺がパリに出てきたのは30歳くらいだったわけ。 だからもう全然、体力があるスタートだったんだと思うよ。

パリのブランドを日本人が手掛ける意味

——2021年に、NIGO®さんがパリを拠点とするケンゾーのクリエイティブディレクターに就任した時、高橋さんはどのように感じましたか?

高橋:めちゃくちゃ嬉しかったですよ。元々は高田賢三さんのブランドとはいえ、今はフランスのLVMHグループだし、そういう大企業の高いポジションに就く日本人デザイナーっていなかったじゃないですか。それに声がかかったというのは、やっぱりNIGO®がずっとやってきたことがちゃんと認められて、 その結果が繋がったということだろうから。

ケンゾー 2022-23年秋冬コレクション

NIGO®:ただコロナ禍の真っ只中だったから、ケンゾーでのスタートは結構大変でした。

高橋:渡航するたびにホテルに隔離で、それでもパリに通ってたもんね。

NIGO®:最初のショーまでずっと無我夢中というか、自分でもどうなるかわからなかった。でもジュンくんがずっと応援してくれて、それこそショーが始まる前にもメッセージを送ってくれたりね。

高橋:俺はパリに行けなかったから東京にいて、そろそろかなってショーの10分前くらいに「がんばれ」ってLINEを送ってみたんですよ。そしたらすぐに既読になったから、あれ? こんな寸前に何LINE見てんだって(笑)。

NIGO®:ちょっと余裕見せないと、と思って「うん、大丈夫」ってすぐ返した(笑)。本当はギリギリの状態だったんだけど、嬉しかったですね。

高橋:そうだったの(笑)。でもさ、ショーの本番中にNIGO®、余裕そうに客席に座って見てたじゃない。オンラインで見てたけど「えっ?  新しいスタイル?」って。

NIGO®:昔のひとみさん(=大川ひとみ /「MILK」「MILK BOY」ディレクター)が、そんな感じだったよね(笑)。

高橋:あ〜思い出した。そうだったわ(笑)。

※大川ひとみは1970年に「MILK」を立ち上げ。原宿の路面店でデビューしたてのアンダーカバーを取り扱ったり、NIGO®にスタイリストの仕事を斡旋するなど、公私ともに深いつながりがある原宿のハブ的な存在。

パリのショーは「独特」

NIGO®:パリでやるショーって他にない独特な感覚なんだけど、あれって何なんだろう。「サカイ(sacai)」の阿部さん(=阿部千登勢)にも言われたんだよね、「すごい独特でしょ」って。

高橋:とにかく色々な人が集まるしね。何かあるかもしれないって楽しみに来る人がいて、こちらも真剣に向き合って作ったものを発表して。その生のパワーというか、科学反応、ぶつかり合いみたいなものが、臨場感とか熱量になっていくような。

NIGO®:ショーはライブ配信もするけど、やっぱり生じゃないと伝わらないなとも感じた。SNSでも伝わらない。だからこういう時代でも、リアルを求めてますます人が集まってくる。

高橋:ただ時代が変わっても、やっぱりパリはある程度の敷居の高さがあると思う。そこに憧れを持ったり。うちらもそういう場所でやるって覚悟がいるし、気持ちの入り方とか密度も濃くなる。お祭りみたいに見えるし実際そういう感覚もあるんだけど、遊びじゃないんだよね。

NIGO®:僕は今回のショーでパリは6シーズン目だけど、みんなこの独特さの中でずっとやってきたんだって、実際やってみてわかることが多いな。

高橋パリ初期の頃とか、こっちの人は目が肥えてるからプレッシャーもあったよ。今はもうペースが出来上がっているけど。音楽で言ったらショーって1本のライブなわけで、それってなかなかだよな。

※アンダーカバーは1994年秋冬コレクションから東京で10年、パリで10年のコレクション発表を続け、東日本震災後の2年間はパリコレを休止。2013-14年秋冬コレクションから再びパリで発表を続けている。

ケンゾーのショーについて:「日本的な部分をどう入れてくるか」

——昨日のアンダーカバーとケンゾーのショー、それぞれ現地で生で見ていましたが、どのあたりが気になりましたか?

高橋:NIGO®のケンゾーは、日本的な部分をコレクションにどう入れてくるのか、というのは気になった。NIGO®の趣味も日本文化の方に向いているしね。序盤の竹の柄(=KENZO Chiku-rin Camo)とか、あと水墨画っぽい絵は賢三さんのアーカイヴ?

NIGO®:元々あるモチーフを組み直してる。絵は刺繍で表現しているんだけど、アーカイヴの中には今の技術では作れないようなものもあるからスゴいよね。

高橋:あと今回はメンズとウィメンズを前半と後半で分けた構成だったけど、前回まで違ったんじゃない?

NIGO®:そう、今回が初めて。自分は元々ウィメンズの服に関わってこなかったのもあって、メンズの延長線上のウィメンズが多かったんだけど、ここ数シーズンでそれぞれが形になってきた。だからウィメンズだけでも見せられるなと感じて。あとは、コーディネートを組み終わった後にメンズとウィメンズを混ぜてみたら、あまりグッとこなかったから。

高橋:ウィメンズは、より大人っぽくなってきてる気がする。

NIGO®:そういう方向性はあるね。ただ、ショーに出していないものが結構あって、カジュアルなデザインもある。だいたいショーで見せる倍くらいは作っているから。

高橋:おお、そんなに作るんだ。なるほどね。

ケンゾー 2025年春夏ウィメンズ&メンズコレクション

パレ・ロワイヤルの庭園にある噴水がランウェイに。竹やトンボ、着物といった日本の伝統がパリのエスプリと出会い、進化するワードローブを追求。高田賢三のアーカイヴを再構築しながら、カラーパレットは折り紙の鮮やかな色をイメージしたという。リラックスしたテーラリングやドレスのシルエットが特徴。Verdyとの2シーズン目となるコラボレーションも発表された。

KENZO 2025年春夏

アンダーカバーのショーについて:「誰これ!?」

NIGO®:アンダーカバーについては、まずはもう、会場のデカい画面で流れたバンドの映像ですよね。「誰これ!?」って。めちゃくちゃかっこいいじゃん。

高橋グラス・ビームス(GLASS BEAMS)。去年くらいかな、Spotifyのオススメとして出てきて、「なんだこのバンド?」みたいな。

※グラス・ビームスはオーストラリア・メルボルンを拠点とする3ピースバンド。2024年のフジロックフェスティバルに初出演した。

NIGO®:え、そこで見つけたんだ。

高橋:まだ出たばっかりだったんだけど「すっげえかっこいいな」って。音的にもターキッシュっぽいのが好きだし、ずっと仮面をつけてて着てる服もおしゃれなのよ。それで本当は、生演奏をしてもらいたかった。でもツアー中だったからダメで、ニューヨークで映像を撮ることになったんだけど、本人たちに服を選んでもらって、それを先に作って持っていって、撮影して編集して・・・。まあでも後で思ったのは、デカいライブに行った時って、肉眼よりもステージ横のモニターで演奏を見るでしょ。その感じだわって。

NIGO®:むしろ生じゃなくて良かったんじゃない? モデルが出てきたらルックの方に集中できるし。アイテムだと「チャンピオン(Champion)」が可愛いくて気になったけど、今までコラボってしたことってあったっけ?

高橋:いや初めて。俺が「チャンピオンと何かできないかな」って言ってたら、「ちょうど話来てます」って。俺の中では今回、着心地、着やすさ、軽さ、涼しさ、みたいなものが良くて、素材はリネンやシルクとか。ジャケットを着ててもシャツみたいな着心地だったりさ。それで追っていった時に、チャンピオンのカジュアルな部分をいじれたらいいなと。胸のロゴマークは見えた?

NIGO®:見えたよ。Cマークをビーズ刺繍にしたやつね。さすが洒落てるなぁと思った。

高橋:リラックスウェアを少しだけ、そういうちょっとしたところだけいじるっていうね。タグはラメ糸で作ったの。これはわからなかったでしょ?

NIGO®:ああ〜わからなかった(笑)。でもやっぱり、一貫してブレないジュンくんのデザインだよね。自分も「NIGO®っぽい」と言われて、でも正直自分ではわからなかったりするんだけど。

高橋:さっきも話に出たけど、うちらミックス世代じゃん。俺の場合はミックスの仕方がちょっと激しくて、NIGO®はツイストっていうのかな。ただ手法というか根っこは同じなんだと思うよ。

NIGO®:カルチャーだったり音楽からっていう部分も重要だね。

高橋:そういうのが再確認できたかな。

アンダーカバー 2025年春夏メンズコレクション「Lost Cloud」

着やすさと軽さを追求しながら、架空の民族、そして絵描きの日常着をイメージ。メンズウェアにウィメンズウェアのデザイン要素を取り入れた。ウェアに施された絵画は、高橋盾による油彩、そしてイタリアのペインター ロバート・ボシシオ(Robert Bosisio)による作品。世界平和と安らぎを強く願う気持ちも込めているという。

UNDERCOVER 2025年春夏

「いつまでやろうか」「いつまでやれるか」

——今の若いクリエイターやデザイナーなど、次世代に対して何か思うところはありますか?

NIGO®:僕らとかは”裏原系”と呼ばれて一種のブームになったけど、ある意味で強烈すぎて終わっていった部分もあると思う。そういう強烈な何かは、今の時代とか次世代には見当たらないかな。

高橋:もしかするとSNSがあるから、改めてそういう強いことをやる必要がない時代なのかも。うちらの場合は原宿からスタートして、それぞれが違うやり方で日本以外の場所に出ていって、それで今ここにいるって感じだけど、今の若い人たちは別にステップを踏まなくても出れちゃうからね。

NIGO®:あの頃は「嶋田洋書」とかに通って、足で探したり掘っていったから、今の人は羨ましくもあるな。でもジュンくんがSpotifyでグラス・ビームスを見つけたような感じで、隠れているけど良いものは今もあるということだね。

高橋:そうそう、そういう面白いのが見たい。なんか見つかりそうな気もするけどね。

NIGO®:それは大きなメゾンでも、模索していることは同じかも。

——ファッションと音楽以外でいうと最近の関心事は?

NIGO®:会えば趣味の話というか、お茶とか陶器とか、最近はそんな話ばっかりしていますね。

高橋:あとは、「いつまでやろうか」「いつまでやれるか」みたいな話も出てきたり。

NIGO®:でも、パリに来る前にフミヤくん(=藤井フミヤ)の40周年コンサートを見に行ったんだけど、すごいんだよね、パワーが。

※藤井フミヤは1983年、ロックバンド「チェッカーズ」のボーカルとしてデビュー。

高橋:そうそう、うちらのちょっと上の世代、すごいじゃん。パワフルな人いっぱいいますよ。フミヤくんはまだその中で若い方かもしれないけど。

NIGO®:そういうの見ちゃうとさ。まだまだ止められない。もう少しやれるかなって。

張り子のヨーダとNIGO®

——最後にお聞きします。おふたりは良きライバルですか?

高橋:いや〜、それはない。競うとか、そういうくだらないもんじゃないっていう感じですね。若い頃は一緒にやっていたけど、揉めたこともないんですよ。一度も。

NIGO®:ここで争っても、ね。それよりも、例えば今何が気になってるという話をし合って、「うわ、今そこか〜」みたいな(笑)。ずっとリスペクトしてるので。

高橋:うん、リスペクト。出会った時からそうだった。なので何も変わらないんですよ。何ひとつ、変わんない。

高橋盾とNIGO®

高橋盾とNIGO®

photographer: Hiroyuki Ozawa, text: Chiemi Kominato (FASHIONSNAP)

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ジュンくんは”作る”、NIGO®は”編集”

——普段パリで、こういった形で会うことはありますか?

高橋 盾(以下、高橋):こっちではないですね。会うとしたら葉山とかが多いから。

NIGO®:パリで一緒に取材なんて初めてじゃない? レアですね。

——まずは同世代のおふたりについて。性格などタイプは違うのかなと思いますが、実際はどうでしょう。

NIGO®:全く違うと思う(笑)。

高橋:だいぶ違うね。

NIGO®:もう30年以上の付き合いですけど、違う者同士から未だに続いているのかも。でも案外、好きなものとかが似ていたりするんですよ。

高橋:そう、好きなポイントが意外にリンクしていたり、タイミングとかも。

——最初に知り合ったのは、文化服装学院に通っていた学生時代ですね。

NIGO®:学年はジュン(盾)くんの方が1つ上です。僕が当時、ラバーソールの靴とか履いていたら、「そういうの好きなんだ」って校内で声をかけてくれて。そこからですね。

高橋:存在感とか雰囲気がある人って、いるじゃないですか。最初に見た時に、なかなか他にない感じだったので「おっ!」と思って、声をかけたんです。それで話してみたら、「え、群馬なの?」って。

NIGO®地元が同じだった(笑)。

※高橋は桐生市、NIGO®は前橋市の出身。ふたりが出会ったのは高橋が所属していた文化服装学院のフォークソング部にて。(NIGO®はサークルには入らなかった)

——当時も今もですが、お互いのスゴいなと思う部分は?

NIGO®:いやもう、昨日の話になっちゃうんですけど。僕は普段、他の人のショーは、つながりのあるファレル(=ファレル・ウィリアムス)の「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」くらいしか見に行かないんですよ。

※NIGO®とファレル・ウィリアムスの出会いのきっかけは、ともにニューヨークのジュエラー「Jacob & Co.」の顧客だったことから。親交が深く、ケンゾーのショーにも必ずファレルの姿がある。

 でも今回は、ジュンくんのアンダーカバーがケンゾーと同じ日で、スケジュールも大丈夫だったからショーを見に行かせてもらったんです。そうしたら、うーーんって感じで。

高橋:何がどう(笑)?

NIGO®:やっぱりね、戦場というか、このパリで戦っている大先輩じゃないですか。そのショーを見て、色々と問いかけちゃいました。「俺は大丈夫か」って自分に対して。それくらい、すごく完成度が高かったから。

高橋:あー、それは嬉しい。まあでも、クリエイションの軸というか方向性がNIGO®と違うから。ケンゾーのようなブランドだったら、ある意味でチームデザインじゃない? NIGO®がコンセプトを決めてチームに伝えて、NIGO®がジャッジしていくという。俺の場合は自分で発想して、ああだこうだと考えて好きなものを混ぜて。演出とか専門の人と一緒にやるにしても、ゴールまでほぼ自分で決めていく。だから煮詰まっている状態の違いもあるんじゃないかな。

NIGO®ジュンくんはやっぱり”デザイナー”。亡くなってしまったヴァージル(=ヴァージル・アブロー / 元ルイ・ヴィトンのメンズ クリエイティブ・ディレクター)も然りだけど、”クリエイティブディレクター”や”アーティスティックディレクター”はジャンルが違う、ということはあるかもしれない。

※高橋は在学中の1990年に「アンダーカバー」を友人と立ち上げた。

高橋:だから昨日も俺、ケンゾーのショーを見ながら「これ何人くらいのチームをまとめているんだろうな」とか、「ウィンメンズとメンズ違うのかな」とかさ、そういうことも考えた。その中でNIGO®のエッセンスがどこにどう入っているか。やっぱり一番そこを見るよね。

NIGO®:僕は文化の時もエディター科だったから、服作りをしっかりと学ぶというよりも「編集」の方。でもジュンくんは、描いて描いて、縫って縫って・・・

高橋:いや、俺だってその頃そんなにやっていなかったよ。

NIGO®:ホント?(笑)

高橋:最初はそれなりにやっていたんだけど、2年生になってからは友達に頼んだり、「2000円やるから」って縫ってもらったり(笑)、そんなんばっかり。だけど、NIGO®は”編集”して、俺は”作る”というベースが、今の姿につながっているね。うちらの昨日の2つのコレクションの違いの元って、たぶんそういうこと。

NIGO®:ある意味、ブレてない。

高橋:NIGO®も会った時から何も変わらないし、 やっていることもたぶん、それぞれ学生の時から続いてる。規模が変わっているだけのような気もするな。

——NIGO®さんは過去のインタビューで、自身のクリエイションを音楽に例えて「ヒップホップ的」と表現していましたね。

NIGO®:そのド真ん中の世代なので。好きな物を集めて、編集して、くっつけて。音楽を作るのと似ている感覚があるんですよね。

高橋:ああ、それは俺もあるな。ロックの文脈の「ミクスチャー」とかね。自分の好きなものをどう混ぜていくかとか、歴史的なものをそれにどう混ぜてとか。そういう世代なんですよ。

だからピュアだし、 パワーを持ったものができた

——1993年におふたりが裏原宿にオープンしたのが伝説のショップ「NOWHERE(ノーウェア)」爆発的な人気を博しましたが、当時は将来を想像することってありましたか? 

高橋:どうだった?

NIGO®:全くないんじゃない?

高橋:なかったよね(笑)。

NIGO®:お店も始めたのも、最初はノリに近かったから。

※ノーウェアの店名は、「NO WHERE(どこにもない)モノが、NOW HERE(ここにある)」という意味を持つ。

高橋:だって「ジュンくん、一緒にお店やらない?」ってNIGO®から言われて、「おお、いいね」って。どういうお店になって、どうしていきたいかとかじゃなかった。「そんなことやれんの?」みたいなスタートだったし。

NIGO®:展望よりも、目の前のことに夢中だった。不安に思うこともなかったし。若かったというのもあると思うけど。

※NIGO®は在学中から雑誌編集のアルバイトやスタイリストの仕事を経験。卒業後に雑誌『宝島』で連載「ラストオージー2」を持ち、高橋と担当していた。その2人でスタートしたノーウェアは、常に品薄状態の人気店に。

高橋:若い勢いって、やっぱりすごいよね。経験が少ない分、どうなって失敗するかとか、逆にわかんないわけだから。 経験があるとビビっちゃうのかも。

NIGO®:構えるし、変に力が入っちゃう。

高橋:ノーウェアを始めた頃なんかさ、今考えれば遊んでるだけなんですよ。自分たちが楽しくて面白いもの、やりたいことだけ。だからピュアだし、 パワーを持ったものができてたとも思うね。Tシャツ一枚にしても。

NIGO®:ジュンくんはひたすら服を作り続けて、僕は面白いものを集めたり買い付けして。そのうちジュンくんに「服作ればいいじゃん」と言われて、作ることも始めていった

※NIGO®は1993年に「A BATHING APE®」を立ち上げた。ロゴやグラフィックを担当したのがSKATE THING。

高橋:センスあるからね。NIGO®が自分の手で生み出してみたら面白いんじゃないかな、というのは割と早くから思ってた。周りにはシンちゃん(=SKATE THING / グラフィックデザイナー)とか仲間もいたし。あとNIGO®は店が終わってからも裏でコツコツと仕事をするタイプで、そういう部分もすごいなと思っていたから。

NIGO®:僕ら2人とも、意外と真面目なんですよ(笑)。仕事に向き合う姿勢は。

「パリコレとか何?」みたいな感じだった

——故・ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)が、裏原宿から生まれたストリートカルチャーに影響を受けてきたことが知られています。そういった影響をどのように見ていますか?

高橋:海外のそういうコミュニティからすると、NIGO®の影響は大きいと思いますよ。逆に、盛り上がっていた当時でも俺は、どこか馬鹿にされているような感じがしていたし。

NIGO®:ああ、ファッションの世界の人たちから相手にされない、認められないというか。

高橋:「どうせ原宿でしょ」みたいな、そういう感じだったからね。

NIGO®:そこから30年も色々なことをやってきて、それで2022年の「毎日ファッション大賞」。あれを僕がいただいた時は、「時代は変わったんだな」と考え深かったですね。そういうものに全く縁がないと思っていたから。

高橋:そういう王道の、オフィシャルの賞をもらうってね。あの頃は考えられなかった。

2022年「毎日ファッション大賞」の表彰式

——当時からすると、今このパリにふたりがいるという未来も想像できなかったと。

高橋:まったく。「パリコレとか何?」みたいな感じだったんじゃないかな(笑)。

NIGO®:そうそう。でも、ジュンくんはアンダーカバーで東京からパリを目指していって。何年からやっているんだっけ?

高橋初パリは2002年。なので22年前ということか。

※アンダーカバーのパリデビューとなった2003年春夏コレクションのテーマは「SCAB」。”かさぶた”をイメージさせる無数のパッチワークで手仕事を駆使したコレクションが注目を浴びた。

NIGO®:もうその当時は別々の道だったね。僕は2003年にニューヨークに店を出したから、どっちかというとアメリカの方を向いていたし。でも今、自分がケンゾーをやることになって改めて思うけど、パリを長く続けるのは本当にスゴイと思う。

高橋:年齢で考えたら、俺がパリに出てきたのは30歳くらいだったわけ。 だからもう全然、体力があるスタートだったんだと思うよ。

パリのブランドを日本人が手掛ける意味

——2021年に、NIGO®さんがパリを拠点とするケンゾーのクリエイティブディレクターに就任した時、高橋さんはどのように感じましたか?

高橋:めちゃくちゃ嬉しかったですよ。元々は高田賢三さんのブランドとはいえ、今はフランスのLVMHグループだし、そういう大企業の高いポジションに就く日本人デザイナーっていなかったじゃないですか。それに声がかかったというのは、やっぱりNIGO®がずっとやってきたことがちゃんと認められて、 その結果が繋がったということだろうから。

ケンゾー 2022-23年秋冬コレクション

NIGO®:ただコロナ禍の真っ只中だったから、ケンゾーでのスタートは結構大変でした。

高橋:渡航するたびにホテルに隔離で、それでもパリに通ってたもんね。

NIGO®:最初のショーまでずっと無我夢中というか、自分でもどうなるかわからなかった。でもジュンくんがずっと応援してくれて、それこそショーが始まる前にもメッセージを送ってくれたりね。

高橋:俺はパリに行けなかったから東京にいて、そろそろかなってショーの10分前くらいに「がんばれ」ってLINEを送ってみたんですよ。そしたらすぐに既読になったから、あれ? こんな寸前に何LINE見てんだって(笑)。

NIGO®:ちょっと余裕見せないと、と思って「うん、大丈夫」ってすぐ返した(笑)。本当はギリギリの状態だったんだけど、嬉しかったですね。

高橋:そうだったの(笑)。でもさ、ショーの本番中にNIGO®、余裕そうに客席に座って見てたじゃない。オンラインで見てたけど「えっ?  新しいスタイル?」って。

NIGO®:昔のひとみさん(=大川ひとみ /「MILK」「MILK BOY」ディレクター)が、そんな感じだったよね(笑)。

高橋:あ〜思い出した。そうだったわ(笑)。

※大川ひとみは1970年に「MILK」を立ち上げ。原宿の路面店でデビューしたてのアンダーカバーを取り扱ったり、NIGO®にスタイリストの仕事を斡旋するなど、公私ともに深いつながりがある原宿のハブ的な存在。

パリのショーは「独特」

NIGO®:パリでやるショーって他にない独特な感覚なんだけど、あれって何なんだろう。「サカイ(sacai)」の阿部さん(=阿部千登勢)にも言われたんだよね、「すごい独特でしょ」って。

高橋:とにかく色々な人が集まるしね。何かあるかもしれないって楽しみに来る人がいて、こちらも真剣に向き合って作ったものを発表して。その生のパワーというか、科学反応、ぶつかり合いみたいなものが、臨場感とか熱量になっていくような。

NIGO®:ショーはライブ配信もするけど、やっぱり生じゃないと伝わらないなとも感じた。SNSでも伝わらない。だからこういう時代でも、リアルを求めてますます人が集まってくる。

高橋:ただ時代が変わっても、やっぱりパリはある程度の敷居の高さがあると思う。そこに憧れを持ったり。うちらもそういう場所でやるって覚悟がいるし、気持ちの入り方とか密度も濃くなる。お祭りみたいに見えるし実際そういう感覚もあるんだけど、遊びじゃないんだよね。

NIGO®:僕は今回のショーでパリは6シーズン目だけど、みんなこの独特さの中でずっとやってきたんだって、実際やってみてわかることが多いな。

高橋パリ初期の頃とか、こっちの人は目が肥えてるからプレッシャーもあったよ。今はもうペースが出来上がっているけど。音楽で言ったらショーって1本のライブなわけで、それってなかなかだよな。

※アンダーカバーは1994年秋冬コレクションから東京で10年、パリで10年のコレクション発表を続け、東日本震災後の2年間はパリコレを休止。2013-14年秋冬コレクションから再びパリで発表を続けている。

ケンゾーのショーについて:「日本的な部分をどう入れてくるか」

——昨日のアンダーカバーとケンゾーのショー、それぞれ現地で生で見ていましたが、どのあたりが気になりましたか?

高橋:NIGO®のケンゾーは、日本的な部分をコレクションにどう入れてくるのか、というのは気になった。NIGO®の趣味も日本文化の方に向いているしね。序盤の竹の柄(=KENZO Chiku-rin Camo)とか、あと水墨画っぽい絵は賢三さんのアーカイヴ?

NIGO®:元々あるモチーフを組み直してる。絵は刺繍で表現しているんだけど、アーカイヴの中には今の技術では作れないようなものもあるからスゴいよね。

高橋:あと今回はメンズとウィメンズを前半と後半で分けた構成だったけど、前回まで違ったんじゃない?

NIGO®:そう、今回が初めて。自分は元々ウィメンズの服に関わってこなかったのもあって、メンズの延長線上のウィメンズが多かったんだけど、ここ数シーズンでそれぞれが形になってきた。だからウィメンズだけでも見せられるなと感じて。あとは、コーディネートを組み終わった後にメンズとウィメンズを混ぜてみたら、あまりグッとこなかったから。

高橋:ウィメンズは、より大人っぽくなってきてる気がする。

NIGO®:そういう方向性はあるね。ただ、ショーに出していないものが結構あって、カジュアルなデザインもある。だいたいショーで見せる倍くらいは作っているから。

高橋:おお、そんなに作るんだ。なるほどね。

ケンゾー 2025年春夏ウィメンズ&メンズコレクション

パレ・ロワイヤルの庭園にある噴水がランウェイに。竹やトンボ、着物といった日本の伝統がパリのエスプリと出会い、進化するワードローブを追求。高田賢三のアーカイヴを再構築しながら、カラーパレットは折り紙の鮮やかな色をイメージしたという。リラックスしたテーラリングやドレスのシルエットが特徴。Verdyとの2シーズン目となるコラボレーションも発表された。

KENZO 2025年春夏

アンダーカバーのショーについて:「誰これ!?」

NIGO®:アンダーカバーについては、まずはもう、会場のデカい画面で流れたバンドの映像ですよね。「誰これ!?」って。めちゃくちゃかっこいいじゃん。

高橋グラス・ビームス(GLASS BEAMS)。去年くらいかな、Spotifyのオススメとして出てきて、「なんだこのバンド?」みたいな。

※グラス・ビームスはオーストラリア・メルボルンを拠点とする3ピースバンド。2024年のフジロックフェスティバルに初出演した。

NIGO®:え、そこで見つけたんだ。

高橋:まだ出たばっかりだったんだけど「すっげえかっこいいな」って。音的にもターキッシュっぽいのが好きだし、ずっと仮面をつけてて着てる服もおしゃれなのよ。それで本当は、生演奏をしてもらいたかった。でもツアー中だったからダメで、ニューヨークで映像を撮ることになったんだけど、本人たちに服を選んでもらって、それを先に作って持っていって、撮影して編集して・・・。まあでも後で思ったのは、デカいライブに行った時って、肉眼よりもステージ横のモニターで演奏を見るでしょ。その感じだわって。

NIGO®:むしろ生じゃなくて良かったんじゃない? モデルが出てきたらルックの方に集中できるし。アイテムだと「チャンピオン(Champion)」が可愛いくて気になったけど、今までコラボってしたことってあったっけ?

高橋:いや初めて。俺が「チャンピオンと何かできないかな」って言ってたら、「ちょうど話来てます」って。俺の中では今回、着心地、着やすさ、軽さ、涼しさ、みたいなものが良くて、素材はリネンやシルクとか。ジャケットを着ててもシャツみたいな着心地だったりさ。それで追っていった時に、チャンピオンのカジュアルな部分をいじれたらいいなと。胸のロゴマークは見えた?

NIGO®:見えたよ。Cマークをビーズ刺繍にしたやつね。さすが洒落てるなぁと思った。

高橋:リラックスウェアを少しだけ、そういうちょっとしたところだけいじるっていうね。タグはラメ糸で作ったの。これはわからなかったでしょ?

NIGO®:ああ〜わからなかった(笑)。でもやっぱり、一貫してブレないジュンくんのデザインだよね。自分も「NIGO®っぽい」と言われて、でも正直自分ではわからなかったりするんだけど。

高橋:さっきも話に出たけど、うちらミックス世代じゃん。俺の場合はミックスの仕方がちょっと激しくて、NIGO®はツイストっていうのかな。ただ手法というか根っこは同じなんだと思うよ。

NIGO®:カルチャーだったり音楽からっていう部分も重要だね。

高橋:そういうのが再確認できたかな。

アンダーカバー 2025年春夏メンズコレクション「Lost Cloud」

着やすさと軽さを追求しながら、架空の民族、そして絵描きの日常着をイメージ。メンズウェアにウィメンズウェアのデザイン要素を取り入れた。ウェアに施された絵画は、高橋盾による油彩、そしてイタリアのペインター ロバート・ボシシオ(Robert Bosisio)による作品。世界平和と安らぎを強く願う気持ちも込めているという。

UNDERCOVER 2025年春夏

「いつまでやろうか」「いつまでやれるか」

——今の若いクリエイターやデザイナーなど、次世代に対して何か思うところはありますか?

NIGO®:僕らとかは”裏原系”と呼ばれて一種のブームになったけど、ある意味で強烈すぎて終わっていった部分もあると思う。そういう強烈な何かは、今の時代とか次世代には見当たらないかな。

高橋:もしかするとSNSがあるから、改めてそういう強いことをやる必要がない時代なのかも。うちらの場合は原宿からスタートして、それぞれが違うやり方で日本以外の場所に出ていって、それで今ここにいるって感じだけど、今の若い人たちは別にステップを踏まなくても出れちゃうからね。

NIGO®:あの頃は「嶋田洋書」とかに通って、足で探したり掘っていったから、今の人は羨ましくもあるな。でもジュンくんがSpotifyでグラス・ビームスを見つけたような感じで、隠れているけど良いものは今もあるということだね。

高橋:そうそう、そういう面白いのが見たい。なんか見つかりそうな気もするけどね。

NIGO®:それは大きなメゾンでも、模索していることは同じかも。

——ファッションと音楽以外でいうと最近の関心事は?

NIGO®:会えば趣味の話というか、お茶とか陶器とか、最近はそんな話ばっかりしていますね。

高橋:あとは、「いつまでやろうか」「いつまでやれるか」みたいな話も出てきたり。

NIGO®:でも、パリに来る前にフミヤくん(=藤井フミヤ)の40周年コンサートを見に行ったんだけど、すごいんだよね、パワーが。

※藤井フミヤは1983年、ロックバンド「チェッカーズ」のボーカルとしてデビュー。

高橋:そうそう、うちらのちょっと上の世代、すごいじゃん。パワフルな人いっぱいいますよ。フミヤくんはまだその中で若い方かもしれないけど。

NIGO®:そういうの見ちゃうとさ。まだまだ止められない。もう少しやれるかなって。

張り子のヨーダとNIGO®

——最後にお聞きします。おふたりは良きライバルですか?

高橋:いや〜、それはない。競うとか、そういうくだらないもんじゃないっていう感じですね。若い頃は一緒にやっていたけど、揉めたこともないんですよ。一度も。

NIGO®:ここで争っても、ね。それよりも、例えば今何が気になってるという話をし合って、「うわ、今そこか〜」みたいな(笑)。ずっとリスペクトしてるので。

高橋:うん、リスペクト。出会った時からそうだった。なので何も変わらないんですよ。何ひとつ、変わんない。

高橋盾とNIGO®

高橋盾とNIGO®

photographer: Hiroyuki Ozawa, text: Chiemi Kominato (FASHIONSNAP)

and integrate them seamlessly into the new content without adding new tags. Ensure the new content is fashion-related, written entirely in Japanese, and approximately 1500 words. Conclude with a “結論” section and a well-formatted “よくある質問” section. Avoid including an introduction or a note explaining the process.

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